日本の人口減少が目に見えるようになってきて、少子化問題が政治的にも社会的にも問題になってきている。そして育児休暇だとか保育所の待機児童をなくすための施策の充実などが少しずつ世の中に浸透するようになってきている。

 そうした話題の中に「安心して子供を預けられる施設」が必要だと、多くの母親が声をあげているとの報道が見られるようになってきた。
 そのことは良く分かる。家族に占める子供の数が圧倒的に一人とか二人が多くなってきて、それだけ子供に対する親の思いも強いものになってきているのだろう。

 私が高校生の頃、同じクラスに続柄九女という女生徒がいたのを記憶しているし、我が家も私を筆頭に五人の兄弟がいたなど多くの家庭で子供の数は多かった。貧乏人の子沢山などとあっさり言ってしまえるような話題ではないけれど、現在の結婚しない男女の増加、子供の数は一人か二人、そして晩婚化などの現象を重ね合わせると隔世の感がある。

 そうした少子化時代が現実として目の前にあり、そして子供人口の減少は将来の老人を支える世代の現象ということをも示唆しているものだから、世の中も政治家も「なんとかせい」の大合唱になったところで当然かも知れない。
 もっとも私としては子供の減少が老人を支える世代の減少に直接結びつくような理屈にはいささかの異論を感じてはいるのだが・・・。

 ところでここで書きたいのは、母親が声を大にして要望していると言う「安心して子供を預けられる施設の充実」と称するテーマについてである。私はそうした母親の要求が誤りだと言うのではない。むしろよく分かるとさえ思っている。ただどうしてもへそ曲がりの私としては、その「当然の要求」とされているそのこと自体にどこか少し頭を傾げてしまうのである。

 それはこうした母親の要求が、「子供を預ける」ことを前提として、安心できない施設だと不安なので「子供を預けて仕事につくと言う選択ができない・・・」と続いていくからである。その言い分に嘘はないとは思うのだけれど、それとは反対の「子供と一緒に過ごしたいから仕事よりも子育てを選んだ、もしくは選びたい」という意見がまるで出てないのはどこか変ではないだろうか。
 少子化対策というのは本当に「安心できる保育所をたくさん作ること」だけでいいのだろうか。

 私は「子育て専業主婦」になることが母親としてのあるべき姿なのだと主張したいためにこんなことを言っているのではない。ただ「働く母親」を目指すライフスタイルこそが理想なのだと決め付けるような言い方もまた、どこか間違っているのではないだろうかと感じてしまうのである。

 テレビドラマなどではやたら「母の愛」みたいなものがテーマになり、母子関係こそが人間関係の基本だとするようなストーリーが多いけれど、そのあたりはどうも胡散臭いような気がしている。だからと言って次世代に命を引き継いでいくのは、理論的には父の存在も必要だけれど出産や子育てなども考えるなら、人間も動物も母の存在こそが不可欠となるだろう。

 現代が共働きを必要とする時代になってきているのか、それとも女性の社会進出や人間としての女性というテーマからするなら、男女共同社会は必然的に子育てと出産とを切り離して考えるべき時代にきているのかも知れない。
 そうだとするなら私の考えはやっぱりどこか偏っているのかも知れない。私の中ではどこかで女性と出産とは単なる分娩という生物学的な現象以上のものとして分かち難く結びついており、命の承継と子に対する慈しみは生物の基本として人間にも共通的に存在しているような気持ちがしているからである。

 そしてそれは遺伝子レベルにおける親子の証拠や事実としての母子関係を超えるものとして、生物自らが作り上げていくものなのではないのかと思うのである。つまり親子は遺伝子のつながりとしてのみ存在しているのではなく、「親子になっていく」ことにこそ本質的な意味があるように思えるのである。

 だから親子は試験管で証明されて分かるのではなく親子として育っていくことによって「親子になっていく」のではないかと思うのである。そしてそのための大切なキーワードの一つに「親と子が共に過ごす時間」があるのではないだろうか。

 私は子供を保育所などに預けて母親が仕事に行くことを育児放棄まがいの行為ではないかと感じている訳ではない。ただきちんとした施設に預けることだけが子育てに対する正論なのではなく、子供と母親が終日一緒に過ごせるような環境をもし親が望むなら、それを容認する社会もまた子供を預けることと同様な価値観を持つものとして考えていかなければならないのではないかと思うのである。

 「安心して子供を預けられる施設」の存在は「働くお母さん」や「働かなければならないお母さん」、「働くことが生甲斐を感じるお母さん」などにとって必要であると同時に、家庭も含めて「安心して子供と一緒に過ごせるような環境」の存在もまた、そう願うお母さんにとって必要なのではないかと思っているのである。



                                2008.7.29    佐々木利夫


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