買うにしろ借りるにしろ無尽蔵とも言えるほどの山の中から一冊を選ぶとき、人はどんな基準を自分に課しているのだろうか。「選ぶ」という手法が入るのだから何かの動機がそこに存在することに違いはないだろう。もちろん結論的には「読みたいと思ったから手にした」ことに違いはない。つまり手にした本の中に「私の欲しい内容が書かれている」と思ったであろうことに疑念はない。

 しかし私はいわゆる書評なるものはほとんど読まず、また例えば「本年度芥川賞受賞作」などと言った流行や宣伝などにもどちらかと言えばへそを曲げたいタイプなので、そうした動機で本を手にすることはない。とすれば私が手にする動機は一般的な選択とは少し違うのかも知れない。

 そこで気づいたのが、恐らく「タイトルから想像できる内容」なのではないかと言うことであった。既に評価の確立している古典であるとか有名作家の情報を基に選択することもないとは言えないだろうし、例えば学問的に何かを系統的に調べるとか、ある作家の作品を集中的に挑戦したいということもないではないだろう。とは言っても私の読書はいわゆる濫読しかも手当たり次第の分野に入るから、そうした特定の目的を持った意図の下に選ぶようなことはないと言っていいような気がする。

 「タイトルで選ぶ」のではないかと考える根拠には、例えば図書館で借りるときなどはずらりと並んだ書架(つまり背表紙たるタイトル)を眺めながら気になる一冊を引き出すと言う方法を採ることからも分かるし、もっと確定的には数ヶ月前、数年前に借りて読んだ同じ本を(恐らくタイトルに釣られて)再び借り出してしまうことがあることなどからも分かる。

 閑話休題。ところでこのエッセイのタイトルに掲げたのは最近読んだ一冊(「いつか眠りにつく前に」、スーザン・マイノット、森田義信 訳、平凡社)からの引用である。
 私自身がそうした年齢に近づいているからなのだろうか、このタイトルの中に人生の終焉に対する予感みたいなものを感じてしまったのである。

 この小説は二人の娘に見守られながらガンで死の床にあるひとりの老女の昔の恋の記憶である。恐らく本人自身も忘れていたであろう数十年も前の、それも僅か数日間の恋の記憶が連綿と綴られている。
 冒頭の引用詩「わたしがその時計をおまえにやるのは、時というものを覚えておいてほしいからではなく、たまにはふと時など忘れ、躍起になって時を制服しようとすることをやめてほしいからだ」(ウイリアム・フォークナー)を読んだときはこの物語に期待したのだが、残念なことに私にとってタイトルから感じられたほど魅力ある小説ではなかった。
 それでも作者の語彙の豊富さには感心したし、それ以上にこんなにも息の長い文体に出会ったのは始めてだったような気がする。主人公が混乱と譫妄状態にあるときの思いは「執拗なまでの長文体」(訳者あとがき)になっていて、老いと死から見た生きていることへの思いや混乱などが静かに伝わってくる。

 長編の小説であり、映画化もされたと聞いた。そんな物語をきちんと紹介するほどの力はないけれど、気になった数行を引用して私の読後感としたい。

  希望って恐ろしいものね、と彼女は言った。
  そうかい?
  そうよ。希望を持った人は、別の場所で生きはじめるの。ありもしない場所でね。
  だけど、それまでいた場所よりそのほうがいいかもしれないじゃないか。それで救われる人だっ
 ているはずだよ。
  人生から? と彼女は言った。人生から救われるの? それで生きてることになるの?
  ほかに選択の余地のない人だっているさ。
  そんなことない。それって悲しいことよ。
  みじめな気持ちでいるより希望を持っていたほうがいいんだよ、と彼は言った。絶望しながら生
 きてるよりはね。
  希望は絶望と同じ箱に入っているの。
  希望って、そんなに悪いもんじゃないさ、と彼は言った。
  だけど、少なくとも絶望には真実があるわ。
  今日のきみは暗い気分なんだね。
  彼女は笑みを浮かべようとした。これまでずっと、わたしが目を閉じたまま生きてきたせいよ。
 彼女は瞳を閉じた。あなたに会ったときから、わたしは希望を捨てたの。
  そうなのかい?
  しかたなかったのよ。ショックのせいもあったけど。
  そう。ショックだったよね。
  人には、乗りこえられないことだってあるわ。
  忘れられないこと、って意味かい?
  そうね、そういう意味でもあるわね、と彼女は言った。どうしても忘れられないことが、この世
 にはあるの。
                                     (同書P232から)

  でも、それもどうでもいいことね、と彼女は言った。
  どうでもいいことなんてないさ。
  あのころはね。
  いまだってそうだよ、彼女は言った。
  どうして? 今じゃどうでもいいことでしょ?
  心のなかでは、そうじゃないのさ、彼が言った。
  心のなかって、どこにあるの? ふたりでいっしょに行ける?
  ある意味ではね。
  彼女は黙りこんだ。ふたりは黙ってお互いを見つめていた。
       (同書P86から)



                                     2009.9.11    佐々木利夫


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