「私は14歳で銃を持った。怖いとは思わなかった」、そう語ったパレスチナ男性の言葉を新聞で読んだ(朝日、'08.5.23)。
 私がこの記事で感じたのは、銃を持って戦闘に参加したのが僅か14歳の少年だったということではなく、男の年齢が74歳だということであった。そして更に彼が今もベイルートの難民キャンプで生活しているという事実であった。

 何と言う彼の人生なのだろうか。74歳は長寿国といわれる日本だって老人である。その74歳を人生の終焉が近づいていると呼ぶのは軽率かも知れないが、銃を持つまでの14年間が平和で幸せな生活を送っていたとは到底思えないし、74歳からの生涯がアラジンの魔法のランプのように突然の平和と安穏に包まれた生活へと変化することもまた信じがたい。だとするなら彼のこれまでの、そしてこれからを含む全生涯は戦闘の中にあったことを示している。

 戦争こそが人間最大の愚行であることに違いはなかろう。だが人類の歴史は、素手か棒切れか、弓矢はたまた銃かそれともミサイルの発射ボタンかなどの手段はともかく、打ち続く戦争の歴史だと極言してもいいほどの戦いの繰り返しであった。
 戦争の原因の多くは国王であるとか指導者など、小数のそれこそ「戦争を開始する権限ある者」と認められているであろう者が正義、領土、祖国、独立、保護などなどの数多くの正当な理由の下に惹き起こされたものであったことに疑いはない。それでもそうした指導者の言葉を信じて人は戦ってきたはずである。

 そうした意味でこの銃を持った14歳にも、祖国を守り、家族を守り、故郷をいとおしむ心などが戦うことの背景にあったのだとは思う。もちろんそうした気持ちを持ったからと言って、それが戦争の正当性を示すものでないことくらい、私にだって理解できる。
 もちろん74年の人生だって、そのすべてが戦闘のみに明け暮れたわけではないだろう。記事には載っていなかったけれど、彼にだって結婚の幸せを味わう時間があったかも知れない。子供の誕生や育っていく喜びを家族と共有する時間があったかも知れない。友人や仲間との団欒のひとときだってなかったとは言えないだろう。

 だがそれにしてもなんというすさまじい彼の人生であることか。戦争を悪だと言い切ってしまうには、余りにも重い74年ではある。

 「どんなに遠く離れていても、いつかきっと分かり合える」。私たちはそんな風に人間と人間の絆を教えられてきた。どんなことにも人は人を赦せるのだと信じようとしてきた。

 だがイラク政府と内部の軍との対立、イランの核開発の疑念と国際社会、トルコ軍によるクルド労働者党への殺戮、モロッコと西サハラの自治と独立への確執、コソボの独立に対するロシアによる国連安保理の膠着、スーダン西部ダルフールやソマリアの人道危機、ミャンマーの軍事政権に民主化を促す国連安保理の議長声明、朝鮮半島の南北問題、アフガニスタンや東ティモール問題などなど、ざっと考えただけでも世界は混乱の只中にある。

 人はそれを「憎しみの連鎖」などとあっさり呼ぶけれど、人はどこまで、そしていつまで他者を憎み続けることができるのだろうか。人は憎しみがあるからこそ愛を知ることができるのかも知れないし、愛からの裏切りがそれと同じ重さの憎しみに変化するのかも知れない。
 だとすれば人類にとって、愛を求める心と憎しみとは共に等価の存在としてあたかも人そのものを形成している要素になっているのかも知れない。

 人は14歳から74歳の60年を経験してもなお、世代や民族や歴史を超えて憎しみの連鎖を引き継いでいくのだろうか。平和とは単なる幻想にしか過ぎないのだろうか。
 難民キャンプの難民として過ごしてる74歳の彼は、老いた手を眺めながら過ぎ去った己の人生を、そして明日の自分の姿をどんな風に考えているのだろうか。

 「故郷を追われて60年を経て、シャティーラ(難民キャンプ)の若者たちの困難は、いまなお難民であることから来ている」(朝日 6.6)。民族対立の現実は、故郷を知らない老人を生み出し、更には故郷を知らない民族そのものの発生をも促そうとしている。



                          2008.6.6    佐々木利夫


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戦いの中の人生