何か新しいことをやろうとするときに、必ずと言っていいほどでてくる言葉にこの「それよりも、先にやることがあるだろう」に結びつく反対論の出てくることがある。
 この言葉が厄介なのは、それが多くの場合正しいことである。そして同時にその正しさが多くの場合実現不可能であるか場合によってはその実現が見果てぬ彼方にあることが多いことにある。

 増税論議が出てくると国費の無駄遣いや入札制度の談合の排除などが真っ先に主張される。つい先日、日本中で使われる白熱電灯を蛍光灯方式へ変換して温室効果がスの元凶とされている二酸化炭素の削減に資するという話が出たときも、街中にあふれる自販機の撤去、明るすぎる店舗などの照明の無駄、だらだらと続いている残業の廃止などなど、「先にやることがまだまだあるだろう」との解説がなされていた。

 そうした言い分が間違いだとは思わない。恐らくは正論であることに違いはないだろう。だからと言って、そうした「先にやるべきこと」をきちんと片付けてからでないと新しい試みには手を出せないとする理屈にはどこか納得できないものがある。

 この4月から高齢者(65歳以降)の医療を国民健康保険などから切り離して独立した医療制度が設けられた。特に75歳以降の老人に対してはその名称を「後期高齢者医療制度」と呼んで、保険料の年金からの天引き制度が実施された。
 名称そのものが老人蔑視だとする意見もさることながら、説明不足だの、保険証の交付ミス、年金からの天引きのミス、保険料の計算間違いなどなど、いわゆるマイナス評価とも言われるべき事象が全国的に発生した。

 そうしたミスそのものが許されないのは当然のことではあるのだが、だからと言ってそうした老人医療にかかわる改革の様々を、「もっと先にやるべきことかあるだろう」の一言であっさり否定してしまう論評みたいな意見が、またぞろ繰り返される現象にはどうもしっくりこないものを感じてしまう。

 しかもそうした「先にやるべきことがあるだろう」の背景には「老人を大切に」などと言った情緒的な感情論がべったりと張り付いている。そして老人の負担の増加を考える前に税金や保険料の無駄遣いをなくすることが先だろうとも付け加える。

 老人医療をどうするかは、私自身が前期とは言えど高齢者医療制度に組み込まれている世代だから他人事ではないし、今後増加する一方の高齢者、そして少子化が進む中で高齢者を支える世代が減少していっている今の時代にとって、避けて通れない緊急のテーマである。
 増加の一途を辿り、破綻すら見え隠れしている老人の医療制度を誰がどんな形で維持し費用を負担していくのかは、目の前に迫っている避けることのできないテーマである。

 だから国は高齢者医療制度を新しく発足させたのである。もちろん、老人医療を公費(国、都道府県、市町村の税金)で50%、若年者からの支援金で40%、残りの10%を老人自らが保険料として負担すると言うこのシステムが、どこまで神通力を持っているかは更に検証されていくべきだろう。
 他にどんな制度が考えられるのか、もっとベターなシステムはないのか、費用の負担や配分はこれでいいのか、医療費そのものの支出を押さえる方法はないのかなどなど、検討していくべき項目は山積しているだろう。だからと言って「先にやるべきこと」がきれいに実現するその時まで、問題点を先送りしてしまっていいということにはならないはずである。

 確かに税金の無駄遣いも多いだろうし、働かない公務員だって存在しているだろう。公金の意味を理解せずに自らの利益のために使うような輩や社会保険診療の不正請求をやっている病院だって存在しているかも知れない。だからそうした様々の問題が解決されたならば、保険料をもっと安くすることができるだろうし、老人が安心して治療を受けられるような質のいいシステムの構築だってできるかも知れない。
 だが私には、例えば税金の無駄遣いをなくするというそのこと一つを取り上げてみたって、それを完遂することなど見果てぬ夢のような気がする。

 だから私にはそうした「もっと先にやるべきことがある」との言い分が、見果てぬ夢を人質にとった単なる先送り論にしか過ぎないのではないかと思えてならないのである。
 確かに「税金の無駄遣い」論はあらゆる要求に応えられる万能の特効薬である。これが成し遂げられれば国はたっぷりの余裕資金を手に入れることができるかも知れない。にもかかわらず、私にはその特効薬は決して手に入れることなどできないのではないかと思ってしまうのである。

 「先にやるべきこと」を、実現が困難なのだから無視し放置したままで先に進もうと言うのではない。それだって「やるべきこと」に違いはないのだから。ただ、拙速であっても目の前のことに関わりつつ「やるべきこと」へも視線を向けることが、それこそ「まずやるべきこと」なのではないだろうかと思っているのである。



                               2008.4.23    佐々木利夫


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