「無性卵」・・・、最近この言葉がどこか気になっている。「無」の文字がどことなく「無駄」だとか「無意味」みたいな感覚につながってしまうからなのだろうか。「卵(らん)」は子孫を残すために、生物が長い進化の過程で獲得した貴重な生殖手段の一つである。科学的にきちんと説明できるだけの知識を持っているわけではないし、卵を必要としないで生殖を続けていくような生物があるかも知れない。
 たが、昆虫も魚類もそして人間を含む哺乳類の全部も卵を基礎として種を残すことで進化を遂げてきた。もしかしたら植物もまた同じ系譜にあると言っていいのかも知れない。生半可な知識そのままになるけれど、私の中では単細胞分裂で増殖していく生物の次のステップに、「卵」による生殖がつながっているような気持ちすらしている。

 「無性卵」の語には単に受精していない卵と言うほどの意味しかない。だがそれにもかかわらずこの言葉には、言葉そのものにも、言葉が持つイメージにも、種が育んできた永劫とも言えるような進化の過程を示す何の情感も含まれていないような気がする。

 そうした無性卵を私たちは当たり前のように毎日の食卓に載せている。一体私たちは毎日どれくらいの卵を食べているのだろうか。ネットで検索してみたところ、日本の鶏卵の生産量は年間約250万トンだそうである。Lサイズの卵一個の重さは約70グラムだとされているから、これを基として単純に一年365日で割り返してみると一日の生産個数は約9800万個になる。サイズはLLからL、M、S、SSまで多様に分類されているから、Lサイズ換算よりは少し個数が多くなるだろう。つまり我々は約一億個もの卵を、家庭用にしろ、あるいはマヨネーズ原料や飲食店などの営業用にしろ毎日繰り返し消費しているのである。

 このうち果たして無性卵と呼ばれる卵の割合はどのくらいになるのだろうか。農水省や日本食鳥協会・日本養鶏協会などのホームページで調べてみたけれど、そうした統計は取られていないらしく確認はできなかった。90%を超えるとの意見もあったが、その具体的な根拠は示されていなかった。
 採卵用の養鶏場の飼育システムがどんなになっているのか正確には分からないけれど、ここ数年鳥インフルエンザなどの話題で養鶏場の飼育環境がテレビでも放映されるようになってきている。それによればほとんどが身動きできないほどの狭い檻(ゲージ)に一羽ずつ飼われていて、餌を啄ばむ以外の運動など出来ないようになっているから、恐らくオス鳥との接触などは考えられないだろう。つまりそう言う形で採卵されるのはすべて無性卵だということであろう。
 もちろん一部の地域では、地鶏などと呼ばれてオス鳥と一緒の放し飼いによる飼育も行われているようだから、そうした場合などは有精卵になるのかも知れない。

 ところで「有精卵」には孵化が始まると黄身に血管が走るようになってくることもあって、商品として嫌われるとの話もある。だとすれば養鶏家は必然的にそう言うことの起こらない無性卵の生産と出荷をするようになだろうから、無性卵の割合が90%と言う数値はそれほど外れているわけではないような気がする。つまり私たちの食べているほとんどが無性卵であると言うことである。

 「無性卵・・・」、その残酷とも言えるような響きの個体は、その本来の意味、つまり卵として本来持っている性能を全く失ったまま、私たちの回りに溢れるばかりに氾濫しているのである。そしてそれは、例えば私たちがイクラやタラコを無性卵のまま食べていることとはまるで違うような気がしてならない。なぜなら、私たちは「無性卵」を商品として自らの力で作為的に作り上げているからである。

 ネットを検索していてこんなことが書いてあったホームページを見つけた。

 「鶏が生んだから『鶏卵』と呼ぶのだろうか。それとも鶏が生まれてくるから『鶏卵』と呼ぶのだろうか」

 もちろん私たちは特に無性卵であることを意識しながら毎日の食事をしているわけではない。仮に食卓にある卵やその料理の原料が有精卵であったところで、我々が食べるという行為そのものが卵としての生殖能力を奪うこと、もしくは奪った結果による調理であることに違いはない。たとえ、生卵のまま飲み込もうが目玉焼きにしようがオムレツを作ろうがである。

 だとすれば、それは結果として有精卵・無性卵の区別をすることの意味がなくなることと同義でもある。それはそうなんだけれど、私には食べている卵焼きの原料たる無性卵が卵とは異質なものなのではないのか、卵とはまるで違う無生物、無機質、この世にはもともと存在していない物質、人間の作り上げた傲慢の片割れのような気がしてくるのである。だから私はこの「無性卵」と言う言葉の響きが、どうしても気になって仕方がないのである。


                                     2009.3.17    佐々木利夫


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無性卵