国民投票法が成立し公布されたのは平成19年5月のことだから今年でちょうど3年になる。そして5月18日がこの法律の施行日であった。ところでこの3年間は施行のための準備期間と考えられていたにもかかわらず、さっぱりその論議が進んでいない。この法律の正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」だから、まさに憲法改正の是非を国民に問うだけのために制定された法律である。
憲法の改正には「国会の各議員の総数の三分のニ以上の賛成で国会が発議し、国民の過半数の賛成が必要」(憲法96条)とされているにもかかわらず、そのための手続きに関する規定がまるで存在していなかったことがこの国民投票法制定の目的であった。
それにもかかわらずこの投票法には国民投票に付随するさまざまな整備が不十分なままだとされている。投票のできる資格、いわゆる憲法改正の是非を決定する国民としての資格は満18歳以上と決められたものの、20歳を成人とする民法や同じく公職選挙法の有権者の規定などとの整合性をどうするか、また憲法改正賛否の投票は単独でも選挙の投票と一緒に行ってもいいことになっているが重複させた場合の整合性など、解決しなければならない問題が多く残されている。
そのほかにも改正憲法の原案を審議する機関として国会内に「憲法審査会」が設けられることになっているにもかかわらず、参議院ではその細部の規定が設けられておらず衆議院でも委員の選任さえなされていないなどの問題も指摘されている。つまり、国会内で憲法改正を審議する場そのものがないと言う現状にあると言うことである。
もちろん3年経ったからと言って突如として憲法改正に関する投票が要求されるわけではなく、投票するような状況が生じた場合の手続きを定めるだけのことだから、そんなにあわてなくてもいいだろうと言う理屈もあるだろう。だが3年もの間こうした必要な手続きが、手付かずのままに放置されていたと言う状況もまた憲法と言う国の根幹にかかわる問題であることから見るなら異常である。
そのほか例えば現行憲法96条の「国民の過半数の賛成」についても、それが投票総数の過半数なのか、それとも有効投票の過半数なのか、積極的な改正支持者のみをカウントすることでいいのか、例えば「分からない」とか「どちらとも言えない」などの意見は投票として有効なのか無効なのか、そんなことすら必ずしもきちんと整備されていないようである。更には、これはもっぱら現行憲法9条(戦争放棄)にからめて問題視されることが多いけれど、改正が戦争や人権や地方自治など複数の項目に及んだ場合、それぞれの項目ごとに賛否を求めるのか、それとも「改正憲法原案」全体について賛または否の意思を問うのかも明確ではないようである。
そもそも仮に「改正することを認めない憲法」なんてものがあったとしたら、たとえそれが理想的な憲法であったにしても憲法として不適格であることは理の当然であろう。憲法は立案者のためにあるのではなく、国民の総意なのだから、仮に今ある憲法が理想だと思うなら改正の手続きを定めた上で改正しないことに国民が賛成の意思表示をすれば足りるからである。そうした意味では「改正の是非を論議すること」もまた、憲法が求める「国民主権」、「国民の自治としての憲法」であるための必須の要件でもあろう。
ところで数日前の新聞にこんな投書が載っていた。
「憲法改正 政治家は先走るな。 ・・・新聞で政治家に多くの改憲論者がいることに驚くと同時に、疑問も感じました。なぜなら日本国憲法は99条で、国務大臣や国会議員らに憲法尊重擁護義務を課しているからです。・・・国民の権利・自由に直接かかわる憲法の改正は、まず国民の間でしっかり議論されるべきで、権力を担う政治家が率先して行うべきものではないはずです。・・・」(2010.5.13、朝日新聞、大学生22歳)
読んでいて、おやっ、彼は大学で憲法の講義を受けているにもかかわらず(引用しなかったが文中にその旨の記述がある)、どうして99条をこんな風に解釈してしまったのだろうかと、ふと疑問に思ったのである。確かに99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と規定している。だがそれは現行憲法を護って誠実に仕事をせよ、憲法に反するような不利益を国民に与えてはならないと言っているだけであって、憲法に「憲法改正を許さない」との規定が存在しているわけではないのだから、憲法に反する行動を起こしたり無視することが許されないのは当然ではあるけれど、「改正を考えることすら許されない」こととはまるで違うと思うのである。
彼の主張は更に、
「本紙(朝日新聞のこと)
世論調査では『改正の必要あり』は47%と半数を切っています。国民が『改正すべし』とした時に初めて、国民の代表機関たる国会で議論すべき問題ではないでしょうか」と続く。つまり彼は世論調査の結果を待って憲法改正の議論をスタートさせるべきだと言っているのである。世論調査がどの程度国民の意見を代理しているのか、私は必ずしも十分に理解しているわけではない。統計的には現在行われている千数百人への無差別電話聴取でも、その妥当性が認められるのかも知れないが、国の基本法たる憲法の改正にサンプル調査を持ってくることにはどことなくそぐわない感じがしてならない。
仮にサンプルでもいいとする彼の主張を取り入れるとしても、そのためには憲法改正には現行憲法の規定にない「事前の世論調査」と言う手法が必要とされることを認めなければならない。そしてそのためには憲法そのものにそうした規定がないのだから、改正の必要性を問うための世論調査の要件やその手続きを定める法整備が必要になることを意味している。このことは国民投票という全国民を巻き込んだ意思確認手続きが憲法で求められているにもかかわらず、同じような意思確認を重複して求めるということでもある。
恐らくこの投稿者の意見の背景には、「憲法改正にはそもそも反対」との考えが抜きがたく染みこんでおり、改正を考えることそのものが現行憲法に対する背信行為であるとの思いが色濃く潜んでいるように思えてならない。
国民それぞれが自国の憲法について考えることは誰にも否定されるべきことではない。そのこと自体は投稿者自身も理解していることだろう。だが、「憲法について考えること」、そしてその結果として「改正せずにこのままで護ろう」と考えたり「一部もしくは全部について改正すべきである」と考えるのも、ともに日本国民として当然に認められている「日本人としての基本的な権能」だと思うのである。そうした考えることは決して「国会議員といえども国民の一人である」と言う意味ではなく、国民の代表でもある国会議員としても当然に考えて然るべきであって決して憲法99条に反するものではないと思うのである。
「日本も軍備を持つべきである」として陸海空軍を持つ法律を発議し必要に応じ軍隊を組織することは明らかに「戦力を保持しない」とした憲法9条2項に違反し、同時に徴兵制を定めるような法律を制定しようとするのなら発議そのものが99条に違反することになるだろう。だがそのことと、「軍隊を持つべきだが現状では憲法に違反するから、軍隊を持てるように憲法を改正すべきである」と考えてその意思を発表することとはまるで違うと思うのである。それは「考えることすら認めない」と言う、現行憲法の理念でもある基本的人権を頭から否定することになってしまうと思うからである。
もしかしたら投稿者の思いの中には、「政治家が憲法改正を論議しだすと、多くの国民はそれに影響されてしまい賛成の方向に傾いてしまうかも知れない」との国民に対する不信感があるのかも知れない。また、9条の改正だけが頭にあって、例えば国民の更なる人権の擁護につながるような改正などははなから思い浮かぶようなことがないのかも知れない。
私は「敗戦に伴う占領下で押し付けられた憲法」と言うことだけで現行憲法を批判する意見には必ずしも与しないし、それなり素晴らしい内容を持っている憲法だと思っている。たが丸っきり改正を許さないほどにも完全無欠で理想的な憲法だとも思っていない。時代の変化についていけないようないくつかのほころびが、現行憲法にも見え隠れしてきているからである。
もちろん投稿者も言う
「いまこそ、主権者たる我々国民自身が、憲法とは何か、それを通して日本がどうあるべきか考えていかねばならない」ことは私にも十分に理解できる。
だがそうした思いが飛躍しすぎて、「憲法改正」がそのまま「憲法改悪」になるとの思いにまっすぐ連なってしまうこと、更にはそれが高じて「国会議員には改正を考えることすら許されない。改正を考えることそのものが99条違反である」との思いにまで投稿者の気持ちが進んでしまっているように私には思えてならない。そしてそうした思いは、自分で考えることから少しずつ遠ざかりつつあるかに見える現代人の心に、知らず知らず浸透していっているように感じてしまうのである。
2010.5.19 佐々木利夫
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