北海道の人口はおよそ563万人(2006.3月末)であるが、そのなかで北方領土そのものを見たことのある人は果たしてどれほどいるだろうか。恐らく数パーセント、いやいやもしかしたら1パーセントを切るほどの数にしか過ぎないのではないかとさえ思える。

 「お前はどうか」と問われるなら、私は一度だけ見た記憶がある。それも北方領土に興味を持ってのことではなく、たまたま知床から根室へかけてマイカーで旅行したときのことであった。知床からの沖合いに見える島影が、対面の根室半島ではなく国後島だと知ったことは、その位置があまりにも近いこと、そしてそれが外国であったこと、更には北海道の湾内に現実として外国が入り込んでいると言う事実に違和感を覚えた記憶がある。生まれてこの方、東京に2〜3年研修で不在になった以外は北海道から離れたことなどない道産子の身であるにも関わらずにである。

 上の図で分かるように、北方領土とは「歯舞群島」、「国後」、「色丹」、「択捉」を指す言葉であり、北海道の知床半島から根室半島へ至る海岸線の湾内に交差するように延長している。択捉から先は「得撫(ウルップ)島」につながり、いわゆる北方領土四島を含めて千島列島を構成している。

 ところで北方領土が現在ロシアに実効支配されていることは誰もが知っている事実である。日本はその支配は不法占拠だと主張してその返還を求めているのだが、解決の糸口さえ見えていないのが現状である。
 日本が北方領土を日本固有の領土だと主張する根拠の一つに「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアがエトロフ島より南を支配したことは、太平洋戦争以前は一切ない」ことが挙げられている。

 これで分かるように、領土と言うのは最初から決まっていたものではなく、「早い者勝ち」だと言うことである。北方領土は日本がロシアより先に見つけて支配していたのだから日本のものだという論理である。つまるところ領土と言うのものも結局は民法239条2項に言う「無主物先占(無主の不動産は国庫の所有に属す)」と同じような理屈を背景に持っていることになるのだろう。

 1885年、日本とロシア帝国は日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした経緯がある。以後、ヤルタ会談、、日ソ中立条約(1945年破棄)など様々な経緯を経て、1945(昭和20)年8月14日のポツダム宣言受諾を契機に、8月28日〜9月5日にかけてソ連軍が四島へと上陸し現在に至っている。

 最近、人道支援物資を積んだ船で国後島に向かった日本の訪問団が、上陸を断念して帰港するという事件が起きた。原因はロシア側に出入国カードの提出を求められ、それに応じれば「北方領土四島をロシア領土と認めることに等しい」と日本側が判断してその提出を拒んだことにある。
 この人道支援事業とは1994年に「双方の法的立場を損なわない」との了解のもとに成立した、旅券やビザなしで日本が四島を訪問できる仕組みであり、旧島民等の訪問のほか今回のように医療物資の無償供与などの事業も行われている。

 日本側は今回の上陸断念を、「長年の関係改善の積み重ねを突き崩すものでロシアへの不信が深まる」としているけれど、結局はロシア政府に対して「遺憾の意を表する」程度のものにしかなっていない。つまりは領土問題とはこれしきのものでしかないということでもあろう。

 私は今回のロシアの対応にそれほどの違和感は抱いてない。それはもちろん北方領土問題に対してどちらかというと関心が少ないこと、むしろ返還運動に対してやや否定的であることからきているのかも知れないけれど、現在実効支配している自らの領土を守るための今回の要求は、ロシアにとってむしろ当然だとすら思っている。領土とはそんなに簡単な仲良し外交などで解決するものではないからである。

 領土の問題は恐らく世界の国々の民族の恐らく全部が、長い歴史とともに経験してきたとてつもなく解決の困難な問題の一つではなかっただろうか。現在でも国際紛争の多くがこうした領土に端を発していることは、毎日の報道が知らせてくれていることでもあるからである。領土を守ることは、結果として力、それも武力を背景にするしかなかったことは、不本意ではあるけれどこれまでの人間の歴史が証明してきたことではなかったのか。

 島国である日本にとって、領土の問題は領海の問題でもある。つい先日、鳥取県沖でロシア領海を越えて操業していたとして日本漁船が拿捕されたことも、領土問題と共通しているものを持つ。
 現実に確認したわけではないのだが、「日本領土とされている島の数はいくつか」と言うテレビのクイズ番組があり、その答が6,800を超えていた。島とは言っても瀬戸内海の島々から南西諸島、更には領土問題で揺れている北方四島から魚釣島、竹島まで様々だろうけれど、それにしても6,800という数は想像を絶するほどにも多いような気がする。

 だから一つや二つくらいいいではないかと考えているわけではない。周囲100メートル以上を島と言うらしいが、6,800もの島のうち人が住んでいるのは400そこそこと聞いているからほとんどが無人島と呼んでいいかも知れない。そうは言っても領土は領海であり、領海の広さは海域内や海底の資源にまで及ぶのだから、日本の経済にまで影響を与える重要な問題でもある。
 日本だって太平洋戦争時代、満州をはじめニューギニア近くまでの広大な海域を自国の領土として主張してきたことからも分かるように、領土とはまさに力の支配によって確定れてきたのである。それは裏返すなら、武力の喪失が領土の喪失であり、領土の喪失は力の喪失を示していること、つまり侵略と領土とは同義でもあった。

 そもそも日本の成立にしたところで、地方の豪族か実力者が武力によって自らの支配を拡大してきた結果ではなかったのか。全国統一などと名づけてしまえばいかにも正当な行為のように聞こえるけれど、薩摩による琉球処分も、幕府による蝦夷征伐も、そこに「勝った者勝ち」はあっても「早い者勝ち」なんぞ丸っきり無視されていたことくらい、小中学校の歴史教科書を読むだけで簡単に分かることである。なんたって琉球(沖縄)にも蝦夷(北海道)にも「早い者勝ち」の住民が既に平穏に住んでいたのだから。

 だから私は日本の主張する「固有の領土」と言う言葉を信じないのである。そんなものは後から理屈をつけたこじつけにしか過ぎないと思っているのである。確かに下田条約は存在した。そこでは北方四島は日本の領土として確認されている。だがそれは北方四島が日本の固有の領土であることを示しているのではない。単に武力を持つ者同士が国境線を勝手に地図の上にひいただけのことにしか過ぎないからである。

 「成立してしまっている日本」と言う概念を既成事実として確定させ、そこにあらゆる権能を与えようとするような身勝手な理論が、この領土と称する理屈の中にも屁理屈として強く臭ってくるような気がしてならない。そうした臭いは日本だけでなく世界中の領土の主張の中に広がっている。

 恐らく領土問題は互いが主張を譲らずに、ながく紛争の種として残されていくことだろう。ある時はビザなし交流で、ある時は二島、三島の妥協返還の話し合いで、または日本が更に経済大国になっていくなら島そのものの売買交渉などで、場合によっては両国による共同統治などの方法、果ては武力によるねじ伏せなども含めてこれからも長く交渉は続いていくことだろう。私はそれでいいのではないかと思っている。

 そしてこれはまるで理屈抜きの勝手な思い込みなのだけれど、「日本に返還されたらあっと言う間に北方海域は日本の漁船にまるごと支配され、鮭一匹、昆布一本残らないまでに漁り尽くされてしまうのではないか」と危惧があり、だとすれば今のままの方がずっとずっといいんじゃないかとさえ思っているのである。

 今日2月7日は、先に書いた下田条約の締結された日だそうである。それを記念して今日を「北方領土の日」に決めたという話を聞いた。そうした記念日を作ることにとやかく言うつもりはないけれど、「俺のもんなんだから返せ」と主張するだけで北方領土は戻ってくるとはとても思えない。恐らく解決しないままの状態が続いていくのではあろうけれど、何らかの動きがあるとしてもそれは国と国との利害の伴った取引によるものしかないのではないだろうか。
 「今のままがいい、今のままがいい」。私の心はいつしかこんな風につぶやいているのである。



                                     2009.2.7    佐々木利夫


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北方領土
  

 北海道に住んでいるからと言って、北方領土問題が常に身近に存在しているわけではない。もちろんそうした話題に触れる機会は多いだろうけれど、だからと言って単なるニュースとして聞き流すことのほうがずっとずっと多い。