松尾芭蕉が若かりし頃独学したとされる書物の中に「荘子」があったと言う話をどこかで聞いた。それまで私は「荘子」と言う人物はおろか言葉としてもほとんど知らなかった。荘子だけではない、孔子だって老子だってほとんど似たようなものだし、「孟母三遷」など少しは身近かな話しとして知っている孟子にしたところで、諺そのものに重点が置かれ、「そう言う思想家がかつて中国にいた」程度のお粗末な知識でしかない。

 「荘子」は知識として皆無だったこともあって、どんな思想家だったのか少し覗いてみようかとの興味を持った。手始めにネットで札幌市立図書館の蔵書検索を試してみた。さすが大思想家らしく、市内の各図書館分館などにかなりの数の関連図書が見つかった。
 ただ彼の著作の集大成となると、かなりのヴォリュームになることが分かってきた。どちらかと言えば荘子への興味は気まぐれの部類に入る私である。「荘子徹底研究」だとか「荘子完全読破」などの大げさな意気込みは最初から欠如している。

 だからと言って百科事典の人名解説程度でお茶を濁すのも少し物足りないものがある。そこで「一冊で簡単に荘子が分かる本」みたいな物臭さへの道を選ぶことにした。それが「老子・荘子」(森三樹三郎、講談社学術文庫、1994年、以下「前掲書」と略記する)であった。文庫本ながら小さな文字でけっこうな厚さもあるので、じっくりと読み通すことにあんまり自信はないが、気の向くままにページをすっ飛ばしたり斜交いに文字を追うのも一つの読書の方法である。したがって「荘子を理解した」などとは決して言わないつもりでとりあえずこの本に挑戦することにした。

 とは言っても著者がまえがきに「この政治に背を向けた老荘思想が、官界に入れられなかった不適の知識人、いわゆる隠子(いんし)によって歓迎されたことは、もちろんのことであろう」(前掲書P5)と書いていたことで、私にも内在しているへそ曲がりの気配が老子・荘子の思想の中にもありそうだと分かり、少し興味が湧いてきた。

 言ってみれば荘子の書とは哲学書であり、今から2千数百年前に書かれたものである。安易な理解などたとえ翻訳書を読んだところで覚束ないことくらい自分の実力からして当然のことではある。ただパラパラ拾い読みしてみた感じでは、彼の死生観であるとか、運命観、政治、倫理などなど、人生の多岐に亘る様々が、比較的分かりやすい寓話のような形で綴られているので、比較的とっつきやすいのかなとの感触を得た。それぞれをきちんと理解することなど私には荷が重そうだけれど、独断にしろ理解の入り口に立つことくらいのいくつかには届きそうである。

 全体像をひっくるめて話すような理解も器用さも持ち合わせていないので、気のつくままに紹介しよう。幸い、荘子の文章は比較的短い警句・寓話もどきの連なりでもある。そしてそうした中には私が荘子の文章とは知らずに使っていたいくつかも見つかったのであった。

 最初に驚いたのは「朝三暮四」の話しであった。これについては既にこの場で発表しているので(別稿、「朝三暮四」参照)改めてここへ書くことはしないけれど、荘子の内篇2、斉物論篇(せいぶつろんへん)の中に収められていることを知ったのは驚きでもあった(前掲書P185)。

 その次に驚いたのは、わたしが普段何気なく使っている言葉が彼の書からのものであったことであった。それは「混沌」の語である。少し長くなるけれど面白い話なので引用してみたい(慣用では「混沌」、老子の書では「渾沌」となっているが同じ意味である)。

 混沌に七つの穴をあけて殺す
 南海の帝を?
(シュクと読む漢字らしいがパソコンには含まれていない書体なのでご容赦を)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を渾沌(こんとん)という。
 あるときシュクと忽とが、渾沌のすむ土地で出会ったことがある。主人公の渾沌は、このふたりをたいへん手厚くもてなした。感激したシュクと忽とは、渾沌の厚意に報いようとして相談した。
 「人間の身体にはみな七つの穴があって、これで、見たり、聞いたり、食ったり、息をしたりしている。ところが、渾沌だけにはこれがない。ひとつ、穴をあけてやってはどうだろうか」
 そこでふたりは、毎日一つずつ、渾沌の身体に穴をあけていったが、七日目になると渾沌は死んでしまった。(内篇7、応帝王篇、前掲書P212)。


 混沌とは辞書をひもとくまでもなく「定まらないこと、結果がどうなるかつかめない状態」のことであり、宇宙の始まりであるとか、優劣のつけがたい試合の行方などに使われることが多い。英語ではカオスと言うらしいが、数学などにも使われる割と一般的な言葉である。私も「何がなんだか分からないように状態」を示す用語として無意識に使うことが多い。

 私が驚いたのはこの混沌が荘子の書から出てきた言葉だったこともあるけれど、渾沌と呼ぶ生物に目や耳や鼻や口をつけたとたんに死んでしまったという話の方であった。
 荘子がこの場で何を言おうとしたのか私に必ずしも理解はできていないし、残念なことに今読んでいる著書にもその解説はなされていなかった。

 ただ私はどことない警告じみた感触をこの文章から受けたのである。人は多くの情報をこの七つの穴から得ている。触覚なども大切だとは思うけれど、人の知識の多くは目2、耳2、鼻2、口1からの入力によるところが多いだろう。人はもしかしたら知識を得ることで間違った方向へと進むことがあることを荘子は警告したかったのではないだろうか。
 情報の過多は人間そのものの混乱にも通じているような気がする。知識を詰め込むことが大切なのだと人はこれまでの長い間疑うことなく思い込んでいた。それが人としての望ましい姿であり、人としての繁栄につながるのだと信じてきた。だが本当にそうなのだろうか。知識を得ることで人は本当に人間らしく生きることを学んできたのだろうか。知識の蓄積が現代の地球の紛争であるとか環境汚染などの数多の混乱を少しでも解決することに役立ってきたのだろうか。混乱は一層の混乱を招き、地球はまた混沌の昔に戻ろうとしているのではないのか。そんな警告を私は彼のこの話に感じるのである。

 荘子の書は、内篇「上空をとぶ大鵬からみた地上の姿」(前掲書P173)から始まる。「はるかな大空をかける大鵬(おおとり)の目から見れば、この地上の小さな差別の姿は消えさり、ただ青一色にみえるだけである。無限の高さからみれば、すべての相対的差別は消失する」との意味であると解説されている。
 差別もまた人類の抜きがたい特質である。自らを霊長類と称して生物のトップに位置させていることへの驕り、人種、貧富、優劣、上下、美醜などなど・・・、人はあらゆる面において他者を差別することの中に生きている。人類皆兄弟だとか、身分上下の隔てなくだとか、人の上に人を作らずだとか、人民の人民による人民のために、国民の目線に立って・・・など、人が平等であることを示す言葉は多い。だがそれはまた人が平等でないことをも示している反語であり、差別から人が抜け出せないでいる現実をも示している。

 そして読み進んでいくうちに、この書から広まった言葉が日本にもけっこう多いことに気づいたのである。例えば「井の中の蛙、大海を知らず」は、外篇17秋水篇の「邯鄲の歩を学ぶ」の中に見つけたし(前掲書P229)、蝶となった夢から目覚めて、夢が現実か現実が夢かと自問する「胡蝶の夢」の寓話も内篇2斉物論篇に見つけた(前掲書P192)。

 この書には架空も含めて動物の登場が多い。イソップ物語と類似しているなどと言ってしまったら、天下の哲学書に申し訳ないかも知れないけれどけっこう面白い話が載っている。
 例えばどんな美人だって動物にしてみれば恐ろしい人間の一人に過ぎないとする話しであるとか(内篇2斉物論篇)、人間にも手足の奇形があるが過剰な才能や独特も奇形の一種であって、使い方によっては迷惑である。鶴の足を短く切ったり鴨の足を無理に引っ張ったりと無理強いをすることなく、自然から与えられた姿のままに生きるのが良いとする話(外篇8)などなと゜、このほかにも魅力ある物語が多く含まれている。

 たまさかに巡りあった荘子であるが、二千数百年の時を越えて語りかける多くをこの本から感じることができた。そう言えば論語は孔子の言葉や行動を弟子たちが記録したものだと言われているが、孔子、老子、孟子などなど、私は名前だけでまるで知らないことだらけである。知らないことを恥だとは必ずしも思っていないけれど、未知の山々がまだまだ高く険しく立ちはだかっていることに少しの悔しさ、挑戦への楽しみなどを感じながらこの本を閉じたのであった。



                                     2008.8.12    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



荘子聞きかじり