世界の保険・金融サービス業界のトップを走っているかのように思われていたAIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)が、昨年9月のリーマンショック直後に経営危機に陥り、事実上米政府の管理下に入った。これまで米政府から1800億ドルもの公的資金による支援を受けたことでかろうじて経営が維持できているからである。1800億ドルを円換算しておよそ18兆円弱と呼び替えたところで、その大きさを実感することはできないけれど、日本政府が国民全員に一人1万2千円から2万円の定額給付金を支払うことにした総額が2兆円と言われているから、途方もない額であることくらいは想像がつく。

 そのAIGが幹部社員に巨額のボーナスを払ったことが、オバマ大統領まで巻き込んだ大騒動になっている。支払ったボーナスの総額は1億6500万ドル(最近の報道によると実際はその額より5300万ドルも多い2億1800万ドルだとされている)にも及び、支給を受けた個人のうち73人は100万ドル(約1億円)以上、更にその内の5人は400万ドルを超えていると言われている。

 大騒ぎの原因は、「公的資金(つまり国民からの税金)で援助を受けていながら、こんな途方もなく高額なボーナスを支給するなんぞ非常識だ」との国民の思惑があり、そしてそれに同調した国会議員や大統領、更にはマスコミの報道が騒ぎに拍車をかけた結果になっているようである。

 米下院は3月19日に、支給されたボーナスに90%の税率で課税するという法案を、賛成328、反対93の圧倒的多数で可決し上院も同じような法案を準備しているので23日の週にも裁決して上下院法案を一本化し、早期に成立する公算が強いらしい。

 これに対してAIGは、このボーナスは公的支援を受ける前の契約に基づいて支給したものであって正当な支払いであるとしている。

 このニュースに最初に触れた頃、オバマ大統領がテレビカメラに向かって怒りの表情で「断固支払いを阻止する」みたいなことを言っていたので、私はまだこのボーナスが゙現実には支払われていないのだと思っていた。ところがその後の報道を見ると、どうやら既に支払い済みになっているらしい。ボーナスの支払いがいつ頃だったのかについては、色々ネットを探ってみたのだがはっきりと書いてある記事は見当たらなかった。それはとも角ボーナスが既に各個人に支給済みであることは事実のようである。

 さてそうするとこの問題は、これから支払おうとするボーナスの差し止めの問題ではなく、支払ってしまったボーナスをどんな方法で回収するかと言う問題になる。だからこそ政府は100%課税だの90%課税だのとする新たな立法を検討し始めたと言うことであろう。
 ここに来て私はこの回収という発想にどこかしっくりこないものを感じてしまったのである。

 聞きかじりの報道からの感想だから、私の抱いている事実関係が正確であるかどうかは必ずしも自信がない。普段から「事実の認定は証拠による」なんて格好のいいこと言っていながら、それに反しているかも知れないままにこんなことを言いつのるのはいささか忸怩たるものがあるのけれど、当事者でもなく遠いアメリカの出来事でもあるので多少の行き違いについては容赦願いたい。

 さて、あっさり対立点を検証してみると、米政府が公的資金の投入を決定したときには、このボーナスの支払いが支援の前提としては何ら触れられていなかったようである。つまり資金援助の契約に違反してAIGがこのボーナスを支給したというのとは異なるのである。また、公的資金の使途などについて米政府との事前の協議などが義務づけられていて、そうした協議がなかったから契約違反であるとの問題でもないようである。このことはAIGが「公的支援を受ける前の契約に基づく支払いである」と主張しているにもかかわらず、米政府がこのことに何の反論もしていないことからも分かる。

 だとするなら、米政府の言い分はつまるところ、「借金で倒産する、助けてくれと頼んでおきながら大盤振る舞いのボーナスの支給をするとは何事か」との感情論に根ざすものになっていると考えていいだろう。
 私はこの感情論を分からないと言うのではない。むしろ日本人としては非常に理解しやすい構造になっているとさえ思っている。

 しかしアメリカは契約で成立している社会なのだから、こうした感情論に基づくような発想のでてくること自体にどこか違和感が残ってしまったのである。
 以下の私の意見はAIGの主張するする「社員との契約に基づく支給であったこと」及び支給の当時「米政府による公的支援の契約に反した支給ではなかったこと」が事実として正しいとの前提に基づいている。

 アメリカは契約社会である。いやいや現在の経済活動の全部が契約により動いている言ってもいいだろう。昔の日本の商取引には「違約した場合は満座の中でお笑いくださるべくそうろう」という約定があったと聞く。恥を基本とした日本ならではの一つの担保方式だとは思うけれど、現代は日本もまたグローバル化の中で契約社会にどっぷりと浸かっている。

 契約の本質をどう捉えるべきかを私は必ずしも理解しているわけではない。契約と言ったっていわゆる商取引によるものから神との契約にいたるまですさまじい広さを持つ観念だからでもある。ただ少なくとも基本にあるのは「互いに交わした約束は違えない」という約束と信頼であろう。さまざまな理由で契約が履行できなくなる場合のあることを否定はしないけれど、「互いが必ず守る」との前提と信頼があってこその契約ではないだろうか。

 だとするなら、AIGが契約に基づいて金銭の支払いをしたのは当然のことではないのか。そうした契約のあることを事前に知っていたなら公的支援はしなかっただろうと政府は言いたいのかも知れない。しかし、その事実が政府に隠蔽されていたのならそれはAIGの契約担当者の責任であり、知らないことが政府の不注意によるものだったのならそれは米政府の責任になるだけのことではないのだろうか。政府は支援に当たり、「特定社員とのボーナス契約を見直すのでなければ援助しない」とすることで、こうした問題など起きなかったとも思うのである。ボーナス契約をそのままにしておいたのが、会社か政府かいずれの責に帰すべきものかはとも角、決して支給を受けた社員の責任ではないと思うのである。

 ネット検索で分かったことに米メディアのこんな報道があった。「米金融大手の従業員のうち、市場取引などに従事する社員のほとんどが年収の大半をボーナスで受け取っている。課税強化により、米金融大手8社の従業員数千人の年収の大半が取り上げられることになるだろう」(ワシントンポスト、毎日ネット、3.21 10:35配信より)。

 だから支払いを正当化すべきだと言うのではない。こんな理屈はまさに同情論にしか過ぎなくなってしまうからである。私が言いたいのはこうした契約が正当なものとして慣行化していたこと、社会に通用していたと言うことである。
 その契約が詐欺や脅迫や法律違反など不正な手段を用いられて交わされていたのならば格別、契約の成立を否定するような、または法律に違反とするような要素は少なくとも報道では一つも提示されていない。ならばその交わされた契約を守るのが契約社会としての鉄則であり、契約社会として自他共に認めるアメリカ社会の責務ではないかと思うのである。

 確かに情として高額であるように見えなくはない。だがそれは当事者以外の感想であり、本件で言えば公的支援以前に交わされた契約である。契約の当事者がその内容を妥当なものと認めて締結した以上、それを順守するのが締結者同士の責務であり、そうしたシステムを支えるのが社会を構成する国民なり国の役割ではないだろうか。だから「公的支援をしたのだからその支払いは非常識だ」みたいな理屈を持ってくるのは間違いだと思うのである。

 それにもう一つ。米政府のこの支払いに対する90%課税の対処の仕方である。契約の当事者の行為に介入できないと判断した結果なのかも知れないけれど、このやり方はまさに租税法律主義に反したものになっているのではないだろうか。つまりこの米政府の課税決議は「遡及立法の禁止」にもろに抵触していると思うのである。支払いは既に完了している。しかも支払い時点で法定されていたであろう当該報酬に適用される税法を無視して、後から新たな課税をするような立法を作り上げることは、それがいかに情実として妥当に見えるとしても明らかに誤りである。租税法律主義もまた国家と国民との厳正な公法契約に基づくものだからである。

 未曾有の大不況の起死回生として設けた公的支援、そしてその意図に反するかのように見える賞与の支出、オバマ大統領に対する支持率の低下などなど、切羽詰った状況が理解できないではない。だが、私は今回のAIGのボーナス問題にからみ、アメリカは「契約の本質を政府がねじ曲げてしまったのではないか」、「遡及立法と言う違法な手段で対処しようとしているのではないか」の点で大きな誤りを犯そうとしているように思えてならないのである。



                                     2009.3.25    佐々木利夫


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アメリカと契約社会