2008サミット(主要国首脳会議、2008.7.7〜9)が北海道洞爺湖で開催されるまでに一ヶ月を切った。そのサミットでの主要テーマが地球温暖化問題だと言われていることもあって、最近これに関連する新聞記事やテレビ報道などが多くなってきている。
 もちろんそうした背景には、止まるところを知らないガソリンの世界的な高騰とそれに影響されて穀物を利用したバイオ燃料の開発が関係し、更に連動して穀物価格の上昇や世界の飢餓へと続くことになる。

 でも当面の地球温暖化の議論は、世界のCO2の排出をどう押さえ込むかの問題でもある。そうした時に掛け声のように繰り返される言葉にこんなのがある。

   地球を守ろう
   地球を救おう
   地球は訴える
   地球は悲鳴を上げている


 そうした言葉は慣用句みたいに繰り返し語られるものだから、特に違和感を抱くことはなかったと言っていい。ところが、その言い方が最近どうにも気になりだしてきている。

 地球は別に守ってもらおうとも、救ってもらおうとも考えてはいないのではないかとの思いがし始めてきたのである。地球を擬人化してあたかも生きているかのような表現が気になると言うのではない。こうした擬人的な表現は日本語では特に多いことだし、木の葉のささやきだとか、風が歌うなどなど、日常的にもけっこう使っているからである。

 そうではなく、仮に地球の擬人化を承認したとしても、本当に地球は悲鳴を上げているのだろうか、本当に地球は人類に向かって「助けてくれ」と懇願しているのだろうかと思ったのである。

 およそ46億年前の超新星の爆発によって太陽系が形成され、地球はそれから約1億年を経過した45億年前くらいに誕生したとされるのが通説である。そして何を生命と呼ぶかは諸説あるとは思うけれど、生命誕生は38億年から40億年前だとされている。もちろんまだ人類と呼ばれる存在など影すら見えない。

 誕生以来地球は苛酷な歴史を繰り返す。地球全部が凍りつく全球凍結は22億年前と6億年前に訪れ、反対に全海洋蒸発も2.5億年前に見舞われたと言われている。その他にも地球へは何度も宇宙からの巨大な隕石の襲来があり、生命の絶滅の危機すら現実のものとなった。
 さて人類である。進化の過程のどの段階からを人類と呼ぶのか色々議論があるかも知れないけれど、ホモサピエンスからを人類だとするならば、アフリカで誕生したのは今から20万年前のことでしかない。地球の年齢からするなら僅か瞬きの間にも近いほんの20万年でしかないのである。

 つまり、地球はこれまでの46億年の生涯を人類とはほとんど無関係に過ごしてきたのである。地球の生涯に人類など存在しなかったと言ってもいいくらいなのである。
 しかもその人類は地球に対して何の恩恵も与えることはなかった。どんな些細なことでもいいが、人類が地球の延命や地球が喜びそうな(?)ことに対して貢献したことなど何一つとしてなかったはずである。地球を助けるような観念的な手だてですら考えつくことはなかった。地球に緑を増やすだの、CO2を削減するだの、野生動物に絶滅危惧種などと名づけて保護しようとすることなどのどこに地球を保護するみたいな要素があるだろうか。これまで全休凍結や海洋蒸発を経験しそれを生き延びてきた地球に対して、人はどんな形で救いの成果を見つけることができただろうか。

 それら人類の唱えた呪文のすべてはつまるところ人類のためでしかなかった。人が生きていく環境を自ら維持したいがための方便にしか過ぎなかった。地球が悲鳴を上げていると言うのは人間の身勝手な思い込みであり、地球に名を借りた欺瞞である。地球は南極の氷が融けはじめようが、北極が消滅しようが、海水面が上昇して多くの島々や大陸の海岸線が消滅しようが、世界中が砂漠化しようが片腹痛くもなんともないのである。地球はそれ以上に苛酷な脅威にも、これまでどっしりと構え、耐え、そしてしたたかに生き残ってきたのだ。だから地球はCO2の増加くらいのことには決して悲鳴など上げないのである。

 もちろん地球にも寿命はある。あと50億年くらいすると、太陽は身の内に抱えている燃料のすべてを燃やし尽くして超新星爆発を起こすと考えられている。そしてその少し前には膨張をはじめて水星、金星、そして地球までをもその膨張の中に飲み込んでしまうとも言われている。それはまさに地球の終焉である。
 人類が、その50億年もの時代を生き抜いていけるかどうか、数年前に人類の将来は環境破壊や戦争などで残り30数年だとの意見を読んだことがあるから、どうにも心もとないけれど、地球はその時になって始めて悲鳴を上げるかも知れない。

 だが私にはどうしてもその悲鳴の相手が人類なのだとは思えないのである。人類がもし仮にこれからの50億年を生き残っていたとしたならば、本当に地球を守りきることができるだろうか。恐らく人類は、地球を見放して遠く宇宙へと旅たっていくのではないだろうか。私には人が地球を救えるようには思えないのである。だからそのことを知っている地球は、決して人類に助けなど求めないのではないかと思うのである。

 だからこそ私は、「地球を救おう」だとか、「地球は悲鳴を上げている」なんて他者に名を借りた白々しい嘘で誤魔化そうとするのではなく、本音で「悲鳴を上げているのは人類なのだ」ということをしっかりと表に出していかなければならないのではないかと思っているのである。
 仮に人類、いやいや全生物が絶滅したところで、地球は泣きもしなければなんの痛痒も感じないまま太陽の周りを最後の日まで回り続けていくだろうからである。



                          2008.6.14    佐々木利夫


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地球の悲鳴