白楽天の名を知ったのはいつの頃だったろうか。漢詩に特に興味があったわけではないから、恐らく中学か高校での古文の時間にでも読まされたのがその最初であろう。大人になってからも漢詩への興味が湧いたような記憶はないから、名前くらいは何度が聞く機会があったかも知れないけれど、この詩人の跡をつけようなどとは思わなかった。それがつい先日、NHKテレビの5分間番組の「新漢詩紀行」を偶然耳にして、久し振りに白楽天の名とその一作を聞いたのであった。
もとより私に漢詩を読み解く力はないし、解説を聞きながらでもそれほど共感を呼びこまれるだけの知識もない。それでもどこか今の私にこの漢詩に似た境遇をふと感じてしまった5分であった。
紹介された漢詩は次のようなものであった。
苦熱 白楽天
頭痛汗盈巾 頭(かしら)痛み 汗巾(きん)に盈(み)つ
連宵復達晨 連宵 復(ま)た晨(あした)に達す
不堪逢苦熱 苦熱に逢うに堪えず
猶頼是閑人 猶を頼(よ)るは是れ閑人(かんじん)
朝客應煩倦 朝客 應(まさ)に煩倦(はんけん)すべし
農夫更辛苦 農夫 更に辛苦す
始慚當此日 始めて慚(は)ず 此の日に當たって
得作自由身 自由の身と作(な)るを得たるを
頭はうずき、汗があふれて頭巾はびっしょりぬれている
こんな状態が連日連夜朝までつづく
このひどい暑さにはとても堪えられない
それでも幸いなのは、私の役目が閑なこと
朝廷に参内する役人たちは、きっとうんざりしているはずだ
農民は、もっとつらいに違いない
まさにこんな日に、はじめて
自由の身になれたことを感謝するのであった
白楽天は772年の生まれなので、今から1200年以上も前の唐時代の詩人である。詩人とは言ってもこの時代の法務長官にまで上りつめていてるから、エリート中のエリート官僚だったと言ってもいいだろう。
経歴によると彼は57歳で病と称して辞職し、当時の都会であった洛陽に居を移しその後の18年を半ば隠居同様に過ごしている。
この「苦熱」の詩は59歳の作だと言われている。夏の暑い日も暇な仕事で楽しんでいることを喜び、かつて自分がそうだった役人に同情とも優越じみた満足ともとれる感情を抱いている気持ちが読み取れる。ところが彼自身もこの詩に「私の役目が暇だ」と書いているように、退職後も官職についていることが分かる。図書館で調べてみたところ、そのポストは「太子賓客分司」となっていていわゆる皇太子付きの名誉職らしい。つまりは辞職後の官職なのだからいわゆる天下りをしたということになるだろう。
と言うことは官僚の天下り、つまり高級公務員の天下りと言うのはこの時代から既に存在していたということでもあろう。しかも彼の生活ぶりから見るとけっこうな高給を得ていたように思える。彼の晩年の詩には
「・・・富んでいる者、貧しい者、それなりにとりあえずまあ楽しもう。大きく口を開けて笑わないやつは、たわけものだ」(対酒 五首 其ニ)であるとか、
「人生に壮健な時はいくらもないのだから酔うことに遠慮してはいけない」(同前 其四)など酒にまつわるものが多く、友人との付き合いや酒食を楽しんでいる様子が見える。
私は白楽天の生涯をまるで知らないから断言はできないけれど、官僚として功なり名を遂げたであろうことはその最終ポストからも知ることができる。もちろん責任あるポストにはそれなりの苦労も伴ったであろうことを否定するつもりはないが、それでもこの「苦熱」から感じられる彼の晩年は満足に満ちている。
官僚を単に国家公務員と呼び代えてもいいのなら、私も10数年前まで官僚の端くれに位置していた。だからと言って我が身を白楽天に重ねることなど及びもつかないし、天下りもないままに自力でこうして税理士稼業で糊口をしのいでいることも白楽天とは大違いである。
それでもこうしてたった一人のワンルームマンションの事務所で過ごすひと時は、今は冬だから「汗の滴る暑さ」はそのまま寒さに変えなければならないけれど、彼の「苦熱」に折り込んだ「勤務時間に拘束される役人生活の苦労」をよそ事として感じられる今であるとか、「自由の身になれたことを感謝する」に匹敵するような喜びを与えてくれる今の生活に共感できるものがある。好きな酒はまだまだ楽しむことができ、仲間との事務所での居酒屋もそのまま続いている。自宅からの片道50数分の徒歩通勤も苦になることもなく毎日続けられているし、ネットで検索できる札幌全市の図書館の書架からはリクエストに応じて読みたい本が目の前の図書館まで届けてくれる。
白楽天とは違って家賃の支払いくらいがやっとの毎日ではあるが、それでもその「やっとの毎日」であることは同時に「たっぷりの楽しめる時間」の反語でもあり、こうして好きな雑文を書いたり読書に費やしたり、更に更に下手くそな楽器に手を伸ばすことなどができる時間の意味でもある。
白楽天の生涯74歳まで私の残すところはあと4年、どことなく老いの感じられてくるこの頃ではあるが、どこまで「自由の身」を感謝していられるか、それともこんな気持ちのままで白楽天の歳を超えることができるか、未来はあくまで未知数ではあるけれど、今はこの小さな部屋で「たっぷりの時間」を心行くまで楽しんでいる。
2010.12.10 佐々木利夫
トップページ ひとり言 気まぐれ写真館 詩のページ