夏の間はほとんど気づくことなどないけれど、事務所への通勤経路の途中にカラマツの並木(と言っても僅か十数本なのだが)がある。秋になると小さいながら松かさがいくつか転がっているので、近くに松の木があることくらいは気づかされることになる。そうは言っても花が咲くわけでも、色鮮やかな実をつけるわけでもないので、木そのものを眺めることなどまったくないと言ってもいい。

 それが12月に入ると突然に己を誇示するようになる。12月の北海道は、比較的気候の穏やかな札幌でも晩秋をとうに過ぎ、既に冬の気配が十分である。例年なら根雪の到来があってもいいシーズンなのだが、今年はまだその知らせはない。
 そんな雪の積もりそうな頃になって、突然歩道が金色に輝き始めるのである。帰りは7時に近く既に暗くなっているので朝しかお目にかかることはできないけれど、それはもう朝日の中の黄金の絨毯である。靴底を通して、ふんわりとした感触がそのまま伝わってくる豊かさである。カラマツの落葉の敷きつめられた歩道の豊かさである。

 カラマツは「唐松」とも書くが、北海道では「落葉松」のほうが分かりやすい。そして呼び名も「カラマツ」ではなく「らくよう」であり、「らくようじゅ」とも呼んでいる。秋から冬にかけて葉を落とす、落葉樹の一種である。成長は比較的早いながら木材としての利用価値は少ないと言われながらも、例えば防風林としての役目を期待されるなど、北海道では道路沿いや畑などにけっこうその姿を見ることが多い。
 そうした用途からきているのかも知れないけれど、一本だけで堂々と屹立しているというような姿を見せることはほとんどないと言っていい。防風林、防雪林などに利用するためには必然的に並木状に一列に並ぶことが多いので、そうした風景はどちらかと言えば遠景としての風情であって、カラマツの傍らをゆっくり歩くなどの機会はそんなに多くはない。

 私のカラマツとの出会いは、なんとも文学少年じみた感情になってしまうが北原白秋の詩「落葉松」に触発されたからだと言っていい。しかも私はこの詩を体感したくて、わざわざ軽井沢へと出向いたことがあるのである。北海道にだってカラマツは植林されていたのだろうが、若い私には「北海道にもある」と言う認識そのものが不足していた。だからカラマツの存在を知ったのは、恐らく中学生の教科書で読んだであろう北原白秋の詩だったのである。
 教科書にこの詩の全文が載っていたかどうか分からない。でも詩の中には「浅間嶺にけぶり立つ見つ」の一文もあることだし、授業で習ったのかも知れないが、この風景が軽井沢だとはどこかで知っていた。

 職場に入って10数年、東京で一年間研修を受ける機会に恵まれた。そんな研修中のある秋の土曜日(もしくは何らかの祝日につながった連休)に、軽井沢への一人旅を思いついたのである。
 心はすでに白秋の世界である。

 からまつの林を過ぎて
 からまつをしみじみと見き
 からまつはさびしかりけり
 たびゆくはさびしかりけり

 からまつの林を出でて
 からまつの林に入りぬ
 からまつの林に入りて
 また細く道はつづけり


 ・・・・・・・・・・・・

 そして最後のフレーズもまた、文学少年を泣かせるには十分である。

 世の中よ、あはれなりけり
 常なれどうれしかりけり
 山川に山がはの音
 からまつにからまつのかぜ

 軽井沢への一人旅と言っても、文学少年と言うにはすっかり歳を経てしまっている30歳を越えたおじさんである。だが文学青年を目指すようなコースは高卒と同時に別れを告げ、税務職員と言うあまりにも現実的な職業を選んだおじさんにとっては、僅かにもしろ身の裡に残っていた文学や哲学の気配はまだ少年のままだったと言うことでもあろうか。

 どんな宿へ泊まったのか、そこが白秋にこの詩を作らせた場所だったのか、そこから浅間山は見えたのか、今となってはその地が軽井沢であること以外すっかり忘れてしまっている。それでも旅館からか観光案内所からだったまるで覚えていないのだが、その少年おじさんは自転車を借りてカラマツ林の散策に出かけたのである。晴れた夕暮れの記憶がかすかに残っている。
 それだけの話である。自転車をこぎ、時に降りて歩き、この詩の一節などを口ずさみながら少年おじさんはしばし北原白秋と同じ世界を共有したのである。溶岩流「鬼押出し」などの記憶もあるので恐らく翌日は浅間山観光もしたのだろうけれど、夕日に輝く黄金色の絨毯の記憶は今でも私の中に残っていたのである。

 そんな記憶がふと見た毎日の通勤経路の落葉松並木から、突然に甦ってきたのである。市営住宅沿いの僅か十数本の並木である。数分で通り過ぎてしまうような距離である。北海道の12月、季節は既に初冬である。それにもかかわらず、この頃の寒さで一気に葉を落としたカラマツは、その黄金色と踏みしめる足底にゆったりとした感触を与えることで我が身の存在を道行く人に知らせることにしたのである。
 そのささやかな自己顕示によってかつての文学少年は北原白秋を思い起こし、遠く軽井沢で踏みしめたあの足底の感触を改めて楽しむことができたのである。

 間もなくこの黄金の針の上にも雪が降り積もっていくことだろう。降り積もった雪は恐らく、そうした遠い思い出そのものをもその下へと埋めてしまうことだろう。そして雪の上を歩く男はきっと、軽井沢など思い出すこともなく毎日を通り過ぎていくことだろう。小さな並木はそのまま冬木立となって同じ場所に立っているに違いないけれど、花も実もないカラマツが私にその存在を示すのはこの僅かな期間だけのことなのかも知れない。それでもきっと来年の初冬になると、私はまた踏みしめる黄金色に目をみはり靴底の感触に再び北原白秋、そして軽井沢を想い起こすことだろう。

 軽井沢を歩いたかつての少年おじさんも、今では古稀を迎えるまでになった。それでも白秋のこの詩の最後のフレーズは、今でもしみじみとした人生の実感を私に語り続けてくれるのである。たとえそれが未だに少年から少しも脱皮しきれていない幼稚さをそのまま示しているのだとしても・・・。

 世の中よ、あはれなりけり
 常なれどうれしかりけり
 山川に山がはの音
 からまつにからまつのかぜ




                                     2009.12.10    佐々木利夫


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カラマツを踏む歩道