無意識に思い込んでいるから一層そんな風に感じるのかも知れないけれど、どうして正月のテレビってのはいつの間にこんなにつまらなくなってしまったのだろうかと思うことしきりである。
 大晦日も紅白歌合戦を2〜3分チラリと見て、恒例の「ゆく年くる年」でどこかの寺の除夜の鐘をいくつか聞くくらいで早々に眠りにつくのが最近の定番行動みたいになっている。

 ところで年末に近くに書店をふらふらしていたら、DVDの売場に映画「ファンタジア」が置いてあるのが目に付き、あまりの懐かしさに思わず手を伸ばしてしまった。
 「ファンタジア」はウォルト・ディズニーが作ったクラシック曲をテーマにしたアニメーション映画である。「あまりの懐かしさ・・・」と表現したのは、私がこの映画を見たのは今から40数年前にもなる独身の頃であり、これが決定打とは言えないにしても、その後私がクラシック音楽好きになった大きなきっかけを与えてくれた原因の一つになっているのではないかと思っていたからである。

 今は亡きレオポルド・ストコフスキーの指揮、フィラディルフィア管弦楽団による演奏は、ストコフスキーが指揮棒を持たない指揮者として名を馳せていたこともあって、映画の中ではシルエットしか見せてくれなかったものの私をすっかりクラシックの世界に引き込んでしまった。

 ベートーベンの交響曲第5番「運命」だとかシューベルトの未完成交響曲など、まだクラシックの入り口に差し掛かったばかりの私だったから、この映画に含まれている曲にはまだ馴染みのないものが多かったけれど、逆に言うと映像を通してクラシック音楽への扉を開いてくれた大切な教師役になってくれたのかも知れないとの思いが強い。

 バッハの「トッカータとフーガ二短調」、チャイコフスキーの「組曲くるみわり人形」、デュカスの「魔法使いの弟子」、ストラビンスキーの「春の祭典」、ベートーベンの交響曲第六番「田園」、ポンキェルリの「時の踊り」、ムソルグスキーの「禿山の一夜」そしてシューベルトの歌曲「アヴェ・マリア」。
 今となってみればどの曲も名曲中の名曲で何度も何度も繰り返し耳にしてるし、中には私自身のレコードやCDとして手元に残っているものもある。

 このDVDを本当に久し振りにこの正月はゆっくりと見ることができた。かつてのようにスピーカーやアンプに凝るほどの気力も聴力も衰えてきているし、隣の部屋から妻の聞くテレビの音や新聞をめくる音が聞こえてきたり、時には近くを通るJRの電車や踏切の警報音などが聞こえてきたところでそれほど気にならなくなってきているので、テレビのスピーカーからの音でも十分に曲を楽しむことが出来る。

 二度繰り返して聞き、DVDのパッケージを読んで驚いた。なんとこの作品の製作が1940年になっていたのである。私がこれを映画として見たのは独身の頃だったと記憶しているから、だとすればその時から既に40数年を経過していることは分かっていた。
 だが1940年と言うのは、なんと私の生まれた年である。つまりこの作品は私が生まれた年に発表され、私と同じ時間を共に過ごしてきたのである。

 今年間もなく私は満69歳になる。友人と話していると古稀の数え方にも少しずれがあるようで、去年が古稀だったと言う人と、今年がそうだと言う人とがいるなど満年齢と数え年との混同もあって前後三年程度のずれがあるようだ。まあそんなことはどっちでもいいとして、少なくともこの「ファンタジア」も私と共に今年古稀を迎えることになるのである。

 それにしてもこのファンタジアは少しの衰えも見せていない。アニメもコンピューターグラフィックが導入されてからは一層鮮やかで滑らかな動きを見せるようになったと聞いている。
 だがこの製作は1940年のことである。恐らくディズニー・プロダクションのスタッフがいわゆる「セル画」と呼ばれる透明なセルロイド版に一枚一枚動きの違った絵を描くことで作り上げていったのだろう。それにしては絵の動きといい曲の解釈といい、今みてもまるで見劣りのしない作品に仕上がっていることに驚く。

 クラシック好きは今も続いているけれど、スピーカーに向かってひたすら聴くというスタイルは少しずつしんどくなってきているような気がする。若い頃は純粋に音楽だけに向かっていったような記憶がしているのだが、最近は仕事をしながらだとか本を読みながらのような、ながら聴きみたいな場面、もしくはパソコンにCDをセットして、流れる音楽に呼応してランダムに変化するモニター画面の抽象的な画像を見ながらと言った鑑賞方法が多くなってきているような気がする。
 それだけ集中力が欠けてきているからなのかも知れないことは、例えばベートーベンの第九シンフォニィ「合唱つき」のように一時間を超えるような曲を、4楽章だけならともかく全曲通して一気に聴く根気みたいなものが少しずつなくなっていっていることからも分かる。

 恐らく若い頃に持っていたあれほどの集中力でクラシックに挑むことはこれからもないだろうけれど、「ファンタジア」を見てそして聴いて、手軽なクラシックみたいな雰囲気にもう一度浸ることもそんなに悪いもんじゃないと、同じ1940年生まれの仲間を新しく見つけた嬉しさともども、年の始まりにそんなゆったりとした気持ちを持つことができたのであった。



                                     2009.1.2    佐々木利夫


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1940年のファンタジア