「尼僧の恋」なんてタイトルをつけてしまうと、なんとなく淫靡なポルノ小説まがいの誤解を受けてしまいそうだが、まるで違うことを先に言っておかなければならないだろう。
 これは最近読んだ「ぽるとがるぶみ」(マリアナンナ・アルコフオラード、佐藤春夫訳、人文社)の読後感である。

 この本の著者、マリアンナはポルトガル生まれの尼僧である。ただこの本は彼女の書いた小説や日記などではなく、25歳の彼女が5歳年上の軍人である恋人シャミリィに宛てた五編の手紙そのものの記録である。だからこの本の著者をマリアンナと呼ぶのは誤りだと言っていいかも知れない。

 どうしてこうした私信がポルトガルで活字になることができたかは、訳者で詩人である佐藤春夫がこの本の「由来記」に書いたことによるしかないけれど、この手紙が出されたのは1666年から68年、つまり今から340年以上も前のことである。尼僧であった彼女と軍人の恋は、当時でもスキャンダラスな事件として世間に流布したようである。男が逃げたのかはたまた軍隊という組織がこの恋を否定したのか定かではないけれど、男は大佐という肩書きを与えられてフランスへと赴任を命ぜられ、その後二人が逢うことはなかった。

 こうした状況の下、「当時に於ては手紙は即ち文学であった。他人から貰ったものも、自分が他人に与えたものも、さまざまな手紙の写しを配布して友人仲間に披露して賞賛を博するのが、この時代のこの国に於ての風習であった」(訳者、同書P21〜22)ことが背景にある。

 この手紙は女が男に宛てた恋文である。書いた手紙の控えをとっておいて、それを女が公表したということも考えられないではないけれど、内容が恋文なのだからそうしたことは考えにくい。手紙の書かれた時期が1666〜68年であり、活字として出版されたのは1669年1月だとされているから(同書、P15〜21)、出版は最後の手紙から僅か一年足らず後のことである。だとするなら、これは男が「俺はこんな手紙を貰ったことがあるぞ」とこれ見よがしに仲間に吹聴し公開したことによるものだと理解することのほうがずっと分かりやすい。つまり男は最初から女が思うほどの気持ちは抱いていなかったということでもあろう。男にとってのその恋が戯れだったとは思わないけれど、少なくとも「世間の噂」であるとか、「仕事」や「地位」などと比べられる程度の重さでしかなかったことは否めないであろう。

 「私は捨てられたのかも知れない」、こんな疑いから彼女の手紙は始まる。彼女の気持ちの変化を手紙からのたかだか数行の抜粋に追いかけることなど難しいとは思うけれど、その僅かな欠片にも300年を超えてなお、男と女の様々は現代とそれほど違うものではないとの思いを私に教えてくれているようである。

 最初のふみ

 「日ごとに千度もわたくしは溜息をあなたさまにお送り申し上げ、それがあなたさまをあらゆるところに追ひ求めます」(P45)。
 「だってわたくしはもういい加減不しあわせでございませんか。それだのに何を好んであなたさまがわたくしのために御愛情のお證(あかし)を下さらうとしてお骨折りになされたそのお心づくしを忘れようと精一杯になる必要がございませうか」(P47)。
 「苦しみはあなたさまが下さったのでこざいますから、・・・わたくしはそれを忍んで居ります」(P49)。
 「生きてあらん限りあなたさまを讃え、ほかの何人をも思ふまいとわたくしは心を固めました。あなたさまとても亦、当然、どなたさまをもお愛しなさらぬようおん申し入れいたします。あなたさまにいたしましてもわたくしのものよりも冷たい愛情に御満足はなさりますまい」(P49〜50)。


 どうしたら私の愛が伝えられるのだろうか。男の心変わりの予感の中に、まだ確かなものをつかもうとする切ないまでの彼女の心が読み取れる。そしてこの手紙の末尾は次のように締められている。彼女はまだ彼の愛情を信じている、いや信じようとしている。

 「さようなら。いつもわたくしを愛して、わたくしをもっと苦しませて下さいまし」(P54)。

 第二のふみ

 「わたくしをまよひ込ませたのはわが身自らの恋慕のはげしさでした。あんなにも甘くもあり同時にあんなに幸福でもあった事の始まりが、今はなぐさめ一つ身に求めるすべもなく・・・」(P58〜59)。
 「千の歎きの只中にあってさへも、あなたさまをお愛し申して心に味ひ知るうれしさなしには生きて居られません」(P66)。
 「さうです。わたくしは自分の生涯のあらゆる瞬間をあなたさまのお為に費やさずにはゐられません。あぁ、自分の心を一杯にしてゐる極度の憎と愛とを外にして何をわたくしは致しませうか」(P67)。
 「わたくしのあり余るこの悲しみを、とりとめもつかぬこの思案を、激情のなかのこの矛盾を、手紙にあるこのむちゃくちゃを、わたくしの信頼を、わたくしの絶望を、わたくしの願望を、わたくしの妬心を。・・・せめてはわたくしがあなたさまのおために苦しんで居りますことが、あなたさまのおためにお役立ちしますやうに」(P75〜76)。


 女は男の心の二度と戻らぬことを確信し、それでもなお狂おしいばかりの恋心にその身をこがす。

 「さようなら。この手紙をおしまひにする苦しみはわたくしにとっては、あなたさまがわたくしに別れる、それも多分永久に別れるためになすったものよりもずっと以上です」(P81)。

 別れを告げる女の声はこの「さようなら」から2ページにわたって続いている。それは決して本心からの「さようなら」ではない。手紙はまだまだ続くのだから。

 第三のふみ

 「あなたさまの無我夢中が空言(そらごと)であったのがわたくしに今わかります。あなたさまの無上の喜びはわたくしとともにあることのみだと仰せられた時あなたさまはいつもわたくしをお欺きなされたのです。・・・わたくしの情熱をあなたさまはただ御自身の勝利としてのみ考えてゐらっしゃったのです」(P87)。
 「さようなら、あなたさまにお目にかからねばよかったものをと、わたくしはどんなにか後悔しますことか。・・・さようなら。わたくしが悲歎に死にもいたしますなら、・・・少しはお情けあるお悔やみの心をお約束くださいまし。・・・さようなら。わたくしの手紙は長すぎますし、・・・。・・・さようなら。わたくしの只今の堪へがたい身の上をあまりくどくどと申し上げすぎたようには存じまするものの・・・。さようなら。お慕はしさは刻々に切なくなります。おお、お話し申し上げたさのつもる事どもは山々でございますのに」(P94〜97)。


 別離への確信はやがて男への恨みへと変っていくが、それでもなお女は男を赦そうとする。何度も繰り返される「さようなら」は、未練を超えた女の恋心の重さである。

 第四のふみ

 こんなにも訴えかけているのに、男からの返事はこない。こない返事の意味を女はそれでも必死に探ろうとする。忘れることこそがこの恋への唯一の治療だと知りつつも・・・。

 「けれども、あぁ、何という治療法でせう。わたくしはあなたさまをお忘れ申すくらゐならばもっと苦しんだ方が増しです」(P103)。

 そして女は捨てられたことをも自らの慰めにしようとし、愛したことそのものの中に答を見つけようとする。

 「わたくしといふ者がなければあなたさまもただ不完全な歓びをしかお慰み出来ない有様にお置き申すのだと思ひなしてゐます。さうして心閑なきわたくしこそはあなたさまよりも幸福なのです」(P104)。
 「お慕ひそめ申したからには命のあるかぎりもの狂はしいあなたさまを一途にお愛し申すのがわたくしの名誉でもあり宗旨でもあります」(P107)。


 最後のふみ

 「わたくしはあなたさまの率直を唾棄します。あなたさまの正銘の御本心を明かして下さいと誰がお願しましたか。・・・あなたさまはわたくしのすべての愛には値するに足らずと信じ、又あなたさまの卑劣な御性格はのこらず理解した事を御承知下さいませ」(P117)。
 「あなたさまはわたくしを御扱ひなされたお仕打に就て一度だって御反省遊ばされましたか。あなたさまはこの世の何人よりもこのわたくしに責められていいといふ事を只の一度だってお思ひなされましたか。わたくしは気違ひ女がしそうなほどあなたさまをお愛し申しました。いかにわたくしはあなたさま以外のものを軽んじた事でせう」(P127〜128)。
 「命がけの憎しみであなたさまを悪むのが当然だといふことをお打明けせずにはゐられません」(P129〜130)。

 男の心は戻らないと女は知る。それでも憎しみの言葉もまた恋しさを叫んでいる。追いすがるのは無駄だと知りながら、女は手紙の末尾をこんな言葉でくくり、この恋が決して後悔ではないことを自分に言い聞かせようとする。

 「さうしてもうあなたさまを考へてはなりません。二度とお手紙を差上げまいかと考へもいたします。わたくしがいたしまする本当の総勘定お知らせをあなたさまにいたさねばならない義務でもございませうかしら」(P136)。
                   * * * * * * * * *

 12歳で修道院へ入り16歳で尼僧になった女は、25歳で恋をして83歳まで生きた。訳者佐藤春夫はこの手紙のことを艶書と呼んでいる。私が読んだこの本は、初版発行が昭和24年のものの昭和61年の重版である。同氏の書いた「ポルトガルぶみ由来記」の日付によれぱ、訳の完成は1934年(昭和9年)だと思われる。その時からでも既に75年を経ているけれど、艶書という艶めいた言葉に、何か大切なものを私は忘れてしまったのではないかとの思いがしてくる。そして300年を経た今でも伝わってくる断ち切れなかった恋の切なさも・・・。



                                     2009.4.28    佐々木利夫


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