仲間の中には歴史小説が大好きだと言う者も多いけれど、私は学生時代を含めて日本史、西洋史ともどちらかと言うなら不得意な分野だった。しかも歴史の授業と言うのは、例えば日本史を例にとると、縄文や弥生時代などから始まって、やがて卑弥呼の登場、そして聖徳太子や大化の改新などから源平時代などへと進み、やがて足利だの織田信長だのが出てきて江戸時代へと駆け足で流れていく。そうこうしている内に坂本竜馬だの新撰組が顔を出す間もなく学期末が迫ってくる、そんな授業が私の記憶である。せいぜいが明治初期から北海道開拓あたりまで進んだとしても、日清日露の戦争や第二次世界大戦にいたってはほとんど学習することなく、「後は自分で勉強しておくように」などと言われて卒業へと進んでしまったような気がしている。

 私の意識としては、むしろ近代史から始まって逆に縄文時代へと遡るような教え方のほうが、歴史をどのように理解するか、歴史とは何か、歴史から何を学ぶかなどを考える上からは妥当するようにも思えるのだが、歴史とは時間の流れであり、時間の流れとは遡及しないものだとの思い込みが教科書からも授業を担当する先生の脳裏からも離れることはなかったようである。

 そんな歴史に対する記憶などもあって、題名につられて読み始めた本がある。「そして日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著、朝日新聞社)がそれである。けっこうずっしりとしたヴォリュームを持つ一冊であり、日清戦争・日露戦争から始まって第二次世界大戦にいたるまでの背景を、一応高校生に分かるようにとの意図の下に書いたとされる著作である。

 だがそれにもかかわらず読んでいてどこかしっくり来ないものを感じてしまった。それは「高校生と一緒に考えよう」(P3)という形で綴られており、同時に「中高生のみならず中高年の期待も裏切らないはず」(P8)である著者が語っているにもかかわらず、読み進めていくにつれてどこか著者の独善と言うか一方的な解釈が強制的に臭ってくる仕上がりになっているように思えてならなかったからである。

 それはこの本の構成そのものから来る臭いでもあった。著者の抱く見解に対して私は批判しようとは思わないし、また論破するだけの力を持ち合わせていないことも十分に承知している。それにどんな考えにしろそれは著者自身の人生や生き方によるところが大きいのだから、そうした意見の存在そのものを尊重しなければならないことくらい私にだって理解できているつもりだからである。

 ただ話の展開の仕方についてはどうも気になるのである。それは全編を通じて著者が「〇〇だったのはどうしてでしょう」などの質問を高校生(一応、歴史研究のグループとして位置づけられている)に発信するスタイルで書かれていることにあった。著者はこうした問いかけを高校生に発し、それに対する彼らの意見を紹介した上で、必ずと言ってもいいくらいにその意見への承認の立場をとり、そうした生徒の意見を補強し継続する形で話を展開していっているからであった。

 つまりこの著作は教室における授業風景を描写する形式で進められていくのであるが、その集団は講師・生徒とも一つの歴史観に対する賛成集団になっているのである。このグループの中には反対意見も、理解できないでいる生徒も、間違って理解している生徒も一人として存在していないのである。講師の周りにはすべてイエスマンしか群がっていないのである。

 著作と言えども編集を経て製本になるのは当然のことだから、例えばトンチンカンな見方や箸にも棒にもかからないような誤った見解などは端から採用しない形で文章化されていくのは当然のことかも知れない。だが私には、トンチンカンな質問もまた、そうしたトンチンカンさを持った人がいると言う事実を示しているのであるから、そうした意見もまた誤っているにもせよ一つの見解であるように思えるからである。それはまた反対意見についても同様である。それとも著者は「高校生の分際で私の意見に反論するには100年早い」などと思っているのだろうか。間違った意見など歯牙にもかける必要すらないと思い込んでいるのだろうか。

 「どうして私は、『なんと』などとおおげさな表現をして嘆いてみせたのでしょうね」と著者は問いかける。高校生がある意見を述べる。「ああ、そう言うことです」、「いいですね」と著者は続ける(P153〜155)。
 「なぜ、日本はそうしなければいけないのか」と著者は問いかけ、生徒は自分の意見を述べる。「そうそう・・・」、「そうです。そこなんです」と著者はその回答を褒め、それをもとに自説の展開へと導いていく(P132)。

 こうした手法は延々ととどまるところを知らない。「それでは国内の政治においてはなにが最も変わったでしょうか」・・・「なかなかいい質問ですね」、「はい」、「そうです」、「そうそう、鋭い。そうなんです」、「すごくいいと思います」、「なるほどなかなか意欲的な答で面白いですね」(P136〜138)。

 繰り返すけれど私は著者の意見が間違っていることを指摘したいのではない。著者は恐らく近代史の専門家のようだから、その見解は様々な角度から研究した結果としての一つの意見なのだろうと思う。ただこうした高校生の意見に賛同しながら理論を展開していくと言う手法が、私には自説への誘導を意図した身勝手な手法のように思えてならなかったのである。

 歴史に「たら」、「れば」は禁句なのだと聞いたことがある。その意味を私がきちんと理解しているとは言いがたいけれど、一つには仮定をいくら積み重ねていってもそこから真実は見えてこないことへの警告でもあろう。織田信長が本能寺で討たれなかったらその後の歴史はどう変わったか、第二次世界大戦で日本軍が仮に勝っていたなら・・・、広島長崎での原爆投下がもし失敗していたなら・・・、日本が沖縄戦に続いて本土決戦を敢行していたならばなどなど・・・、「あそこでもしこうだったら」はどんな事例にもつけ加えることができる。だからと言ってそうした「たら」、「れば」をいくら重ねたところで、そうした仮定から私たちは何かを学ぶことなどできないだろう。

 もちろんこの著者の用いた手法について、それが反論を封じた自説への独善的な誘導ではないかと私が思ったとしても、そのことだけで著者の見解そのものが誤りであることを示すものではない。やり方の問題とその答えの是非とはまさに別物だからである。むしろこうしたやり方をあげつらって意見にケチをつけるのは本末転倒、いやいやそれ以上に「坊主憎けりゃ袈裟まで」とも言える姑息なやり方であり、思い込みによる偏見になる恐れが十分にあると言っていいかも知れない。

 それはそうなんだけれど、それでもなお私はどこかで「やっぱり手続きの正当さがあってこそ、その意見の信頼が高まるのではないだろうか」と思ってしまうのである。特に歴史には数学におけるような正答がなかなか見つからないような気がしている。歴史の当事者にしてからこそが、果たしてある決断に至る過程を自身でどこまできちんと理解していたかどうかだって疑問に思える場面があるのではないかと思うのである。ましてやそうした決断の過程や歴史的な意味を、数十年数百年を経た後の研究家が忖度することなどはとても難しいように思えてならない。

 「ある状況なり資料によればこんな見解になるけれど、別の資料や時代背景なりを考えていくならそれと異なる解釈の成り立つ余地もある」、こんな理解の仕方だってあるのではないだろうか。
 だからこそ私は著者のやり方が一層気に食わなくなってしまうのである。著者はどこかで無意識に「同調者を抱え込みたい」、「いちゃもんなどつけないで私の言うことを黙って聞け」みたいな思いが著作に出てしまっているのではないかとの思いから離れられないのである。もう少し自らの抱く歴史観から距離を置いた視点が必要になってくるのではないだろうかと思うのである。それは言葉を換えるならば一つの謙虚さである。いくつかの解釈があり得ることを認めつつ、そうした前提のもとで自説の正当性を展開していく、そんなゆとりのある歴史解釈があってもいい、むしろそれこそが望ましいのではないだろうか。

 だから私はこの本を、「著者による意見の表明」という肝心さの意味を超えて、そうした我田引水のような自説展開のテクニックみたいな面に引きずられる形で読み進めることになってしまい、そうした私自身の発する雑音から離れられないままに最後のページを迎えてしまったのであった。



                                     2010.2.16    佐々木利夫


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