新型インフルエンザの世界的な流行が懸念されている。そもそもの発端は、先月(4月)24日に世界保健機関(WHO)が「メキシコと米国で豚インフルエンザの人への感染が相次ぎ、メキシコ周辺での死者60人前後」と発表したことによる。その後メキシコからの帰国者や旅行者などに由来する患者が世界各地で発見された。

 WHOは日本時間の4月27日深夜にこのインフルエンザの世界的流行を懸念するレベルをフェーズ4(1から6までの段階を設けて世界的流行の危険度を示すもので、フェーズ6はパンデミックと呼ばれる世界への感染拡大を示す)と宣言し、次いで日本時間4月30日にそのレベルをフェーズ5に引き上げた。
 そして5月6日の正午のNHKニュースは世界の感染状況を22ヶ国、患者総数1652人、死者メキシコ26人、アメリカ2人の計28人と報じていた。

 折から日本はゴールデンウィークの真っ最中で国内はもとより海外旅行も盛況なこともあり、マスコミはこぞってこのインフルエンザ(新型インフルと略称されている)をとりあげている。そして例によって専門家や医師などをテレビカメラの前に招いてあーでもないこーでもないを繰り返している。

 こうした報道を見るにつけ、どこか気になっていることがある。それは人の行き来を制限したり豚肉の輸入を制限することに対する民間人の動きや外国政府の行動にたいする我国の政府やマスコミの言い方についてである。
 例えば「過剰な制限は、そうでなくとも厳しい状況にある世界経済に、不必要な打撃を与えることにもなるだろう」(朝日新聞、5.1社説)とするような論調である。WHOは「人や物の移動を制限しても、効果は薄い」としたし(同社説より引用)、また「豚肉は加熱処理すれば問題ない」のが通説のようである(同)。

 だがWHOのマーガレット・チャン事務局長の声明によれば、「新型インフルエンザについて、何も解明されていない」し、「どれだけ重い症状を起こすのか、今後、遺伝子がどう変わるのか。あらゆることが未解明だ」ことも現実の問題なのである(朝日新聞、同日付)。

 こうした情報の下で人はどう行動すればいいのだろうか。色々な人が色々な意見を述べているけれど、そのいずれもが「過剰な対処をしても効果は薄い」だとか、「加熱すれば問題ない」などの余韻のある言葉で結ばれている。つまり確定的な安全策は誰の口、もちろん政府からも示されていないのが現状である。

 さてこうした「零ではない危険」に対処するもっとも確実な方法はなんだろうか。現実に人が死んでいるのである。死亡率を0.何パーセントと言ったところで、感染者の親指の爪先だけが死ぬのではない。人が死ぬと言うことはその人が丸ごと死ぬことを意味しているのである。死んだ人にとっての死亡率はまちがいなく100パーセントなのである。

 それではそうした危険を避ける方法はあるのか。マスクをすれば100パーセント感染を防げるのか、手洗いとウガイで完璧な予防になるのか、豚肉はどこまで加熱調理すればいいのか、そしてどんな風にそのことを確認すればいいのか、レストランや飲食店での豚肉料理は安全とされる加熱基準をきちんと満たして調理されているのか、その確認方法は・・・。どれもこれもとりあえず安全の範囲であり、絶対安全の保証などありはしない。しかも、ウィルスは突然変異を起こしやすいのでいつ危険な変異を起こすかは誰にも分からないとの専門家の懇切な解説付きである。

 こうした状態の下で、いわゆる病気に対して素人であり、ましてや新型などと言われている世界初の病原菌に対して庶民が取りうるもっとも簡単で確実な手段や方法は何か。それは「危険、もしくは危険と思われる状態へ近づかないこと」である。
 こうした行動は多くの場合、「安全であるものへの言われなき誤解や偏見を生むこと」になるかも知れない。そのひとりよがりの行動は不当な差別に結びつき、差別されたものへ言われなき苦しみを与えることにもなるだろう。

 だがそうした方法は、人が我が身を守る(単に個人としての自分の身のみならず、例えば国が国民を守り、地域が住民を守る)ためにもっとも安易で確実な手段なのではないだろうか。

 「触らぬ神に祟りなし」は、民間信仰の極意である。誰から教えられるでもなく、人が生まれながらにして無防備のままで災厄から逃れるために獲得した生き抜くための智恵である。そうした考えは祟りを与えようなどとは考えてもいない神にとってみれば不本意かも知れないけれど、神の持っている性格や意思をきちんと掴めない庶民にとってみれば、「触らない」、「近づかない」ことこそが最も安全な回避手段なのである。
 だから私は「効果があります」だとか、「必要以上に心配することはありません」なんぞと言う中途半端な表現に、どこか胡散臭さを感じてしまうのである。

 5月6日の朝日新聞は、日本国内の私立の中学や高校が実施する海外への修学旅行が相次いで中止されたり延期されている状況に対して、「・・・警戒は必要だが、過剰に反応すべきでないと思う」とする大学教授の意見を載せていた。
 この教授は一体何を言いたいのだろう。言葉としての意味が分からないというのではない。だが、海外への修学旅行は「行く」か「延期する」か「中止する」の選択肢しかないはずである。そうした中からの決定にこの教授の意見は何かのメッセージを伝えることに役立っているのだろうか。

 それに加えて最近の新型インフルエンザ報道にはもう一つ分からないことがある。それは新型インフルエンザと死亡との関連に対する報道である。
 発症者そのものが世界に広がっているのに対して、死者は6日にアメリカで一人報告されたけれど、ほとんど増加していないことはどこか気になる。どこかで新型インフルエンザへの感染と死亡との因果関係が切断されているのではないかとの思いである。私は病理学者じゃないから、こんな意見を述べたところで何の意味もないことは承知している。

 しかし例えば貧困のせいで瀕死の状態になるまで医療機関への通報がなされなかった例があったとすれば、それはもちろんインフルエンザが直接の死亡原因かも知れないけれど、それを果たして死亡率にカウントしていいのかどうかと言う疑問でもある。「風邪は万病の元」と言われているし、恐らく通常の感冒と呼ばれる風邪だって罹患したときにかかっていた余病へ大きな影響を与えたり、場合によっては死に結びつく要因になることだってあるだろう。そうした時の死を、感冒による死なのかそれとも余病の悪化による死なのか、そこんところをどのように区別するのか私にはよく分からないけれど、仮に現在の新型インフルエンザが同じような事態を引き起こしたとき、それは感冒による場合とどこが違うというのだろうか。

 仮に新型インフルの感染が2〜3日発熱して仕事を休む程度で完治するようなものであるならば、もちろん病気としての感染拡大防止策や治療システムの研究や確立が必要であることは言うまでもないことだが、そうした結果を踏まえた国民への情報周知になって然るべきではないかと思うのである。
 そしてもし仮に感染から数日を経ずして死に至るほどにも致死性が高いような病気であるならば、それはそうした状況に対応した情報伝達になるべきだと思うのである。

 つまり私は死者の死亡原因の解明とその情報の伝達こそが必要なのではないかと言いたいのである。感染と死に至るまでの経過と因果関係、つまりインフルエンザで死んだのか、予防や治療の方法がなかったのか、余病などの他の疾病によって悪化した結果によるのではないかなどの解明である。それは冷たい言い方になるかも知れないけれど、ウガイや手洗い、そして保健所などへの発熱相談程度の方法で予防などが可能であり、仮に罹患したとしても他に合併症などがない限り「死に至る病」になることはないなどの原因究明がなされるなら、そんなに大騒ぎするような病気ではないと思えるのである。
 そうした確実な情報が知らされないまま煽り立てるだけのような報道の前では、国民は自身の安全を一番確実な「危険に近寄らないこと」に委ねるしかないのではないだろうか。

 そしてもう一つ。馬鹿げた疑問なのかも知れないけれど、「どうしてこんなに大騒ぎするのだろう」との思いである。例えば日本における通常のインフルエンザの一年間の罹患者は、厚生労働省の2000年の推計によれば約959万人、こんなところで数字を丸めても意味がないかも知れないけれど約一千万人である。そして死者はインフルエンザに関連した数で約一万人と伝えられている。そんな中で今回の新型と呼ばれるインフルエンザの患者数は今のところ世界規模でも数千人であり、世界の死者も数十人にしか過ぎない。

 もちろん新しい疾病なのだし、インフルエンザは変異しやすいとも言われているのだから、病原菌の性質や伝染形態などの研究や予防・治療のための研究が必要なことは良く分かる。しかし変異の問題は香港型とかソ連型と呼ばれているインフルエンザにだって起こり得ることだし、今回の大騒動の原因としてはどうも納得がいかない。致死性も伝染性もそれほど高くないこのウイルスに、どうして国民を丸ごと巻き込むような大騒ぎが必要なのかがどうしても理解しにくいのである。

 いまやテレビは政治も経済もそっちのけで、新型インフルエンザの蔓延がまさに地球壊滅、人類絶滅、日本沈没につながるみたいな取り上げ方をしてはしゃいでいる。視聴率稼ぎはマスコミの宿命かも知れないけれど、危機を煽るだけの報道はどこか報道のあり方として間違っているのではないか、取材のための道筋がどこか誤った方向へと進んでいるのではないか、そんな風に思えて仕方がないのである。研究機関や行政が予防や治療や感染拡大防止に必死になることと、そうした動きをセンセーショナルに取り上げることとはまるで意味が違うのではないかと思うからである。
 政府もマスコミも、新型インフルエンザが他の伝染病に比べてなぜこんなに大騒ぎする必要があるのかを、もっと分かりやすく人々に伝えていく必要がまずあるのではないだろうか。

 少なくとも私にはそんな情報が届いているようにはどうしても思えないのである。だから全国民に向けた一般的な注意として「手を15秒以上かけて隅々まで洗え」、「洗ったら清潔なタオルで拭え」、「洗った手で顔や鼻に触るな」、「触ったらまた洗え」、「水道がないようだったら携帯用の消毒用アルコール持参で・・・」などと、なんとかセンターのなんとか課長などがしたり顔で解説を繰り返してもなぜかまるで説得力を感じないのである。それはまさに、「病気」と「私個人」とをつなぐための説明がきちんとなされていないからではないかと思うのである。



                                     2009.5.7    佐々木利夫


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