数年も前になるかも知れないが、教育テレビで放映された「子供は世界のリーダー」と題する外国番組を見たことがある。子供向けのお遊び番組で、そんなもんかとあっさりと頷いてしまえばそれまでのことだし、こんな風に目くじらたてること自体大人気ないとは思うけれど、数年を経た今でもどこか気になって仕方がない内容だった。

 番組内容の大半は忘れてしまったけれど、「今の世の中狂ってる」と考えた神様が、これからの世の中のリーダーを子供たちの中から選ぶことに決めたことから話は始まる。
 これはいい。まさにお遊びのドラマなのだから、赤ん坊が天下を取ろうと、中学生が革命を起こそうとそのこと自体に違和感はない。

 こうした神様の決定に対し、大人は当然に大反対である。そうした反対運動に対して神様にリーダーとしての役目を負わされた子供たちはどうしたか・・・。いやいやその前に、神様がリーダーを選別する場面がまず問題である。神からリーダーだと告げられた子供は、当然のことながらそのことを信じない。それはそうだろう。いきなり「お前が世界のリーターだ」と言われたって、素直に信じることのほうがおかしいだろう。

 そこで神の奇跡の出番である。指一本動かすことで、リーダーであることを信じなかった子供たちはその場で自分の意思にかかわらずくるくる回りだすのである。そうした奇跡を起こせるのだから神なのだと言ってしまえばそれまでだけれど、その行為はまさに催眠であり暴力であり独裁である。番組はそうした茶番じみた神の奇跡に納得した子供たちが、反対している大人をコントロールすべく動き出す。

 「子供がリーダーとなって大人社会をコントロールする」、こうした発想は一つの試みとして面白いと思う。政治や経済の混乱のなかで世界の国々が利権にうつつを抜かす現代社会は、どこかで新しい視点による閉塞感の打破を望んでいるようにも思えるからである。

 だがこの神様のやり方は強引に過ぎる。それは結局は番組制作者にも子供にリーダーを任せるための納得できる手段を見つけられなかったことの裏返しなのかも知れないけれど、「神の奇跡」に任せてしまったことはこの番組の意義を自ら否定してしまったような気がする。

 子供の納得そのものが強引だし、納得と言うよりは「言うことを聞かないと永久にぐるぐる回りをさせ続けるぞ」と脅迫しているのと同じだと見るべきだろう。もちろんこうして選ばれたリーダーの動きに大人たちも猛反対である。そこでリーダーたる子供たちがとった手法は何か。なんと神様がやったのと同じ行動、つまり「反対する大人をぐるぐる回りさせる」ことなのである。
 こうなれば大人は子供の言うことではなく、神の言うままになるしかない。番組ではこうやって支配された大人たちは子供が定めた職業や地位に唯々諾々と従うことになっている。

 番組の結末がどうだったか忘れてしまったが、こうした子供の決めた社会のルールが破綻したようなあらすじにはなっていなかったように記憶している。恐らくこうした番組の作成動機そのものが大人社会の変革みたいな目的にあるのだろうから、子供がコントロールしていく世の中が大人では叶わないほどの平和に満ちた社会として実現するというストーリーになっていたような気がする。

 ただ、「結果よければ手段はどうでも・・・」というドラマ構成は視聴者を納得させる方法として余りにも安易であり、つまるところ力ある者による強制しか選べなかったと言う現実に、どこか人間のこれまでの歴史に数多く登場する独裁者の悩みと驕りを理解できたような気持ちにさせられてしまった。
 それはつまり神もまた独裁者に分類してもいいのではないかとの思いに重なるものでもあった。




                                     2009.7.9    佐々木利夫


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神が決めた支配者