とちの木について、その名前だけはよく知っていた。単に知識としてというばかりではなく、どこか馴染み深いというか親しみのある名前としての記憶だった。だからと言ってとちの木を知っているのかと我が身に問い返してみても、現物を見たような記憶がまるでない。もしかしたら「とち餅」と呼ばれる菓子があることや、かつて飢えをしのぐために「とちの実」から灰汁抜きして作られたまずい食べ物があったとの話をどこかで聞いたことからきているのかも知れない。

 とは言ってもそうした「とちの実」を食料としたような風習が北海道に現実に存在していたことは聞いたことがないし、私も口にしたことなどない。例えそれが飢餓と結びついた歴史的な事実であったとしても、私にとってはどこか民話の世界の出来事とでもいえるほどの遠い話しである。

 第一、とちの木の俗称というか通称が「マロニエ」であることすら知らなかったのである。「マロニエ」はフランス語らしいが、私の中では時代がかった流行歌に表われる並木を意味している。言葉として知る「マロニエの並木」ととちの木とは私の中ではまるで結びつくことなどなかった。
 それが先日突然に一致してしまったのである。札幌にとちの木の並木があったのである。知識としての「マロニエ」が、突如として現実のものになったのである。

 自宅から事務所までの約4キロ弱を毎日歩いて往復しているから、歩き慣れているせいもあってどこかへ出かけるときはとりあえず歩いていける距離かどうかをまず最初に考える。最近、仲間の税理士事務所を訪ねる用事ができた。天気もいいし、午後も早い時間であり小一時間で着けるだろうほどの距離である。目指す場所は決まっているけれど、ルートは足任せである。最短距離を狙って信号をのんびり待つのもいいけれど、赤信号をかわしながらジグザグに歩くのも飽きのこない散歩テクニックの一つである。

 そんな時、大きな街路樹が目に入った。しかもその木からは見たこともない房状の赤い花がいくつも垂れ下がっている。花に「たわわ」の表現は使わないのかも知れないれど、そう言いたいほどにも重たそうな花房が鈴なりに賑わっていた。ポブラやニセアカシヤやプラタナスやイチョウなどなど、札幌にも街路樹はあちこちに多くの種類を見ることができるけれど、こんな木は見たことがなかった。葉の形もまるで私の知識にはなかった。

 その木にヒモで名札がかけられていた。そしてなんとその札には「ときの木」と書かれていたのである。ネットで調べたところ、この赤い花の咲くとちの木は、マロニエと呼ばれる「セイヨウトチノキ」と米国産の「アカハナトチノキ」の交配種である「ベニバナトチノキ」であると分かった。日本で街路樹になっているとちの木はほとんどがこの種類だそうである。

 それにしてもとちの実で飢えをしのいだ記憶もなければ、先祖からの言い伝えさえもないこの身に、どうして「とちの木」のイメージが強いのだろうか。ネットで検索している途中で、この木が童話「モチモチの木」のことでもあることが分かった。ただそうは言ってもこの童話だって、直接読んだのかそれとも子供向けのテレビ番組で見たのかも定かではない。家の前に植わっている大きなとちの木が怖くて夜中のトイレにも行けない少年豆太が、爺様の病気に勇気を出して夜の村を一人で医者を呼びに行くと言うストーリーである。だから出てくるモチモチの木に特別興味をそそられるようなイメージはなかったように思うし、第一私はそのモチモチがとちの木であることを知らなかったのだからなお更である。

 私が見つけた札幌のとちの木並木の場所は、北3条から4条の西20丁目界隈であった。街路樹とは言っても10本に満たない数だったけれど、それでもその高さといい枝振りといい葉の茂り具合といい、圧倒的に巨木の感じがした。札幌の街路樹にとちの木が使われているのはここだけではないだろうが、ともあれこうしてとちの木について一通りの意味が分かり、どんな木かも知ることができた。それで一応私の中でとちの木は決着したと言ってもいいだろう。だからこれ以上とちの木の街路樹の場所を探そうとも思わない。

 残るはせめて菓子でもいいし、望むなら不味いと言われながらも飢えから人々を守ったと言う本当の「とち餅」を口にしてみたいと思っているのである。
 それともう一つ・・・。この街路樹には秋になったら「とちの実」が実るのだろうか。栗に似ているが口がひん曲がるほど苦いらしいけれど、チャンスがあれば拾いに行って手にとってみたいとも思っているのである。



                                     2009.6.3    佐々木利夫


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とちの木との出会い