北京オリンピックが日曜日の8月24日に終わった。開会式が8日の金曜日だったからほぼ二週間である。テレビでは「終わって残念」みたいな表現の報道一色だけれど、私個人としてはホッとしたと言うのが実感であった。
 開催期間中、テレビはオリンピック報道ばかりになって、もともとスポーツ番組にそれほど興味のない私にとっては回すチャンネルのことごとくが同じような番組になっていることにいささか閉口していたからである。

 まあ、普段から日本人の平均に合わせてスポーツ番組が提供されているのだろうし、特にオリンピックなのだからそれだけ人気が高いだろうことをどうのこうの言いたいのではない。それは単純に「嫌いならテレビを見ない」ですむことだからである。
 ところがどうもこの北京オリンピックでは、スポーツ大会というイメージ以上に開催国の関わりと言うか対応の仕方がどことなく気になってしまった。

 それは各種の競技内容というのではなく、主として開会式、閉会式の進行についてであった。もっともその背景には私自身がオリンピック競技そのものを見る機会が極端に少なく、かろうじて開会式と閉会式くらいしか付き合わなかったことに原因があることは言うまでもない。

 さてその式典であるが、様々な趣向が凝らされていた中にマスゲームがあった。統制のとれた一糸乱れぬ大人数による群舞は、なるほど見事であった。ただどうしてもその美しさの分だけ、すきま風のように寒々とした思いが忍び寄ってくるのをどことなく感じていた。

 それはそうしたマスゲームの統制のとれた行動が、どこかで戦争の思い、もっと具体的には軍隊の行進のイメージにつながるような気がしたからである。色とりどりの動きがきちんとしていればいるだけ、ミスのない正確な動きであればあるだけ、どこかで整列し、一斉に挙手し、足並みを揃え、銃を肩に行進する軍隊のイメージがその華麗に踊る姿に重なってきたのである。

 それは開催国が中国だからそう思うのかも知れない。それを弾圧と呼ぶのか、それとも圧制と呼ぶべきか、単なる国内問題として片付けてしまえるものなのか必ずしも私の中で整理されているわけではないのだが、チベット問題を始めとする国境や貧富や民族問題などを巡る紛争はオリンピック開催期間中であっても噴出し、その報道は政府によるコントロール下に置かれて何事もないように糊塗された。

 そしてそうした装いは結局、警察力であるとか軍隊による力を背景になされていることは、例えばウイグル自治区で起きた襲撃事件を取材している外国人記者への拘束や妨害が国家権力の下になされたことなど数少ない報道からも読み取ることができた。

 「整然」にはどうしても軍隊のイメージがつきまとう。それはどの国も行うであろう様々な軍事パレードなどから抱く私の身勝手な偏見かも知れないし、軍律の基本に「整然」があることは、軍隊としての必然であることを理解できないではない。だがオリンピック期間中に起きたグルジアにおけるソ連軍の侵攻、またぞろ不安定になってきたアフガニスタン問題などなど、「整然」による制圧と破綻と弱者にしわ寄せされる悲劇など、力による支配が世界のいたるところで見られる現代になった。

 そうした不安定をよそに、これでもか、これでもかと鳴り響く華麗、豪華、絢爛、きらびやかなオリンピック閉会式の花火の連打の中に、国家の威信だとか国力の誇示だとか、更にはこうしたマスゲームのための人員の動員や整然とした演出をやり遂げられる国の実力そのものに、どことない背筋の寒さを感じつつ夜も遅くなってきた中継を見終わることなくテレビのスイッチを切ったのであった。「整然」は依然として続いており、まだまだ続くように思われた。
 開会式でも中国の56民族を代表するとした衣装行列が実は漢族の子供が扮したものだったとか、会場で歌う美しい少女の声が実は吹き替えだったとか、花火の映像の一部がコンピューターグラフィックだったなど、演出と言ってしまえばそれまでではあるけれど、その事実がマスコミにばれてしまってから演出だと開き直るなどどこか後味の悪さが残ってしまった。

 そしてこれもやっかみかも知れないけれど、「中国金メダル51個、アメリカを押さえ世界一」の報も、例えば卓球でも国家戦略の結果によるものなのか選手が世界に散らばっていって、オリンピックがまるで中国人同士による世界大会みたいな様相を呈しているなど、どこかいびつな中国があちこちに垣間見られるような気がしてならない。

 閉会式は終わったけれど、帰国したメダリストなどを巡ってテレビ報道の後遺症はしばらく続くことだろう。日常が戻ってくるにはもうしばらくかかるだろうけれど、ともかくもオリンピックが終わったことは喧騒から一歩離れることであり、私の時間が戻ってくることでもある。テレビ中毒になっているとは思いたくないのだが、何にしても「やれやれ」である。



                                     2008.8.26    佐々木利夫


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オリンピックが終わった