今年も原爆投下、そして敗戦へと続く8月がやってきた。戦争や原爆についてはこれまでにも何度か書いてきたけれど、どこか自分の中で不毛を繰り返しているような気がしてならない。8月15日は終戦というか敗戦というか、63年前の昭和20年に昭和天皇のラジオ放送、そしてポツダム宣言受諾表明を契機として日本の戦争が終わった日である。

 ところでそれとは逆に戦争が始まったのは昭和16年の12月8日である。私の生まれたのはこの前の年ではあるけれど、まだ一歳少々の赤ん坊だった私にそうした記憶のないのは当然である。
 この日、つまり12月8日は日曜日だったらしい。午前7時、ラジオはこんな風に戦争の始まりを伝えたと言われている。

 「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部発表。12月8日午前6時、帝国陸海軍は今8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリスと戦闘状態に入れり。」

 この放送はNHK館野守男アナウンサーによって、午前中に5回繰り返されたと伝えられている。

 この開戦情報について私はきちんと理解しているわけではないけれど、様々な見解があることは長じて知った。実質的な開戦はこの攻撃以前であったとされる説や、この攻撃についてアメリカは既に情報を入手していたのだから宣戦布告のない不意打ちだったとするアメリカの非難は的外れであるなどなどの話しである。

 ところで私はここでそのことを書きたいと思ったのではない。下らない思い付きだと言われればそれまでの話だし、そのことが戦争や戦争の解釈に何らかの影響を与えたのかと問われるならば、それに対する自信もないほどの瑣末な話である。
 さて私の知っているこの日米開戦に関する基本的な知識の一つにこんな物語がある。「日本が真珠湾にある米軍の基地を攻撃し被害を与えた。米軍はこの攻撃に対し『真珠湾を忘れるな』を合言葉として米国民の国威の発揚を図った」とするものである。

 日本が真珠湾攻撃をきっかけとして第二次世界大戦に突入したことは、特に検証の必要もないほど当たり前の出来事として私たちの中に定着しており、私自身もそれを疑うことなどなかった。
 ところが変なことがきっかけでなんとなく引っかかることが起きてしまった。それは日本の開戦とはまるで無関係の出来事からであった。
 いつ頃のことだったろうか、私はそれをテレビでしか見たことがないのだが、「横浜ベイブリッジ」と言う言葉が巷に流行りだしてきた。歌に、夜景に、デイトスポットにと、テレビのニュースやドラマなどを通じてこの言葉がやたら耳に届くようになってきた。

 一番耳にしたのは「横浜ベイブリッジ」(平成元年竣工とされている)だったと思うのだが、続いて「青森ベイブリッジ」(同平成4年)などもアピールされるようになってきた。だからと言ってそのことに私は特に何の感慨もなかった。ブリッジが「橋」の意味だくらいは知っていたものの、「ベイ」については言葉としても知らず、また特に知りたいと思うことすらなかった。橋の名前に何かの外来語みたいなものをくっつけたのだろうくらいの無関心さであったとも言える。

 それが「ベイ」とは「湾」のことだとしばらく経ってから知った。知ったところで無関心に変化の起きるわけでもない。湾に橋がかかっただけのことだろうくらいの意識であり、そんな橋なら北海道にだって室蘭噴火湾には「白鳥大橋」、厚岸湾にも「厚岸大橋」があるんだから、北海道から遠く離れている「横浜ベイブリッジ」に特別な興味を寄せるほどのことでもないからである。

 そしてしばらく経って、「橋」とはまるで別のことで「真珠湾」と言う言葉が出てきたときにふと思ったのである。「あれっ、真珠湾って英語でパールハーバーと呼ばれていたんではなかっただろうか」と。
 とたんに気になりだした。少なくとも私の中では真珠湾に連なる言葉の中に「Remember Pearlhorber リメンバー パールハーバー」があり、パールが真珠だから、ハーバーは「湾」だと無意識に覚えこんでいたからである。「ベイ」が「湾」ならハーバーは何だろうと辞書を開いてみるとなんと「港」とあるではないか。

 「湾」とは海に向かって弓状に開いている、まさに湾曲した陸地の形状のことである。一方「港」とは地形ではなく、天然の漁港などと呼ばれる場所もないではないけれど、船舶などが接岸するために設けられたどちらかと言うと人工的な施設のことである。空港にも港の名称がつけられているけれど、その話は切り捨てる。ともかくも「湾」と「港」はまるで異質なものである。

 それでパソコンで真珠湾の地図を調べてみることにした。最近のネット環境は素晴らしく、世界中のどんな場所でも戸建ての住宅が分かるほど詳細な航空写真付きの地図検索が可能である。世界地図からハワイを絞り込む。仮に真珠湾と言う地名が現実に存在しており、そこに作られた真珠港と言うのであれば、東京湾と東京港を例にあげるまでもなくなんの不思議もないからである。
 パールハーバーの名称はハワイ諸島オワフ島に今でも存在していた。ホノルルの西約10キロ、南に開いた入り江の奥に、現在も観光施設として人気があるのだろう日米開戦に連なる多くの記念館、博物館などとともに表記されていた。だがパールハーバーあったけれどその港のある海に「パールベイ」の名称は見当たらなかったのである。つまり、真珠港はあったけれど、真珠湾の名称はどこにもなかったと言うことである。

 しかもこれは私の感覚でしかないのだが、地図を見る限りこの地はどう見ても「湾」などではない。「湾」と言う言葉に私は海に開かれた弓状の海岸をイメージしているから特にそう感じるのかも知れないけれど、ここはどう見ても奥まった単なる入り江であり、そこを米軍が軍港つまり「港」として使っていただけであって、航空写真を見てもその海域全体が湾と言うようには見えないのである。

 仲間数人にこのことを聞いてみた。ハワイへ旅行に行って真珠湾の観光施設などを何度も見てきたと言うつわものにも聞いてみた。だが「湾」と「港」の違いに気づいている人は誰もいなかった。「言われて見ればそうだよな・・・」とは言ってくれるものの、歴史をひっくり返すような特別な話題でもなく、残念ながら話はそのまま途絶えてしまう。

 ネットでも少し調べてみたのだがあんまり良く分からなかった。「『パールベイ』なる地名は存在しないこと、日本軍のパールハーバー攻撃を発信した外電の翻訳を日本の新聞が誤訳したのではないか」などの意見が数点見受けられただけであった。

 考えてみれば「真珠湾」と呼ぼうが「真珠港」と表現しようが、そのことによって歴史の解釈であるとか戦争の意味や事実関係などに違いが生じるわけでもない。つまりはいわゆる「どっちだっていいじゃない」ことなのかも知れない。それはそうなんだけれど、私にとって見ればどこか落ち着かない気持ちにさせる奥歯に挟まった厄介な残滓ではある。どうやらこうした疑問についてはこれからもしばらく尾を引きずったままになりそうである。

 そしてこれもまた蛇足になるかも知れないけれど、アメリカ大統領が発したとされ、それが以後の日本との戦闘に対する米国民の国威発揚の原動力ともなったとされる「リメンバー パールバーバー」の訳もまた少し気になっているのである。パールハーバーは事実として存在している地名だからそれはいい。ただ気になるのはこの「リメンバー」についてである。私はこの言葉を迷うことなく「真珠湾を忘れるな」における「忘れるな」の意味だと思い込んでいた。
 この際ついでである。「remember」を何点かのネットの翻訳サイトへ入力してみた。ところが出てきた日本語訳はなんといずれも「覚えていてください」、「記憶せよ」などであり、「忘れるな」との意味などまるで含まれていなかったのである。ここまできたら意地のついでである。「忘れるな」も英訳させてみることとした。出てきた答えは「Do not forget it」であった。つまり「忘れる」は「フォーゲット」であり、「リメンバー」とはまるで別な言葉だったのである。

 僅か数語の文章であるにもかかわらず、私の知っている常識みたいなものとはまるで異なった世界のあることを知らされた。そうした事実が私の持つ歴史観や価値観にそれほど影響をもたらすとは思えないけれど、こんな数語の世界にも私の未知がこんなにも含まれていたことに、「世の中まだまだ知らないことだらけ」であること、そして知る楽しみには尽きないものがあることなどを改めて感じさせてくれたのである。

 そしてこれは考え過ぎかも知れないけれど、この真珠湾にまつわる数語にはもしかしたら何かの情報操作みたいな意図が隠されているのではないかと、こんなところにもへそを曲りは勝手な思いを巡らそうとしているのである。



                                 2008.8.5    佐々木利夫


                     トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



真珠湾?