人は分かることしか分かろうとしない。そんなことは分かっていたつもりだったけれど、テレビも新聞も、出てくる評論家じみたスタッフも、答えの出しにくい話題は最初から話題として取り上げないのが世の習いなのかなと思ってしまった。

 これは最近の新聞に載っていた読者の投書である。

 「・・・(数年前にある町のコンビニでオーナーを)していた経験から、・・・弁当の廃棄について書きます。(弁当の値引き問題で)食料が大量に捨てられていることに、・・・『けしからん』、『廃棄をなくす仕組みを』という意見をよく耳にします。同感ですが、今の競争社会では、廃棄を多少減らす工夫をはできても、なくすことはとうてい不可能です。お客様がいつ来店されても、どこよりも新しい商品があり、欲しいものが欲しいだけある店を維持し続けることが、勝ち残る条件の一つだからです。消費者の方々には、コンビニ業界を批判する前に、古いものから順に買う『先入れ先買い』をしていただきたい。自分だけが新しい物を買っておきながら、『捨てるな』では筋がとおりません・・・・」(7.2朝日)

 私はこの投書を読んで、あぁ販売業者と言うのはこんな発想をするのかと、少し悲しくなってしまったのである。「ほかほか出来立て」だとか「取れたて新鮮」みたいな言葉をうたい文句にして購買欲をあおり、今更「自らが勝ち残る」ために消費者に「古いものから順に買え」とは、なんとも仰天の発想ではないかと、半ばあきれてしまったからでもあった。

 最近のマネーゲームの破綻による恐慌ともいえるような状況を見ていると、必ずしもそれが正しいとは思えなくなっているのだが、コンビニに限らず、経営そのものが利潤の追求にあることは私自身長い間税務署に勤めてきたのだし、そして今は税理士としていくつかの企業と係わってきているのだから分かり過ぎるほど分かっているつもりである。
 ただこの投書者の意見はどうにも身勝手な理屈を、しかも自分だけの側からしか発信していないとしか思えないのであ。「競争ある限り無駄なくせぬ」の見出しは、その「競争」の意味を「自分の利益」と読み替える限度において正しい。たがそれを消費者の「先入れ先買い」に結びつけるのは余りにも身勝手である。

 これに対してこのチェーン店の本部は、「今後は廃棄した原価の何割かは販売店に戻す」旨を公表した。つまりチェーン店との契約で値引き販売を約款上は認めつつも、値引き販売そのものは実質的に認めたくないとの立場を取り続けているのである。そうした立場についてマスコミは、「廃棄はもったいない、資源の無駄、値引き販売は消費者の利益」を旗印にチェーン店本部を責めることしきりである。

 だが私には経営母体としてのチエーン本部の考えが、この投書者の発想の原点である「どこよりも新しい商品があり」だとか「欲しいものが欲しいだけある店の維持」とはまるで違うところにあるような気がしてならないのである。

 それは恐らく「値引き販売による価格破壊がチェーン店の中に広がることによって、チェーン組織そのものが破綻するのではないか」との危惧だろうと思うのである。これまでコンビニは基本的に定価販売を柱としてきた。もちろん独自ブランドを作って低価格商品を開発する努力も当然に続けてきた。ただそれは値引きによる低価格ではなく、あくまでも定価そのものを下げる作戦であった。だから一物一価の原則が、少なくともチェーン店内部において崩れることはなかったのである。

 この不況風の吹きすさぶ昨今、弁当はコンビニだけではなくスーパーやデパ地下まで巻き込んでの食料品業界全部を揺るがすほどの主力商品になってきている。そこで価格破壊が起こったら、低価格競争の影響は他業種どころかチェーン店内部における競争を引き起こし、更に激化すればチエーン組織の崩壊にもつながる可能性さえ秘めている。そのことを本部は一番恐れているのではないかと思うのである。

 この程度の考えなど、ここで私がいかもに自力で思いついたように発表しなくたって、誰にでも分かる程度の理屈だと思う。だがそうした価格競争に伴う組織崩壊の危険に対するきちんとした対応策はなかなか見当たらない。そのことは組織維持に必死となっている本部そのものが結論を出せないでいるのだから、何にでも顔を出す評論家にしたところで同じことだろう。
 今回の問題は一つのコンビニチェーンの本部に対する公正取引委員会の改善勧告を契機として公になった。しかしコンビニは一つのチエーン組織だけで構成されているのではない。そのすべてが全国組織ではないだろうけれど、一定の地域をまたぐチェーンコンビニは相当な数にのぼることだろう。コンビニが必ずしも消費者にとっていい面ばかりを持っているとは思わないけれど、現実的にはその利便さは社会に浸透していて「なくては困る」人の存在もまた否定できない現実である。

 にもかかわらずニュースキャスターも評論家も、弁当の廃棄に伴う「もったいない論」は声高に言うけれど、答えの出しにくい組織内部の価格競争に対する対案については、あたかも問題そのものが始めからなかったかのように知らぬ顔の半兵衛を決め込むばかりである。
 マスコミや評論家なんてこんなものさと、常日頃から思っているのだからこんなところでことさらに取り上げても仕方のないことではあるけれど、またぞろ無責任を振りまくだけの識者と称するしたり顔が跋扈することにうんざりしているのである。



                                     2009.7.21    佐々木利夫


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コンビニの弁当廃棄