十三夜などと書くと、長唄か演歌のようなどちらかと言うと色っぽい場面が浮かんでくるけれど、このタイトルのきっかけは残念ながらそんな風情から出たものではない。今週の月曜日の更新記録のメモに、明後日の20日が満月で今日18日は十三夜だと書いた。帰り道、この頃はすっかり日暮れも早くなり、僅か西の山の端にかすかな明るさを残すだけになっている。ふと十三夜の記述を思い出して東の空を振り返ってみた。都心ほどではないにしてもこの琴似地区も段々とビルの高層化が進んできて、そんなにあっさりと夜空を開放してはくれないがそれでも少し星が見えているから晴れてはいるようだ。
 満月は太陽と正反対の方向に見えるから、それに近い十三夜の月もほぼ同じ位置にあるだろう。西に向かう自宅への道すがら、振り向けば観月の機会はいくらでもあるはずだと歩きながら探すことにした。

 どんぴしゃだった。快晴ではなかったけれど、雲間に隠れまた顔を出し、時には薄い雲を通して届く今日の月は私の背を押すように自宅まで付き合ってくれた。
 「そうか、これが十三夜の月なのか」と古人の抱いたであろう感傷を思い浮かべながらも、ふとどこか違和感が湧いてくる。十三夜は毎月巡ってくるけれど、いわゆる十三夜と呼ばれる名月は年に一度今宵だけのはずである。毎月毎月関心を持って月齢に応じた月を眺めているわけではないから、十三夜の月がどの程度の状態なのか、満月に比べてどの程度の欠け具合なのかを必ずしもきちんと理解しているわけではない。それにしてもどこか欠け具合が多いというか十三夜と呼ぶには少し小さく、もう少し満月に近く太っていてもいいのではないかとの思いが頭をよぎった。

 それでもこれが中秋の名月よりも美しいと古来から日本人が愛でてきた名月である。時々立ち止まって振り返り、時に腕を組んで対峙する。こうした南東のほぼ45度の中天に懸かる今宵の月を鑑賞しながら家路への道を辿るのも、朝夕の道端の景色なども含めて徒歩通勤の余慶である。

 ところで明けて翌19日の朝のことである。昨夜のことなどすっかり頭にないままポケットラジオを耳に事務所へといつもながらの徒歩通勤である。イヤホーンからはいつもならNHKのFM放送のクラシックカフェが流れてくるはずだが、昨夜の帰途はNHK第一放送のニュースを聞いていたらしく、そのセットがそのままメモリーされていて「ラジオビタミン」が入ってきた。そして間もなく火曜日定番の「陰暦で暮らそう」のコーナーが始まった。なんとなく聞き始めた番組のなかで、なんとスタッフの会話は明日が十三夜だと告げているではないか。

 どうやら私は「20日が十三夜だ」との情報を何日か前の別の放送で聞き、芋名月だとか豆名月などと呼ばれて古来から名月として親しまれているとの情報を得て、無意識に今月20日が先月の中秋の名月に次ぐ満月の日であると錯覚してしまったようである。つまり私は満月と十三夜を混同してしまい、二日早い日付を満月だと思い込んでしまったようなのである。
 だから私が感動しつつ眺めた昨日の月は名立たる十三夜ではなく、それよりも二日早い十一夜に過ぎなかったと言うことである。どうりでまだ少し痩せていて、名月にふさわしい貫禄に多少欠けていたと感じたことにも合点がいった。これで今年の十三夜はこれから到来することになったわけで、昨夜の感動や我が誤解は忘れることにして楽しみが先に延びたと気持ちを切り替えることにしよう。

 19日はいつもの仲間から誘いがあって、いつもながらの事務所で飲み会を開いた。そしてこれまた定番のようにほろ酔いで次のスナックへと足を向けることになった。酔った顔に涼しくなった晩秋の夜風が当たり、目の前の中天には昨日と同じような月がどっかと鎮座していた。昨日よりも雲は少なく月はくっきりとその姿を誇示しているけれど、それでもこれはまだ十二夜である。
 その月を指しながら明日が十三夜だと、ほろ酔い男はほろ酔い仲間にいささかの薀蓄を傾ける。と、その仲間が突然、「この月は上弦の月だ」と言い出した。私の理解では上弦、下弦の区別は三日月を弓に見立ててその弓に張る糸(つまり弦)が三日月型の上にあるか下にあるかだと思っていたので、突然そう言われていささか混乱してしまった。半月よりも太った状態の月に上弦だの下弦だのと言った名称を付すことなど思いもよらなかったからである。

 とっさに、半月よりも太った月に「弦」を張ることはできないので上弦・下弦の表現は半月よりも痩せた状態、つまり月の太さはともかく三日月型の場合にしか使わないのではないかと反論したのだがどうも納得してくれる様子がない。どうせ酔っ払い同士のたわ言であり、私にだってその区別についてのきちんとした理解があるわけではない。そうした他愛無い議論など決着のつかないまま、やがて目指す馴染みのスナックに着いてしまい、この天体ショーに関する壮大な議論はそのままになってしまった。

 ネットなどで調べてみればこんな区別くらいすぐに答えは出るだろうけれど、そこまでの必要はない。どちらかが間違って覚えていたところで、これからの互いの人生に何らかの影響を与えるとも思えない。こんなどうでもいい話は、酔っ払いのたわごとのままで止めておくのも一興かも知れない。それに次のその仲間との飲み会までこのテーマを覚えていられるほどの自信もないし、第一そんな話題を復活させて勝った負けたもないだろうとの気もしてくる。

 ところで今日20日が念願の十三夜である。だが今日の札幌は朝から今にも振り出しそうな厚い雲が全天を覆っていて、予報によると明日の午前中まで晴れ間は見せてくれないようである。どうやら今年の十三夜は、思わせぶりに十一夜と十二夜を与えてくれただけで、その美しい姿は来年までお預けをするつもりのようである。



                                     2010.10.20    佐々木利夫


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