これは先日私が、とうとう杖ついて歩かざるを得なくなってしまったいきさつの記録である。
@発端
事件は4日の未明に起きた。原因不明である。前日3月3日に仲間と事務所で飲んでその足で2軒ばかりはしごした。多少は酔っていたけれど、仲間と一緒に別方向ながら同じような時間帯のJRを利用して別れたのだから、自宅に戻ったのはまだ午前様ならぬその日のうちだった。途中で転んだり足をひねったなどの記憶もなく無事にご帰還あそばし、自宅でホンの少し日本酒を口にしただけですぐ床に付いた。それが忘れもしない枕もとの夜光時計の午前3時33分、突然の左足の痛みで目が覚めた。左足のくるぶしが猛烈に痛むのである。女房によれば午前3時頃に唸り声が聞こえたというから、痛みはその頃既に始まっていたのかも知れない。
ともかく痛い。トイレに行こうとしても立ち上がることすら難しいのである。壁に手をつきながらどうやら小用は済ませたものの、痛みはつのるばかりである。この身が痛みに弱いということが良く分かった。痛いとは言っても我慢の出来ないほどの痛みではないはずなのだが、どこか「痛い」と声を出せば楽になるような気がして、「足痛てぇ、足痛てぇ」と口の中で唸ってはみるのだが、さっぱり効果はない。頭の中で「男は女に比べて痛みに弱い」と言う話をふと思い出したけれど、そんなことは何の役にも立たない。
仕方なく起きだして別室の机に向かい、冷やしたタオルを足首に巻いて湿布代わりにする。足首を触ってみると僅かに熱っぽい感じがするが腫れてはいないようだ。朝になって使い残りの湿布薬に貼り替えてみるものの痛みは一向に治まってくれない。
いつもの出勤時間の8時半になった。女房は今日の事務所行きは中止せよとのたもうけれど、原因不明の痛みと言うのはどうも落ち着かない。痛むのは左足だけで右足はいつもと変わらないし、我が家のすぐ前がJR駅なので杖があればどうにかたどり着けそうであり、二駅目が事務所まで徒歩15分の琴似駅である。健康保険証をカバンに入れ、自宅マンションのエレベーターに乗り込む。
着いた琴似駅のホームに整形外科の看板が目に入った。なんと駅から通路のつながっているビル内で開業しているではないか。杖をついていても痛いのに変わりはないので、事務所へ到着する前にこの病院へ寄ることにした。財布の中身が治療費に足りるかいささか心配だけれど、まあ身分を明かせば1日や2日は待ってくれるだろう。
おお、現実のなんと非情なことか。やっとの思いで辿り着いた医院はシャッターが下りていて、「9時半開院」の札が冷たく下がっているばかりである。時刻はまだ9時に少し前である。無人の通路でこのまま痛みこらえたまま開院を待つのはなんとも惨め過ぎるような気がして、当初計画どおり事務所へと歩き出す。
A 遠い道のり
少し遠回りになってしまったけれど、覚悟を決めたのだから痛みをこらえて階段を下りて歩き出す。一本杖の使い方が難しい。左足が痛いのだから、左手に杖を持って支えるのが当たり前なのかも知れないけれど、どうも右手で使った方が楽なような気もするし、左手に持ち替えても痛む足がそれほど楽になるわけでもない。いささか混乱しながらも杖なしでは身動きの取れそうもないのでそろり、そろりと動き出す。
時々使うJRだから、事務所まではいつもなら約15分の距離である。それに駅から事務所のある西区役所界隈までは駅前通商店街が続いてるので除雪もきちんとしており、歩くにそれほどの支障はないはずである。
ところが遠いのである。登山やハイキングなら目的地を見据えて歩くことも多いだろうが、普段はそんな歩き方なんてすることはない。しかし今は痛む足を引きずり引きずりのゆっくり歩行である。事務所まではほぼ直線である。まず中ほどにあるビルの看板に目標を定め、そこまで歩こうと自分に言い聞かせる。左足を杖で支えてまず右足を前へゆっくりと踏み出す。次いで左足を右足の位置を越えて更に前方へと一歩進めるのが普通の歩き方であろう。これを交互に繰り返すのがいわゆる歩くということなのだから。
ところで左足を前方へ持っていくと言うことは、その振り出した足で体重を支えながら次の右足を運ぶことを意味している。もちろん杖は持っているけれど、体の前方にある左足を杖で支えるような仕草は事実上不可能である。仕方がないので左足を右足と同じ位置まで持ってきて両足を揃えることにする。つまり二歩の努力で一歩分しか進めないのである。しかもその歩みたるや遅々としたものにならざるを得ないから、頭では痛みをこらえながら一生懸命歩いているつもりにもかかわらず、目標としたビルはなかなか近づいてきてくれない。
しかも駅から事務所方面へはホンの僅かではあるが上り勾配になっていることが分かってきた。これまでの事務所勤務10年以上で買い物や飲み会の帰りなどにそれなり通い慣れているはずの道なのだが、このルートが坂道になっていることなど少しも気づかなかった。だがこうして足引きずりながら進んでいくと、くるぶしにかかる痛み具合が明らかにこの道は上り勾配だと知らせてくれる。加えて信号が青になっていても渡りきるには相応の時間がかかるから、目の前の青信号が変わったばかりなのかそろそろ点滅が始まる青なのかなどの事情も考慮しなければならないし、時には信号とは無関係に痛みで小休止が必要になることもある。そんなこんなで歩みは遅くなる一方である。どんどん追い抜いていく人の流れに癪になることはないけれど、なかなか行き着かない遠い目標に我が身が情けなくなることしきりてある。
B 病院へ行く
どうやら事務所に着いた。やれやれと椅子に座って一安心するものの、駅から引きずってきた酷使のせいか痛みは更につのってくる。夏目漱石の「坊ちゃん」よろしく高いところから飛び降りたなど、痛みの原因に予測がつくならまだしも、原因不明の痛みと言うのはどうにも気がかりである。ネットで近くの病院を検索してみたところ、JR駅まで戻らなくてもここから徒歩数分のところに整形外科のあることが分かった。電話で確かめると「本日の診察は午前中のみ」との冷たい返事ではあったものの、まだ10時前なので早速向かうことにする。だが痛む足にこれ以上の歩行を強要するのは無理なようである。思わず近づいてきたハイヤーに手を上げる。
レントゲンを撮り、診察を受けた医師の看たては至極あっさりしたものであった。
骨折やひびが入ったりはしていない。足首の関節がすり減ってきているので、恐らく磨耗で生じた骨片のかけらが関節の中にもぐりこんだことで炎症を起こしているのではないか。2〜3日で治ると思うからそれまで鎮痛鎮静剤の服用と湿布で様子をみてください。
原因が分かるということは、そしてその内容と治るであろう期間までが明示されることはこんなにも安心につながるものなのだろうか。もちろん医者に看てもらったからといってそれだけで痛みが治まるわけではないが、病院から事務所までは来るときのハイヤーなどどこ吹く風、帰り道は杖つきながらではあったが歩くことができた。
C 自宅へ帰る。そして今・・・。
だからと言って直ちに事務所から自宅までの徒歩通勤が復活したわけではない。幸いにして我が家は歩く時間に数分の差はあるものの、JR、地下鉄、バスの三者の利用が可能である。杖ついたたどたどしい歩きが同情を誘発したのだろうけれど、どの交通機関でも席を譲ってくれる人がいたことに多少の驚きがあった。自宅マンションではエレベーターを開放して待ってくれるなど、わが風体がそうさせたのだろうけれど人の善意に感謝することしきりであり、甘んじて受けることとする。
さいわい発症三日目の帰り道からは歩いて帰ることができた。まだでこぼこの残っている雪道なので踏み込む左足に違和感と言うか多少の痛みに似た感覚は残るけれど、三日目は杖を補助に、四日目からはいつも通りに杖なしで歩くことができた。今日でちょうど一週間になる。まだ沈痛鎮静剤の服用も湿布も続けているし、自分の足にくるぶしが存在していることを実感じながらの歩きでもあるので、発症前と同じになったとは言えないだろう。それでもここ数日穏やかな日差しを受けながら、いつも通りの徒歩通勤に戻ることのできた幸せをしみじみ感じている。そして同時に杖ついてとぼとぼ歩いていた姿をふと思い出し、こんな状態になったこと自体がもしかしたら老化のシグナルなのかも知れないとも感じている・・・。
2009.3.11 佐々木利夫
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