DVDではあるが、久し振りに手応えのある映画を見た。今では億劫さも含めて映画館に行くことはとんと少なくなり、テレビでもSFじみたものしか見なくなっているような私が、どうしてこの映画を見ようと思ったのか考えてみると不思議である。もちろんこの映画について私の持っている情報は皆無であり、ましてや2006年にドイツ・アカデミー賞を受賞した作品であることなどもまったく知ることなどなかったからである。

 恐らくはタイトルに「ピアニスト」の語が入っていることで一応クラシック好きを自認している私の触覚に何らかの刺激を与えたこと、そしてピアノ曲に関連した物語かもしくは「戦場のピアニスト」のようなピアニストの生涯に戦争や歴史などを重ねた物語だろうとの気持を誘発したからのような気がしている。もちろんこの映画もそうした意味ではピアニストにある種の歴史を重ねた物語であることに違いはなかったけれど、それでも抽象的にもせよ私がタイトルに抱いていたストーリーへのイメージとはまるで異なる内容であった。

 主人公は21歳の若い女性、ジェニーである。彼女は女性刑務所に殺人罪で服役している。少女時代には天才ピアニストとしてもてはやされた時もあったけれど、今では刑務所内で看守に反抗を繰り替えし、他の囚人との間で暴力事件を起こすなどまさに手のつけられない厄介者になっている。
 そこへこの刑務所内で音楽を通じて囚人の更生を図ろうとしている、80歳の老ピアニストトラウデの登場となる。この物語はこの二人の、と言うよりは二人だけのストーリーとして展開していく。

 所内でモーツアルトの曲をオルガンで演奏していたトラウデは、大勢の女囚に並んで熱心に曲に合わせて指を動かしているジェニーの姿を鏡越しに見る。彼女のピアノに対する才能を感じたトラウデは、刑務所長に頼んで個別のレッスンを開始する。自分をコントロールできないジェニー、昔かたぎのトラウデ、二人を巡る様々な葛藤がここから始まる。
 ジェニーは果たして義父にレイプされたのか、それとも夫を守るためにそんな嘘をついたのか。彼女はモーツアルトのような天才ピアニストに仕立てようとした義父の教育に反抗したため、その義父からレイプされたと告白する。だがそれはどこまで真実なのか。途中で登場する義父との出会いにもその答えは出ないままである。義父はまた「彼女は殺していない」と殺人の事実すら否定する。
 一方トラウデにもトラウマがある。彼女は若い頃同性愛者であった。そして彼女の恋人であった女性が国家反逆者としてナチスに処刑される姿を目の当たりにしながら、なす術もなかったとの過去を持つ。

 最初の驚きはジェニーの手錠のままの演奏であった。トラブルを繰り返す厄介者の彼女は、看守にとっても厄介者である。そうした嫌われ者に対する一種の嫌がらせだろうけれど、ピアノのレッスンが所長から許可されていることは知っているけれど手錠を外す許可までは得ていない、と頑なに規則を主張する看守に、あろうことかジェニ−は手錠のままピアノに向かうのである。
 もちろんそれは映画として創作された映像であり、撮影テクニックを駆使した一つの技術的な成果なのだろう。だが私にとっては始めて経験した映像であり、そこには少なくとも「手錠をはめたままの演奏」である事実に嘘はなかったように思えた。

 二人は葛藤を重ねながらもコンクールへの出場という一つの目的を持つことで少しずつ打ち解けていく。刑務所の外で一般の観客の前で演奏する音楽コンクールへの出場である。刑務所が更生にも熱心であることをアピールしたいとの目的もあって、所長も彼女のコンクールへの参加を認めるようになる。
 だが彼女のピアニストとしての才能や特別にレッスンを受けていることへの処遇などは、同時に他の囚人からの反感や妬みを買うことにもなる。その結果、繰り返される嫌がらせの数々に彼女の怒りは突如として暴発する。そしてその暴発は相手を瀕死の状態へと追い込むまでの暴力として表われる。

 これで彼女のこれまでの努力は終わりである。殺人犯としての彼女は収監されている刑務所内で再び殺人とも言えるような重大な事件を起こしたのである。彼女はこれまでに重ねてきたレッスンの成果とその発表する機会を、自らの力でつぶしたのである。そしてこうした機会の喪失は、同時にトラウデにとって熱い思いを秘めながら培ってきた自らの夢の喪失でもあった。

 トラウデは突然、ジェニーを脱獄させることを思いつく。脱獄してもすぐに逮捕されることは分かっている。それでもトラウデはその日を自分の仕事の最後の日と定め、脱獄させてでもジェニーを発表会へ出席させようと考える。脱獄をテーマとした映画やドラマを見慣れている目にはいかにも稚拙に見えるけれど、老女の願う「コンクールで発表するための時間稼ぎ」を目的とした脱獄は、看守の協力などもあってそれほどの緊迫感もなく成功する。
 演奏会用のドレスの着用、脱獄の発覚、会場での受付、慌てふためく刑務所内の動き、近づく発表の時刻、街を走るパトカーのサイレン、そんな風景が次第に緊張を強めていく。

 やがて会場へと伸びる捜索の手、オペラハウスにも似た会場には満員の観客、スポットライトを受け登場するジェニー。踏み込もうとする警察官にトラウデは、「仕組んだのは私、数分だけ待って」と懇願し、その時間を演奏の終るまでの「4分間」と告げる。
 シューマンのピアノ協奏曲イ短調が力強いタッチで始まる。協奏曲ではあるけれど舞台にはピアノが一台あるだけである。オーケストラまでをも背負って彼女は今ピアノにたった一人で向かっている。黒いピアノと白い鍵盤、胸元の少し開いたドレスの彼女だけがスポットライトに浮かんでいる。見守るトラウデ。

 突然、まさに予想もしていないことが起きる。鍵盤を端から端まで指で滑らせた彼女は突然に立ち上がる。そして僅かの沈黙、やがて彼女の動きはピアノ演奏ではなくなる。グランドピアノに張られた弦を指で弾き、拳で鍵盤を叩く。足踏みし、天板を平手で打つ。それはもうピアノを演奏する姿ではない。ピアノの周りを自在に動き回り、椅子を鳴らし髪振り乱す彼女の姿は、まさに全身を使っての強烈なリズムそのものである。
 それを恐らく演奏とは言えないだろうがまさに怒りそのものを見るようである。だが果たしてその怒りは誰に向けられたものなのだろうか。己へか、トラウデへか、刑務所へか、社会か、人生か、未来か、神か・・・、恐らくそれは彼女自身にも分かってはいないような気がする。それでもピアノに叩きつける行き場のない怒り、そして絶望にも似た思いがひたむきさを伴ないながら私たちに突き刺さってくる。

 拳で叩く低音部の響きを最後に演奏は終る。会場に明かりがつく。すでに舞台の傍らには警官が立ちふさがっている。今聞いた演奏に戸惑うような観衆、僅かの間を置いて満場からは割れるような喝采の拍手が響き、聴衆は総立ちになって称賛する。だが聴衆はどこまで彼女を理解したのだろうか。その拍手に向かうように彼女はゆっくりと頭を下げる。両手を広げ、レディのみがやるようなまさに正式なお辞儀である。そしてそれは日頃からトラウデが呪文のように唱えていた昔かたぎの礼儀の実践でもあるかのようである。
 だが彼女の顔に満足の色はない。そのお辞儀は恐らく聴衆に向かってのものではないだろう。二階席の入り口に佇むトラウデ、その姿をひたと見据えあたかも挑むような上向きの視線を向ける彼女。静かに頷くトラウデ。その表情にはこの狂気のような演奏への承認の笑みがほんの少し浮かぶ。その笑みを彼女は舞台から見ることができただろうか。

 下げた頭を上げる間もなく二人の警官が彼女に駆け寄り両手をつかもうとする。警官の手には光る手錠が握られている。映画はこんなストップモーションのまま終る。少し上目遣いの彼女の瞳は、トラウデの肩越しに何を見ようとしているのだろうか、そして何を訴えようとしているのだろうか。



                                     2010.9.16    佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



4分間のピアニスト