アメリカ発の大不況はかなり深刻な問題を引き起こしている。先日発表の日銀短観(企業短期経済観測調査・景気が良いと思う企業の割合から悪いと思う企業の割合を差し引いた数字)によると過去最大のマイナス幅、つまり今の景況は史上最悪だとのことである。こうした不況は日米のみならず世界中に蔓延し、どの国でも財政支出などを採用するだけでは効き目がないとされるような状況が続いている。
 こうした景況に連動して失業者は世界中に溢れ、その失業者は行き先がないまま故国へと戻らざるを得なくなっている。そうした状況は出稼ぎスタイルの労働が国境を越えてこんなにも大量の人的な移動を生んでいたのかと、逆に改めて世界のグローバル化を伝えてくれている。そもそも自国に仕事がないから外国に出稼ぎに出たのだから、故郷に戻ったところで仕事が見つかるはずもないだろう。しかし自国以外に戻る場所のない人々が世界で溢れかえっている。

 海外にまで出稼ぎに出かける例は少ないだろうけれど、失業者の増加は日本も例外ではない。派遣切りだの雇い止めだのと、耳慣れなかった言葉も今では日常的に聞かれるようになってきて、都会から故郷の地方へと、これまた世界の流れと同じようなパターンで仕事を失った者の流れができている。
 そんな中で「就農相談会」の名づけた採用面接の報道を見た。この不景気によって仕事を失った者を対象に、農業を希望する若者を見つけようとする就職相談会の風景である。

 会場を訪れた中年も含めた多くの失業者に対して、マスコミによるインタビューも盛んに行われていた。その中の若者の一人がこの会場を訪れた心境をこんな風に話していた。
 「食を通じて人に感動を与えたいと思ってここに来ました」

 私はその言葉を聞いてどこか違和感を感じてしまったのである。「食を通じて人に感動を与える」そのことに間違いがあるとは思わない。食は文化であり、人が生きていくための基本である。そうした基本を支えていくのが農業であることにも何ら異議を唱えるつもりもない。

 ただ私はその言葉が、恐らく派遣切りなどによって仕事を失くしたであろう、そしてそれまでは自動車部品の製造や建築工事などに関わっていたであろう若者の口からもっともらしく出てきたことに、思わず「嘘だ」と心の中で思ってしまったのである。

 「食を通じて人に感動を与える」と言うフレーズそのものの意味に嘘はないだろう。だが、その若者が心底そんな風に思って発言したのだろうかと疑問に思えて仕方がなかったのである。
 「派遣切りで生活がなくなって仕方なく故郷の北海道へ帰ってきたけれど、新しい仕事を見つけることは難しい。だからなんでもいいから仕事が欲しい」なんてことをテレビカメラの前、それももしかしたら家族や親戚や知人が見ているかも知れない状況の下では格好が悪くて口に出せないとの思いが分からないではないけれど、だからと言ってそうした自分の置かれている現状を「食の文化に貢献する」みたいなことで覆ってしまうのはなんだかとても悲しいことではないかと思えてしまったのである。

 そんな言葉で自分の今を表現することそのものが、どこか今の若者の「いいかげんさ」と言うか「気持ちの上滑り」、「軽さ」を表しているような気がする。そしてそんな言い訳じみた正当さへの糊塗が、逆に自分の人生の意味そのものをないがしろにしているのではないか、そんな気がしてしまったのである。
 それともこうした現象は言葉だけが先行してしまっていることによるもので、もしかしたらそれは今撮影されている映像を見るであろう大人、もしくはマスコミが暗黙裡に要求していることを察知してのことなのだろうか。

 就農相談会の話題でこんなことを感じていたら、4月3日の朝日新聞にこんな記事が出ていた。
 それは地元の食材を使った「町内レストラン」、「地域食堂」と呼ばれる新しい地域おこしの起業が増えているとの話題であった。その中で経営者が、地産地消への寄与や規格外野菜の活用などに触れたのはともかく、「店に来る人の自己表現の場になっていけばいい」とまで付け加えていたのにはどこか嘘臭さを感じてしまった。こんなところにも言葉だけの軽さが先行してしまっているのではないかと思ったのである。

 言葉にはその言葉の持つ意味と同時に、それを言う資格と言うか重さの理解も必要なのではないかと思うのである。長く農業に従事していて、農業と苦楽をともにしてきた人が自らの経験を踏まえて「食を通じて人に感動を与える」と言ったのなら、それは体験を通じた体感そのものの重さを感じることができる。しかし都会の仕事をリストラされ行き場がなくなって実家に戻ってきて、仕事が見つからず切羽詰って低賃金と重労働覚悟で農業に従事しようかと考えている若者には言って欲しくない言葉だと思ったのである。



                                     2009.4.4    佐々木利夫

 (附)4月7日のNHKクローズアップ現代は、「元派遣社員 農業への壁」と題した特集を報道していた。上に書いた就農相談会に応募した人のことではないけれど、農家になることを決めた派遣社員が、研修初日の雪で半日で辞めてしまったことや、畑のぬかるみに足をとられて三日で挫折したことなど、すぐに辞めていく人が続出していることを報じていた。派遣社員とは言っても一定時間の勤務や高給に慣れていることや、農業の持つ牧歌的なイメージから抜け切れていないなどの批判もあった。そうなのである。農業といえども「食を通じて人に感動を与える」程度の甘い幻想ではやっていけないのである。この言葉は農業にしっかりと根を下ろした農業を分かっている者にこそ許されるであろう魂のこもった一言なのである。



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農業を目指すことの意味