たばこをやめて何年になるだろうか。私が成人になる頃、「たばこは動くアクセサリー」だとか「今日も元気だ、たばこがうまい」などのコマーシャルが流行していて、まあタバコは大人になるための一種の通過儀礼みたいな風潮もあったから、紫煙をくゆらすスタイルに自らを浸そうとするのにそれほどの時間は必要なかった。

 そのタバコをやめたのは吸い始めて20年ほど経ってからだったと記憶している。まだ肺がんだの成人病だのにそれほどタバコが重大な影響を与えているとの風評も立証も少なかった時代だったから、禁煙した動機は恐らくタバコの値上げかそれとも職場の仲間との思いつきの禁煙ゲームみたいなものだったのではないかと思っている。

 「禁煙くらい楽なものはない。なぜなら何度でもできるから。」と皮肉られている禁煙ではあるけれど、その禁煙からもう少しで30年になろうとしている。しかも何度も禁煙を繰り返した結果としての成功ではなく、その時の禁煙がそのまま続いているのだから一種の快挙でもある。

 そのタバコが嫌煙権だのと称する何やら個人の嗜好からは離れた次元の問題へと徐々に移行していって、最近では公共施設や通勤電車から喫煙者が追い出され、家庭でも夜のベランダで一人赤い火を点滅させる風景から「蛍族」などと呼ばれるような肩身の狭い状況になってきている。

 まあ、私にとって見れば禁煙してから数十年を経ていて、いわゆるニコチン中毒からもすっかりと離脱が出来ているから、どんなに喫煙者がいじめられようとも無関係な第三者面ができようというものである。

 ところでそのタバコを一箱千円程度に値上げしてはどうかと言う話が国会議員(超党派の『たばこと健康を考える議員連盟』)あたりから出てきているようである。アメリカを始め諸外国でも既に700円から1000円というケースがあって、日本のタバコの値段は安すぎるのではないかとの思惑らしい。もちろん、値上げの分はがっちりと税金としていただくようで、仮に喫煙者が減少したとしても結果的には増税効果があると踏んでいることは諸外国の狙いと同じである。

 私は喫煙しないグループに完全に入ってしまっているから、一箱が千円になろうが二千円になろうが直接的な利害関係はない。利害関係がないということは逆に無責任、無関心ということでもあり、「やるならどうぞ」と冷淡なところも多くなる。

 そはさりながら、喫煙者にとってみればそう簡単な話ではないだろう。タバコが高血圧や肺がんなどの直接的な原因になるとか、更にはそうした症状が他の生活習慣病を誘発するなどと言われたって、タバコは嗜好の問題であり結果は自己責任だと言いたいだろう。
 つまり「自分の体がどうなろうと俺の勝手」であり、そうした俺の勝手に対して「政府だろうが、日本学術会議みたいな団体だろうが心配するのは余計なお世話だ」と言いたいこともよく分かる。しかもそのために非常識とも言えるような高額な値上げをするなど、もってのほかであると・・・。

 そうした動きに対してさっそく、経済アナリストと称する識者からの反論が出た(朝日新聞、08.6.26、17面、森永卓郎、『たばこ増税、本当に税収は増えるのか』)。
 ところで私は、彼のその意見を読んでどこか納得できないものを感じたのである。彼自身が「私は喫煙者だ」としているから、値上げ反対の視点から意見を展開していくことに異論はない。ただその視点がどうも喫煙する側の一方的な意見に偏りすぎているのではないか、どこか論理が破綻しているのではないかと思えてならなかったのである。

 彼はまず「値上げ前に思い切り買いだめして、後は買わないようにする」と言う。しかし買い溜めを前面に出したところで何の効果もないことは明らかだろう。それは単に値上げの時期の僅かな繰り延べにしか過ぎないのだから。タバコという消耗品に対して何年分もの買い溜めなどできるはずもないだろうし、仮に買い溜めをしたとしても長期間の品質保持など困難だと思われるからであり、それを国の施策の効果に影響を与えるほど国民全体に広がるとも思えないからである。

 彼はまた次の意見として喫煙者の減少と税収の関係について述べている。さる製薬会社の喫煙者9400人に対する調査によると、タバコが千円になったら79%が禁煙すると回答したそうである。それを使って計算すると千円タバコにしても税収は現在と変わらないのだそうである。
 しかもタバコの消費が8割減るということはそれだけ生産も減ることだから、生産に伴う経済的損失は8千億円にもなって、その10パーセントを税金とするなら利益の減少に伴って逆に税収が減るとの見解である。

 この方程式とその結果に反論するだけの材料を私は持っていないので、仮定にしろその事実を認めても構わない。ただ彼が言いたいのは、「だからタバコ増税反対」ということである。つまり企業の経済活動の規模と納税額の多寡を根拠に、その減少を根拠として値上げに反対なのだと主張していることは明らかである。
 でもちょっと待ってくれ。千円タバコの背景はそれによって税収の確保を図ろうとすることだけを目的にしているのではないはずである。

 しかも彼の主張は最初から変ではないだろうか。経済活動の規模を根拠にその活動の適法性を論ずることはできないはずである。麻薬だって核兵器の販売だって、それを合法としている国の存在を否定するつもりはないけれど、少なくとも民主主義の国民の意思としてそれらの経済効果が大きいことをもって合法とされることはないだろう。そして日本もである。

 またそれと同じく納税についても然りである。税は中立であると言われる。ある利得が合法か非合法かを問わずに理論的にそこに利得があった以上課税されるのが建て前である。その利得を国が違法として没収などの手段をとったときには利得そのものが消滅してしまうから課税は取り消されるであろうけれど、それまでは課税されるのが法治国家の租税である。
 だからと言って、租税を治めていることが当該利得を国が合法として認めたことの根拠になるものでないこともまた明らかである。

 つまりタバコにかかる経済効果や納税の多寡をもってタバコそのものへの規制を否定する根拠になるものではないということである。そんなことは殺人請負や麻薬販売、はたまた不公正な取引を行った個人や企業の活動なり営業を停止を命令する何の妨げにもならないはずであることを考えるなら当然に理解できるはずである。

 経済的効果の有無や納税の多寡などが企業規制の理屈にならないことは証明できたと思うのだが、だからと言って「余計なお世話」論まで消えてしまう訳ではない。自己責任に国がどこまで介入できるかは基本的人権の問題でもあるからである。
 「自分の体や健康といえども自分勝手は許さない」とする考えがどこまで認められるかは必ずしも私の中でもきちんと整理されているわけではない。「俺がタバコを吸って、俺が肺がんになり早死することのどこに国が介入する余地があるんだ」との考えには、それなり理屈があると思えるからである。

 だから私はギリギリ、この自己責任の理論は認めてもいいのではないかとすら思っている。これは「自殺もまた殺人として刑罰を科すべきか」と共通する考えでもある。現行刑法には自死そのものを犯罪として処罰する規定はないけれど、観念的には自殺もまた一つの殺人であると理解する余地は残されているだろう。

 だがタバコにこの「自己責任」の法理がそのまま適用できるものではない。タバコに関するジョークに、「いくら吸ってもいいよ、ただし吐き出すな」と言うのがある。私はこのジョークが大好きである。タバコには自分に対する健康被害のみならず、吸うことを望まない他人にまで同じような被害(受動喫煙)を与えてしまうからである。しかも単に喫煙者の吐き出す煙の問題に止まらず、くゆらしているだけで副流煙として吐き出す煙よりもより高い被害を与えるとも言われている。

 新聞での論者はこのことに何も触れようとしない。それは気がつかないからなのだろうか、それともタバコを吸う個人が自分さえ良ければ(自分さえタバコの被害を受忍する覚悟があるなら)、自分の吸うタバコが他人をどんなに傷つけようと知ったことではないとでも考えているのだろうか。

 そして彼は更にこんなことも言っている。
 「たしかに喫煙によって肺がんなどの発生は増えるだろうが、疫学調査によると、長期喫煙者の寿命は、そうでない人より数年短い。そうであれば、寿命の短くなった期間に発生する医療費は、確実に減少しているはずだ。また、寿命が短くなった期間の年金給付も確実に減少している。」

 私がどうにも納得できなかったのはむしろこの部分である。この理屈は計算式としては恐らく正しいだろう。喫煙者は非喫煙者よりも寿命が短く、そのぶんだけ医療費も年金も減少することだろう。
 だがそれが本当にタバコ値上げに反対する正当な理屈になると、本当に彼は思っているのだろうか。喫煙を起因とする肺がんやその他の生活習慣病の増加による医療費などの増加という因子を計算式に含めていないことを指摘したいのではない。喫煙者の早死にとは喫煙を望まない受動喫煙者の早死にでもあるとの視点の欠如があまりにもあからさまだからである。

 私は彼が「早く死ぬことで医療費、年金の面で社会に貢献する」ことを、タバコ値上げ反対の理論的根拠にしていることに、どうしようもない驕りと言うか絶望的な命の軽視、そしてここにもまた受動喫煙者の存在と言う現実的な被害などをまるで考えようともしない計算機だけのような人格をまざまざと感じてしまったのである。

 ともあれこの7月から全国で、「タスポ」なる成人であることを証明する専用のカードなしには自動販売機からタバコを買うことはできなくなった。カードの普及率は喫煙者の20数パーセントと言われているが、実は北海道には5月からこの制度が導入されていて、興味本位もあって私も申し込んだ。仲間にも、仲間の友人にもタバコは吸わないのにこのカードを持っている者がいるのは、けっこう野次馬根性が広がっているせいなのかも知れない。
 喫煙者ではないのだから分母にはカウントされず、逆に分子のカード発行枚数にはカウントされるというこの普及率という数値をいささかにしろ押し上げているという実質の伴わない宣伝効果への寄与に、多少の後ろめたさを感じないでもない。

 ところでこのタスポを実際に自販機で試したかとのお尋ねですか。はい、それはもう。いきなりマシンから「お金を入れてください」と女性の声で呼びかけられたのに驚き、あわててそのまま逃げ出してしまったのではあるけれど・・・。



                          2008.7.3    佐々木利夫


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