世界とは自分の住んでいる部落だけだと、かつて人は思っていたはずである。峠とは見知らぬ異郷との境目であり、こちら側とあちら側とは隔絶された社会だった。虹の橋の向こう側はそのまま見果てぬ夢の国、訪うことなど考えもしない遠い国だったはずである。そうした隔絶は人が社会を理解するようになってきてからどんどんと希薄化していき、それにつれて峠はぼやけ異郷は近づいてきた。地球は平らになり、そしてやがて丸くなった。

 東海道五十三次の時代、江戸から大阪への旅は自らの足で、多くの宿場町を重ねることでもあった。コロンブスもバスコダ・ガマにとっても、地球は途方もなく巨大であり、限りなく続く海洋はそのまま怪物でもあっただろう。
 それはまた「山のあなたの空遠く・・・」(カールブッセ)にに続く見果てぬ夢の世界でもあった。

 唐突に話が変るけれど、北海道旭川に新型豚インフルエンザが発生し、札幌でも患者が出た。メキシコに発生したとされるこのウィルスが、成田空港に着いた乗客から検出されたと報道があったのはつい数ヶ月前だと思っていたのに、罹患者総数3千人超だから(7.15、厚労省発表)それほど多くはないにしても、今では全国46都道府県にまで広まっている。

 地球の狭さは最初は情報の伝達から始まったのかも知れない。大声や太鼓の音や狼煙による遠隔地への伝達は、モールス信号やラジオやテレビ、そしてインターネットへと瞬時に世界を席巻するデジタルネットワークへと瞬く間に変化し、それはやがて物理的な拡大へと伝播していった。
 つい先日も、海外旅行の友人から写真添付のメールが届いた。普段使っている携帯電話がそのまま海外でも使え、瞬時に情報が届く現実にどこか違和感を覚えた。

 今年7月にイタリアで開催されたラクイラ・サミットは、温暖化ガスの各国の削減について先進国側は後進国よりも高い80%を提唱したにもかかわらず、後進国は「今ある危機は先進国がこれまで対策を放置していたことによるものだ」との立場を崩そうせず、結局国際的な合意は先送りになった。

 気象衛星からの雲の流れが毎日のようにテレビで放映されている。天気予報は今や世界のどの国の情報も瞬時に得られるようになり、渦まく台風や低気圧の動きは汚染された空気もまた世界を駆け巡っていることを目の当たりにさせてくれる。

 私にはその事実をきちんと証明することも、また証明するデータを提示することもできないけれど、南極や高山の氷が溶け出していることや氷河の後退などが、太平洋の島々を水没の危機に押しやっていることと無関係とは思えない。

 そうした距離や時間の短縮は、どこかで人が自らの限界を壊していって、その破壊はもしかしたら自らの精神であるとか肉体までにも及んでいるのではないかとの危惧さえ覚えさせる。
 私は神を信じているわけではないけれど、それでも人は生物として超えてはいけない限界をどこかで超えてしまったのではないだろうか。しかも、その限界はすでに後戻りできないところまで来ているのではないかと、前述したラクイラ・サミットの結果や核開発に執着し続ける世界の多くの国々の姿勢を見ていて思う。

 絶滅種だの絶滅危惧種がいたるところに頻発し、黄砂が細菌やウィルスなどを纏って世界を飛び交っている。新型インフルエンザウィルスの世界的伝播はWHOをしてフェーズ6(パンデミック)の宣言を招いていることや世界中に広がっている地球の砂漠化などなど、地球が小さくなってきたことは誰の目にも明らかになってきたている。

 それは何も人間世界だけではない。生物もまた人の手で世界に拡散し始めている。動物ではアメリカザリガニ、オオマルハナバチ、アライグマ、ブラックバス、植物ではセイヨウタンポポ、セイダカアワダチソウなどなど、人の移動は外来種と呼ばれる動植物の予期せぬ増殖を招き、在来種の危機をも招こうとしている。それもこれも小さくなった地球が背景にある。

 そして小さくしたのは人間である。その小さくなって自らの土足でも踏み荒らせるほどにも小さくなった地球を、人は更に仮借なく踏み荒らし続けた。
 地球の小ささはもしかしたら人々の夢の喪失にもつながっていったのかも知れない。「山のあなた」を信じられなくなった人々は、同時に見えない先にあると信じていた憧れの心をも放棄させられてしまったのではないだろうか。

 朝日新聞天声人語はこんなことを書いていた。「・・・人間や人間が造った文明をひねりつぶすことなど、自然には造作もない・・・」(7.19)。
 だが私にはこの言葉がとんでもない傲慢を示しているように思えてならない。地球とその自然は、人の一挙手一投足に、それこそ身震いしながら怯えている。



                                     2009.7.19    佐々木利夫


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小さくなっていく地球