朝の通勤の同伴がポケットラジオであることはこれまでにもここへ書いたことがある。Yシャツの胸ポケットにこじんまりと入る小さなラジオでAM、FM、テレビ1〜12チャンネルが受信でき、それぞれのバンドに7個のチャンネルが登録できるのでずっと重宝してきた。ところが数ヶ月前からAM全体の受信が困難になってきて、そのうちFMも音が途切れるようになってきた。そしてとうとう数週間前から全面的にうんともすんとも言わなくなってしまった。もうかれこれ20年ほど使っているのでそろそろ寿命が尽きたのかも知れない。

 新しいのを買おうかとネットの通販情報を探しているうちに、もしかしたら使わないまま机の奥に放りこんだままになっているウォークマンタイプのカセットテープレコーダーに同じような機能がついていたのではないだろうかとふと思い出した。歩きながら聞く音楽はMD(マイクロ・ディスク)に代えてから既に10年以上になるから、カセットテープなどもはや歴史的な遺産になっている。とは言っても残されたテープには音楽のみならず思い出も一緒に記録されているのだから、そう簡単に捨てるような気分にはなれない。もちろんテープからMDに再録したり、パソコンを使ってデジタル化しハードディスクやCD−Rなどに残すことも可能なのだが、そこまでの情熱には届かないまま事務所や自宅の書棚の片隅などで埃をかぶったまま山積みになっている。もちろん部屋にどかんと備え付けてあったテープを聴くカセットデッキそのものが既に処分されてしまっていることもあり、しかもテープは音楽の頭出しや早送りなどの操作が不便なこともあってテープの山はまさに遺産であり無用の長物(まだゴミとまで言えないところが微妙である)になっている。

 しかもここ数年はMDすらも使う機会がほとんどなくなり、デジタルレコーダーというのかMP3プレーヤーと呼ぶのか、100円ライターを一回りほど大きくした装置が現れてきた。しかもこれに組み込むメモリー容量を大きくすれば1000曲でも1万曲でも自在に入ると言う優れものと言うべきか怪物とでも言うべき商品が、僅か数千円で買えるようになってきている。なんといっても数千曲(私にしてみれば無限と言ってもいいくらいである)を首からぶら下げて持ち運べるという簡便さに加えて、そのままパソコンやオーディオ装置につないで聞くことができるという便利さにも捨てがたいものがある。

 そんなこんなで出番が事実上皆無となり、かと言って処分する(捨てる)にはまだ壊れているわけでもないカセットレコーダーは、結局自宅の机の中で忘却の彼方へと押しやられたままになっていた。さて10数年を経てかろうじて思い出してもらえたその装置は、なんと壊れたポケットラジオと同じ性能を持っていたのである。登録したチャンネルの保存には専用のボタン電池が必要であるなど操作に若干の違いはあるものの、メイン電源たる乾電池は机の引き出しのあちこちに散らばっているし、ボタン電池は100円ショップで調達できる種類であった。そして試してみたところ見事に生き返ったのである。

 ただこのマシーンは惜しむらくはカセットテープ機能が基本であるため、ワイシャツの胸ポケットにはとりあえず納まるものの、ラジオ単能機と比べるとけっこう大きくそして重いのである。そはさりながらこれでも十分に役立つのだから新たなポケットラジオを買うまでのことはない。
 しかもこの装置は以前のラジオが片耳イヤホーンだったのに対し、両耳用、つまりステレオなのである。聴いてみて改めて分かったのだが、ステレオ放送はモノラルとは音の広がりがまるで違うのである。道を歩きながら聴くラジオだから回りの車や電車の騒音と一緒になるし、右耳と左耳とではっきりとステレオを聞き分けられるほど私の音感が鋭敏なわけではないけれど、多少とも音の深さや広がりを感ずることくらいはできる。

 胸ポケットはサングラスを入れたり筆記具を挿したりなど別の用途もあるので、この装置はズボンのベルトに引っ掛けて同伴させることにした。チャンネル切り替えなどに多少の不便さはあるけれど、十分にクリアーな音を届けてくれる。
 8時半から歩き始める朝は、もっぱらNHKFMのクラシックカフェがお供である。この番組は再放送で7時20分から9時15分までである。だから聞き始めは途中からになってしまうけれど、事務所に着くのは9時20分くらいになるのでゆっくりと最後まで付き合うことができる。

 クラシック好きとは言っても演奏者まで分かることは皆無だと言っていいし、作曲家名や楽曲名などもきちんと分かると言うのは滅多にない。「聴いたことがある」程度の曲はそれなり多いけれど、途中で曲の紹介をするアナウンサーの声も傍らを通り過ぎる車や電車の騒音に消されてしまうことも多いから時に歯がゆい思いをすることもある。そうは言っても誰の曲なのか、何と言う曲なのかについて想像を巡らしながら歩くのも聴く楽しみの一つでもある。

 一発でどんぴしゃ当たったと言うケースは滅多にない。ベートーベンやブラームスやチャイコフスキーが混在してみたり、ラフマニノフをガーシュインだと思い込んで聴き終わったと言うこともないではない。それにアナウンサーの曲名紹介が終わるまでとうとう誰の曲か分からなかったと言う大部分も含めて、ラジオ同伴の通勤もそれなり楽しいものがある。

 最初から分かる曲もあるし、「恐らくこの曲はモーツァルト・・・」などと予想しすんなりと合格したときなどは「俺はもしかしたらクラシックの天才かも・・・」と思えばいいのだし、「きっとブラームスかベートーベンだ」と思ってその通りだったときも同じように自惚れるのも、イヤホーンだけと言う閉鎖環境の特権でもある。時に作曲家名と曲名までどんぴしゃだったときなどはまるで鬼の首でも取ったかのように嬉しくなってしまう。
 ともあれ私のクラシックの知識など知れたものであり、当たったからと言って誰に自慢するわけでもなく外れたところで慙愧に耐えぬ風情でしょんぼりと肩落とすわけでもない。私の記憶とアナウンサーの解説が一致したときは、「やったー」とばかりに少し頬が緩むかも知れないけれど、当たり外れに関係なく普段の顔で事務所への歩みを進めていくのがどちらかと言えば日常である。

 帰り道はNHKテレビの午後6時からのニュースになることが多い。そして野球中継などで邪魔されない限り引き続き地方番組の「まるごとニュース北海道」(土曜日は「週間こどもニュース」、日曜日は「海外ネットワーク」)へとつながっていく。

 腰からぶら下げて歩くので多少揺れて邪魔になることもあるけれど、これまでの数年間出番のなかった品物である。「物を大切に」は私の世代ではDNAに染み付いた人としての心意気でもある。それは逆に言えばそうした思いのぶんだけ捨てられずにがらくたが部屋の中や物置に溜まってくることの背景になっているのかも知れない。特に私などは自宅に備え付けた一方の壁一面を占拠している三段式スライド書棚の蔵書の始末を、今後どうしたらいいのか今から悩みの種になっている。

 ともあれ腰から下げたカセットラジオに秋風をなびかせながら、私の朝夕の通勤は毎日の1万数千歩の歩数計の数値とともに快適である。事務所の事務室は、窓が隣家の高層ビルに遮られて明るさはともかく太陽の顔を見ることができない。そのせいか部屋の中もひんやりとしており、毎年今月中旬過ぎになると掲示板に貼り出される暖房の予告が今から楽しみになってきている。9月・・・、そんな中途半端な季節がこの頃である。



                                     2009.9.2    佐々木利夫


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