厳密な意味での「薬」の定義を私は知らない。だからサプリメントみたいなものがいかに薬に似た形状で作られていたとしてもそれを薬と呼ぶのは間違っているのかも知れない。
 普通、薬とは病気を治すために利用される人体に一定の作用を及ぼす物質みたいなものを言うと私たちは理解している。ただそんな風に言ってしまったら、例えば麻薬や覚せい剤、更には農薬などは薬とは呼べないのだろうかとも思ってしまう。それとも麻薬なども治療に使うことがあるのだから、そういう意味では薬であり、たまたま本来の目的以外に利用されているに過ぎないと理解すべきなのだろうか。それなら、例えばサプリメントはどんな意味で薬に該当するしないの判断を下せばいいことになるのだろうか。

 ともあれ、私は薬の定義をここでしようと思ったわけではない。ただサプリメントや民間療法まがいのきのこや魚介類などの粉末、更にはいかがわしいかも知れないけれどどこかの神社の裏の井戸から汲んだご利益ある聖水などまで含めて、人体に本来備わっているであろう治癒力以外の効果をもたらすであろうと信じられているようなものをとりあえず薬と呼んでみたいと思う。

 だとすれば薬は現代に限らず昔から人々の生活の中には様々な形で登場してきたことを否定はできないだろう。例えば漢方薬はその名の通り薬だろうけれど、同時に「医食同源」の語もあるからその範囲を広げていくなら毎日の食事さへもが薬の範囲に入ってしまうことにもなりかねないからである。だとすれば薬と薬以外の境界線を決めることは実は現実的には非常に難しいのかも知れない。
 その辺りの判定は、無責任を覚悟し厳格さを捨象した上であいまいなまま話を進めることにしよう。だからこれから話す内容や効能が単にテレビや新聞雑誌などのメディアによる広告宣伝の効果に過ぎないと反論されてしまえばそれまでのことかも知れないけれど、現代人のいわゆる薬への依存にはどこか行過ぎているような違和感を覚えてならない。

 現代は病気もそうだけれど、美容も健康も、更には精神衛生の分野などもひっくるめてすべて薬の支配するようになってきているように思えてないらない。にきびも薬で治すし、毎日の便通なども同じである。美白効果からダイエットまで薬の支配は止まるところを知らないように思える。証拠による効果までは証明されていないようだが、「頭を良くする薬」の話も聞いたことがある。

 私が薬に対していささか過大なイメージを抱き始めたのは宇宙旅行が世情を賑わし始めた頃からだったような気がしている。私が高校を卒業する直前の1957年に無人ではあったがソ連の人工衛星スプートニク1号が世界で始めて地球を周回し、米ソの宇宙開発競争が始まった。そして4年後の1961年、ソ連のボーストーク1号がガガーリンを乗せた世界初の有人宇宙飛行に成功し、「地球は青かった」のメッセージが世界を駆け巡った。

 こうした宇宙開発競争は人工衛星に人間を乗せること、そして月への有人探査計画へとつながっていった。そうしたとき、宇宙での長期滞在中飛行士はロケットの中で何を食べるんだろうという話へと発展し、宇宙食はやがて水と丸薬になるだろうとの話へとつながっていった。現実の宇宙食は丸薬になることなどなく、レトルトにしろ普通食に近いものが開発され実用化されているようだが、当時の宇宙かぶれの私にとって「一日一粒を口に入れるだけで必要な食事や栄養素のすべてをまかなえる万能薬」みたいなものの存在、もしくはそうした方向への開発をそれなり信じていたように思う。
 つまり、それを薬と呼んでいいかどうかはともかくとして、「一粒で満足できる万能薬」みたいなイメージは少なくとも私の中では少しずつ固まっていったような気がしている。

 そうした宇宙の万能薬はその後実現することはなかったけれど、それにもかかわらず私たちの身の回りには今やこうした万能薬に似た製品が姿を変え形を変えてひしめきあっているように思えてならない。
 そうした薬が個人に及ぼす効能の違いや副作用などから純粋な意味で万能と判断できるまでにはいたっていないようだが、それでも人が薬に依存しているような状況はとめどなく拡大していっているように思えてならない。

 話は変わるが、アメリカのある州では財政危機に対処するため、大麻に税金をかけることで販売や吸引を合法化しようとの動きもあると聞く。日本では禁止されているけれど、大麻にどの程度の危険性があるのか、または習慣性や禁断症状なども含めて人体に無害と言えるものなのか私にはきちんとは理解できていない。言ってみれば「タバコ」だって麻薬と似たような性質を持ちながらも合法的な嗜好品として世界中に流通しているのだから、それと大麻とはどこが違うのかと問われても私には厳密な意味では答えようがない。

 中毒症状による行き着く先がどうなるかはともかくとして、麻薬や覚せい剤には服用による幸福感や高揚感などがあると言われている。それは禁断症状などを無視した密売人の身勝手な言い分であるに過ぎないにしても、麻薬や覚せい剤はとりあえず幸福を与える薬としての効果はあるのは事実なのだろう。
 もし麻薬から副作用や禁断症状などを除去できたとするなら、それは「幸福の得られる薬」としての地位を確保できるのだろうか。

 「にきびから幸福まで・・・」、私にはなんでもかんでも薬に頼ろうとする現代が、逆にどこか病んでいるように思えてならない。薬の効果をなんでもかんでも否定しようとは思わないし、口に含むような薬まがいのものの全部を薬だと断定するつもりもない。だが100円ショップやコンビニの店頭にまで氾濫している小さな袋や容器に入ったサプリメントの陳列、そしてテレビや新聞などを通じてのぺつくまなく流れている健康や治療に効果があるとの情報の氾濫はどこか変である。

 口臭予防の歯磨き剤、元気で若々しさをいつまでも保てる高麗人参、昆布エキスが配合された白髪染め、介護を受けないための核酸・DHA(ドコサヘキサエン酸)・イチョウ葉エキス・ビタミンB12の配合剤、食事の脂肪を吸収する健康茶。そのほかグルコサミン、U型コラーゲン、コンドロイチン、ヒアルロン酸、糖転移ビタミンP、サメの軟骨、鶏軟骨抽出物、ショウガ末などなど、これらは果たして薬なのか食品なのか。今朝の朝日新聞(2010.11.18)はざっと見ただけでこんなにも多くの薬まがいの広告にあふれていた。

 これらについて私は、その効果を検証する何のデータも持ち合わせていないから肯定も否定もできない。それでもこれほど多品種、多機能の薬まがいの商品の宣伝に、私はどこか危険な臭いを感じてしまうのである。そしてこのほかに、薬事法に定められているであろう「本物の薬?」は気の遠くなるほどてんこもりに存在しているのだから・・・。



                                     2010.11.18    佐々木利夫


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薬で幸せになる時代