1994年、ケビン・カーターと称する写真家がアフリカのスーダンで撮影したとされるこの写真は、その報道をめぐる様々は忘れてしまっているものの写真そのものの記憶は残っているので、話題になった頃にはそれなりの印象を私自身に与えたのだろう。

 アパルトヘイトなどの紛争や内戦の数々など、現在は多少落ち着いてきている気配の見えないではないけれど、当時のアフリカ大陸はいたるところが内戦の坩堝の中にあった。
 少女だと言われなければ男女の区別さえつけられない痩せた子どもの俯いた姿、その姿はまさに死に瀕しているようであり、あたかもその死を願うかのように後方からハゲワシが狙っている。この写真は、これを見た多くの人々に、「アフリカの戦場では子供たちがハゲワシの餌食になっている。世界にはこんなにも悲惨な生があるのだ」とのメッセージを与えたことは想像に難くない。

 写真は写真でしかない。記録映画でも物語でもないのだから、そこには何の説明もない。だからこそ、一瞬の時を止めた画像としての写真の意味がある。文字や言葉による解説のない止まった映像だからこそのメッセージである。タイトル以外に言葉を伴わないメッセージに多くの人々が戦争に対する行き場のない悲惨さを感じ、そう感じさせる写真であったことこそがピューリッツア賞に輝いた意味でもあっただろう。

 やがてこの写真をめぐつて主としてアメリカでこんな批判が沸き起こり、それは次第に膨らんでいった。「撮影の前になぜ少女を救おうとしなかったのか」。それはそのまま撮影者や掲載した新聞や賞を与えることへの批判、つまり報道のモラルへの問いかけへと増幅していった。そしてその増幅は、撮影者ケビンが自殺したことでピークに達する。そうした批判に耐えかねて自殺したとの因果への連鎖である。

 この写真をさがしてネットを少しさまよっていたところ、写真を題材にして大学の卒論を書いたという人のホームページに出会った。報道の正義の観点から「なぜ撮影の前にハゲワシを追い払わなかったのか」との批判は理不尽だとしてケビンの意図を擁護する内容であった。賛否はともあれこれに類した意見は多く見られるようである。それは撮影から既に10数年を経て、人々の意識が少し冷静になってきているからなのかも知れない。

 ところで冒頭にこの写真を知ったのはつい最近のことだと書いたけれど、それは関係した本を読む機会があったからである(藤原章生、「絵はがきにされた少年」所収、第一部第一章『あるカメラマンの死』、集英社)。それはこの写真が撮影された背景を追いかけた著者のレポートである。私はそれを読んで、この写真には写真からだけでは理解できない意外な事実が隠されていることを知ったのである。著者はこの写真を撮影したケビンとその場に同行していたカメラマン仲間からこんな話を聞いていたのである。

 「(私たち二人は一緒に戦争の写真を撮りに行った。多くの女たちが飛行機から降りてきた私たちに向かって飢えている家族のための食料をもらうため必死で寄ってきた。)・・・ケビンが撮った子も同じ、母親がそばにいて、ポンと地面にちょっと子供を置いたんだ。そのとき、たまたま、神様がケビンに微笑んだんだ。撮ってたら、そのこの後ろにハゲワシがすーっと降りてきたんだ。あいつ? あの時、カメラ、借りてきたやつだから、180ミリレンズしか持っていなかったんだ。だから、そーっと、ハゲワシが逃げないように両方うまくピントが合うように移動して、10メートルくらい? それくらいの距離から撮ったらしい。で何枚が撮ったところでハゲワシは、またすーっと消えてったって」(前掲書P23)。

 「・・・だけど、俺に言わせりゃ、少し馬鹿げてるよ、少女を救えだなんて。救えったって、すぐそばに母親がいるんだぜ」(同書P25)。


 写真と言う文字は「まことをうつす」と書くけれど、それは時に大きな間違いを誘導する場合のあることをこのレポートは教えてくれている。私たちは毎日のように報道に接している。その接し方は新聞なりラジオと言った映像から少し離れた場合もあるけれど、新聞写真も含めてテレビなどを介した映像による情報が圧倒的に多くなっている。そうした数多くの映像が、撮影の意図、そして編集と言う手続きを経ることで時に事実や真実からまるで遠ざけられてしまう場合のあることを、私たちだって知らないではない。それでも「映像は真実に違いない」との思い込みは、私たちの身の裡に抜きがたく定着してしまっている。

 しかしながらこの写真を見た多くの人たちに、こうした撮影や編集の背景が届くことはない。四角に区切られた写真には、タイトルと撮影場所がアフリカ・スーダンであることくらいしか情報として伝えられていないだろう。読者はこの映像の中に、内戦に明け暮れる遠くの地で荒野に俯く一人の痩せさらばえた少女の姿を見る。そしてその背後にはあたかもその少女の死を待ち望むかのようなハゲワシの姿を見るのである。確かにそれは見る者の勝手な想像である。そうしたイメージを膨らませたのは写真を見ている者の身勝手な思い込みでしかない。

 そうは言っても、ケビンが「・・・あいつ(ケビン)は仰向けになって、煙草スパスパ吸って、空に向かってうわごとを言ってんだよ。・・・撮った、やったんだ、撮ったんだ、すごいの撮った、俺、撮ったんだなんて涙流さんばかりに興奮して・・・」(同書P24)との思いを抱いていたのだとするなら、その思いは写真の意味を明らかに外れている。いやいや外している。カメラを構えファインダーを覗き、シャッターを押す僅かの間に、彼は数百分の一秒の中へ自分で作り上げた架空の物語を押し込めたのである。そしてこの写真を見るであろう者の誤解を意図的に誘導したのである。

 この本の著者の言葉とて、結局はケビンに同行したカメラマンからの伝聞である。伝聞に証拠能力なしなどと、ことさらに刑事訴訟法を持ち出すつもりはないけれど(320条)、その記述をそっくりそのまま事実として受け止めることはできないかも知れない。

 「見たままを鵜呑みにするな。確かめてから信じろ」はそれなり至言かも知れない。されど「何でもかんでも自己責任」などと言われてしまう風潮と、時に自分の見聞きしたことさえ事実かどうか信じられなくなる渦中にあって、「一体何が本物なのだろうか」とふと現代社会とそこに置く我が身の頼りなさにどことなく不安を感じてしまうのである。

 それにつけても「舗装道路はほとんどない。年の半分は雨で交通が寸断される。発電機と給水車がかろうじて都市の命脈を保っている。3,4月に訪れたスーダン南部の中心都市ジュバは、そんな状態だった」(朝日新聞、2010.5.14、記者有論、ナイロビ支局長)。「スーダン・ダルフール地方で160人死亡。反政府組織とし戦闘激化。ダルフール紛争は2003年、地元の黒人住民がアラブ系中央政府に蜂起して始まり、国連推計で30万人が犠牲になって最悪の人道危機呼ばれる」(朝日新聞、5.17)。写真から16年を経ても、スーダンの現状はそれほど違っていないようである。アフリカに限るわけではないけれど、安全、そして平和はまだまだ遠いままである。



                                     2010.5.14    佐々木利夫


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ハゲワシと少女考
  

 こんな写真をどこかで見たことがある。これが報道写真家などに贈られる世界的に有名なピューリッツアー賞に選ばれた作品だったと知ったのは、実はつい最近のことだった。