テレビでも新聞でも、見るもの聞くものの多くにどことない不満を感じてしまうのは、私自身が老齢化していってこころの許容範囲が狭くなっていることの表れだと理解してはいるつもりなのだが、気になるものはやっぱり気になってしまう。

 先月の朝日新聞に載った、美術館らしい会場を訪れた67歳の夫婦の投稿である。

    入場料 1500円×2人    3000円
    音声ガイド            500
    目録               2500
    交通費二人           2500
  
(これで8500円になる。)これに昼食に立ち食いソバを食べるだけで一万円超が消えた。一万円は老夫婦の食費一週間分だ。・・・せめて入場料にシニア割引を設けて、前売り並みの1200円に下げて欲しい(朝日、11.29、声)。

 私はこの老夫婦の言い分が分からないと言うのではない。少しでも割引してもらえれば、それだけ家計の助けになるという主張はそれなり理解できる。そんなに毎日美術館通いをしているわけではないだろうけれど、そうした趣味を夫婦で共有し揃って出かけている姿には微笑ましいものさえ感じる。

 だが1500円の入場料金をシニア割引で1200円にして欲しいとの訴えと、そうした美術館通いの費用が夫婦の一週間の食費に匹敵するとの主張とはどこか咬み合わないように思えてならなかったのである。
 その食い違いの背景は、シニア割引の要求と週一万円の食費を直接対比させてしまったことにある。投稿者の言う「一週間の食費」が象徴する意味は、記念日などに普段では味わえないような豪華な食事をするような費用のことではなく、食べることそのもの、つまり生きることをダイレクトに示唆する毎日の食事のための費用のことである。

 「食べなければ人は飢える」、そうした重いテーマをこの投稿者は、一人300円の美術館の入館料シニア割引にぶつけてしまったのである。そして300円×2人の計算だけでは飢えの重さに不足すると考えたのだろう、少なくとも割引を要求していない運賃や目録、果ては昼食代まで加算して「合計1万円」にまで支出額を膨らませてしまったのである。

 もちろんシニア割引だけでも、300円を30数回繰り返すなら1万円にはなる。だが投稿者は一人で30数回、夫婦でなら16〜7回もの美術館通いの積み重ねによる1万円の食費との対比には、割引の要求としてはいささか迫力に欠けると思ったのだろう。
 そこで無関係とは言えないにしても要求とはまるで結びつかない支出を付け加えることで、1万円のイメージを無理やりに作り上げてしまったと思えるのである。

 「老夫婦のささやかな楽しみである美術館見学のために必要とされる、昼食代も含めた諸費用のすべてにシニア割引を・・・」との要望であるなら、それが一般人として誰もが納得できる理屈かどうかはともかく、それなり一つの筋が通った主張だと思えないでもない。
 だが一人300円の割引を要求するのに割引とは無関係な費用まで加算して1万円にかさ上げし、更にその1万円を一週間分の食費に対比させるという形をとってしまったことは、シニア割引の要求としては論理の破綻にを招く結果になってしまっているのではないだろうか。

 そしてもう一つ。具体的な金額の表示があるのは8500円までである。これに立ち食いソパ二つを加えて投稿者は合計1万円超と計算している。私は現在の東京の駅の立ち食いソパの相場をまるで知らない。だから勝手な憶測になってしまうのだが、どう考えても私には立ち食いソバ一杯が750円以上もするとは思えないのである。一食何千円、何万円もする料理のあることを知らないではないし、原材料や燃料や人件費などによる最近の物価の上昇が駅に立ち売りの価額にまで影響している可能性もないではないだろう。

 こんな書き方をすると駅の立ち売りを馬鹿にしているのかと批判されるかも知れないけれど、若い頃からの貧乏旅行の経験から作られた私の抱く駅の立ち食いソバに対するイメージは、「世の中で一番安くて手軽な食堂」なのである。
 ネットで検索してみた結果によれば、地域によって異なるだろうけれど、かけソパ270円、月見320円、蒲田のかき揚げソバ270円、東京駅の海老天ソバ450円などが出てきた。更新日を確かめないでの検索だし、この額が最新情報であるとの保証はないけれど、ざっと見た限りでは700円を超えるようなメニューは一つも見当たらなかった。

 恐らくこの老夫婦は、駅の立ち食いソバのほかに例えば喫茶店に入ったのかも知れないし、または食べたのがもしかしたらソバではなくて回転寿司だったかも知れない。ただ少なくともこの夫婦の支出が、単なる美術館と立ち食いソバの組み合わせのみによるものでなかったことだけははっきりしていると言ってもいいのではないだろうか。

 だからこの投稿にはどこかに誇張や嘘があると思えてならないのである。750円の昼食代だってそんなに贅沢な額だとは言えないだろうし、立ち食いソバの内容に多少の誇張があったとしても目くじらを立てるほどのことではないとも思う。ただ、こんな誇張が見え透いてしまうと、この夫婦の要求している「週1万円の食費と300円のシニア割引の要求」と言うストーリーが、どこか胡散臭く身勝手で、そしてねじ曲げられた「弱者たる老夫婦像」、「つつましやかで貧しい老人のささやかな楽しみたる美術館回り」などと言った正論への誘導もしくは捏造じみた意思をそこに感じてしまったのである。



                                     2008.12.26    佐々木利夫


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老夫婦の身勝手