ライラックは日本中に自生しているらしいが、札幌ではいわゆる地元の木つまり「札幌の木」になっている。そんなこともあって札幌では先週の21日から恒例のライラック祭りが始まった。今年のライラックは桜もそうだったけれど4月の天候がいつもより暖かかったことから、例年よりも半月近くも早く咲き出した。
 ライラックは白い花から先に咲き始める。「はしどい」とはライラックの和名であり、時に「リラ」とも呼ばれているが、一般的には「ライラック」の呼び名のほうが知名度が高いだろう。

 それはそうなんだけれど、今年のこの季節のこの花にはどうも「はしどい」の名称がふさわしいような気がしている。それは白のライラックの多くが散り始めてきて、いまは紫色が盛りになってきているからである。白も紫もともにライラックであることに違いはないけれど、紫色のライラックには「むらさきはしどい」と言う名がつけられている。この「むらさきはしどい」の名称のほうが、私にはどことないライラックの慎ましやかな風情を伝えているような気がしているのである。

 この季節、札幌はいたるところにライラックを見ることができる。いつも通りに事務所へ向かって歩き始めるが、私のマンションの敷地にも一本小さなライラックがある。
 そう言えばライラックはどちらかというと潅木に近いかも知れない。途中の公園にあるライラックは、幹の周りが一メートル高さは4〜5メートルもあろうかというけっこうな大木になっているけれど、多くのライラックは見かけがこんもりとした大振りの枝にたわわな花をつけているように見えても、人間の腕くらいの太さの幹が5〜6本固まって地面から生えていることが多い。

 ライラックは桜が散り始めるころに蕾を開いてくる。桜は大木で豪華だし、咲き始めも散り際も派手だからどうしても目立つ。そんな桜に気を取られている時にふと仄かな香りが漂ってくるのである。桜の花にも香りはあるけれど道を歩いていてその香りを感じることは少ない。と言うよりは私にはほとんど気づかないと言った方がいいのかも知れない。
 それがなんとも優しい香りが突然漂い始めるのである。香りにふと気づいて回りを眺めると、いつの間に咲いたのだろうか、小さな十字の房状の白い花がびっくりするほど豊かな姿を見せてくれるのである。それは不意打ちと言ってもいいほどの驚きである。

 ライラックは白い花から始まるのである。気づいてみると、白い花は街中のいたるところで香りと姿の自己主張を始めている。桜と違ってライラックの花の寿命は長い。一つ一つの花が長持ちしているのか、それとも時を置いて次々に咲いていくのかどうか分からないけれど、桜のように全体が一気に咲いて一気に散るというようなスタイルをこの花は選ばなかったようだ。

 やがて白い花は散り始める。後から後から雪のように散り始める。アスファルトの歩道が白くなるほどにも散り始める。
 その散り始めを待っているのが「むらさきはしどい」である。白い花が満開の時、むらさきはしどいは濃い紫の小さな房の形の蕾をつけている。黒にも近い花房のいくつもが枝全体を覆うように次の出番を待っている。

 むらさきはしどいの花は薄い紫である。蕾の紫は黒にも近い色なのに、咲き始めるとその花びらは薄紫に変わっていくのである。香りは白よりも僅かに強いのではないだろうか。


 ライラックの別名が「リラ」であることは前に書いた。リラの名称はフランス語から来ているようだが、その名をとって「リラ冷え」と言う言葉がある。ライラックの花の便りは夏の始まりだとも言われているけれど、この時期は急に気温が下がって春先の寒さがゆり戻してくることのある場合を言ったものである。
 それにしても今年は4月の気温の高さとは裏腹に、リラ冷えが長く続いている。5月も末に近いこの時期なのに一度脱いだコートを今朝も取り出した。

 春風もいいけれど、札幌の初夏の風は紫色をしている。その紫の風を受けながら、私は毎朝、毎夕、ゆっくりと通勤するのである。むらさきはしどいは自宅から事務所まで、途切れることなく続いている。
 ネットで検索してみたら、ライラックの花言葉は「初恋の思い出」と出ていた。5月も間もなく終わろうとしている。そこはかとない風の香りの中で、さて私は何を思い出すのだろうか・・・。



                          2008.5.28    佐々木利夫


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はしどいのある風景