秋はノーベル賞の季節でもある。今年は日本人が大量に受賞したとのニュースが派手に駆け回り、それも二日続けて日本人が受けたとの知らせに日本中が湧いた。二日連続で号外まで出される始末である。
 内容は理論物理学賞が三人、化学賞一人の四人の快挙だと、なんだかんだと暗い世の中にまるで花火のような賑わいになっている。

 別に派手に騒ぎすぎているからへそを曲げようというのではない。別にノーベル賞だけが世界に評価される研究の証だとは思わないけれど、それでも一番分かりやすい評価でありその対象者の中に日本人が四人も含まれていたことはまさに快挙だと言ってもいいだろう。

 ただ日本中がはしゃいでいることに水を注すつもりはさらさらないけれど、「日本人四人」の表現がどうにも気になって仕方がない。四人とも日本生まれであり、日本に育って日本の大学を卒業したことに違いはないようである。だがテレビや新聞で彼等の経歴を読んでみて、全員を日本人だと言い切ってしまっていいのかどうかが疑問になってきたのである。

 日本人としての定義をどこに求めるべきかは、人によって意見が違うかも知れないけれど、基本的には国籍によるべきではないかと思ったのである。様々な理由によって複数の国籍を持つ者がいると聞いたことはあるが、世界中の多くの人は一つの国籍を持つ者であろう。

 そして今年のノーベル物理学賞を受けた南部陽一郎氏は、1954年にシカゴ大学へ行き1970年にアメリカ合衆国に帰化しているのである。つまり彼は40年近くも前から日本人ではなくアメリカ人なのである。
 ついでに言えば化学賞を受けた下村脩氏は1960年に渡米しているけれど、国籍はまだ日本のままである。

 つまり国籍を基準にするなら、今年ノーベル賞を受けた日本人は四人ではなく三人と言うことになる。日本で生まれ育ったんだから日本人と言ったっていいじゃないかと思わないでもない。それが恐らくマスコミの意識の中にあるのだろう。第一四人とも日本人の顔をしてるじゃないかみたいな感覚がそれを後押ししているのかも知れないけれど、それでもマスコミがこぞって日本の快挙騒ぎにはしゃいでいる姿を見ていると、どこかでへそを曲げたくなってしまうのである。

 そうした快挙騒ぎは、一つには日本社会の閉鎖性を示しているのかも知れない。つまり、そうした事実は逆に日本で生まれただけでは日本人になれないことの裏返しでもあるのだろう。日本人女性から生まれたはっきりと混血と分かる子供が日本社会から疎外され続けることの多い事実を、私たちは様々な形で知ることができるからである。

 他方、日本に帰化する外国人も多い。帰化によってその外国人は日本国籍を取得し、そして日本人になる。だが、そうした日本人の多くが日本社会に日本人として受け入れられないことの悩みについて語っている姿を何かの機会に知ったことがある。
 大阪弁や秋田弁をぺらぺら話し、日本人よりも日本語や日本の習慣を理解し、日本に帰化したことを伝えても、彼等は決して日本人として理解されることはないというのである。カタコトで話すのは日本語を勉強している外人であり、日本語ペラペラの外国人は、どんなに努力しても「変な外人」にしかなれないと言うのである。

 日本人には「日本の本質が外国人なんぞに分かってたまるか」と言った抜きがたい驕りがある。そうした場合の日本人とは、あくまでも日本に生まれ、日本の顔をした日本人を指している。こうした排他性は島国として歴史的にも長く海という天然の要塞に守られてきた日本という国土の特異性からくるものなのかも知れない。

 ただ他所者(よそもの)と身内を峻別して、そこに共同体意識を作ろうとする閉鎖性は、他者への理解と言う根本的な思いの欠如を示しているような気がしてならない。そうした排他性、閉鎖性は日本人だけでなく、領土を基本とする世界の国々の国民性に、あたかもDNAのように染み付いているのかも知れないけれど、「変な外人」としか捉えられない日本の風土には、そうした気配が一層色濃く表われているような気がする。

 今日、今年の文化勲章に他の人たちの混じって南部氏以外の三人が選ばれたとのニュースを聞いた。南部氏が除かれているのは彼がアメリカ国籍だからなのだろうか。それにしては文化勲章受章者の中に日本文学で造詣の深いドナルド・キーン氏が含まれているし、彼は私の知る限りまだ日本には帰化していなかったような気がしているから、それが正しいとするならどこかで整合性がとれていないような気もしている。もちろん仮にキーン氏が日本に帰化していたとしても、彼を日本人として我々が向こう三軒両隣の仲間に対すると同じ目線で理解できるかとはまた別なのかも知れないけれど・・・。



                                     2008.10.28    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



変な外人