歳をとってくるとへそ曲がりが嵩じるとともに決断力が鈍ってくるからこんなことが気になりだすのかも知れないけれど、新聞やテレビなどでやたらと「自己責任」みたいな話がもっともらしく語られると、ついいらいらしてしまう。自己責任そのものが悪いというのではないのだが、今の世の中どこかで「自己責任」と言う言葉が正論の衣を着て余りにも堂々としゃしゃり出てきているように思えてならないからである。

 これはもう数ヶ月も前の新聞に載った、歯並びの悪い子供の親からの質問に対する歯医者からの応答記事の抜粋である。親の質問は簡単である。息子の歯並びがデコボコしてるので矯正を始めたが抜歯も勧められた。どうすればいいだろうかである。これに対して専門家は次のように回答していた。

 「抜くか、抜かないか、長年論争が続いている問題です。(どちらがいいかは)一律にはいえません。(抜かないと)出っ歯になってしまう場合があります。(抜くと)せっかく動かした歯の「後戻り」も心配です。かみ合わせが悪いと頭痛や肩こり、顎関節症などを引きおこすことも。ただ、矯正を続けるのなら、主治医の治療方針に納得してからにしましょう。別の専門医にセカンドオピニオンを求めるのもよいかもしれません」(2010.8.26、朝日新聞)。

 回答者は歯科クリニックの院長になっている。これを読んで私は、回答者はつまるところ何の回答もしていないのと同じではないかと感じたのである。恐らく回答者は、歯列矯正において発生するかも知れない様々な可能性を考慮し、それらの問題点を検討した結果がこうした中途半端な回答になったのかも知れない。治療するのは医者だろうけれど、例えば「絶対治るのか」と問われたときに、様々な可能性を考えた上で、「絶対」とか「確実」とかの保証をつけての解答は難しいと考えられた場合とほぼ似たような経過での回答であろう。

 しかし、こんな風に言われた親は、この回答そのものをどう考えたらいいだろうか。適切な例とは言えないけれど、前門には虎がいるかも知れないし、後門にはオオカミが手ぐすね引いているかも知れない、立ち止まってもいいけれどそれにも相応のリスクがある。そんなこと言われて相談者はどうすればいいのだろうか。恐らく虎もオオカミも止まることのリスクも可能性としては間違いではないのだろう。だが「選べ」といわれた時に、相談者は何を基準に判断すればいいのだろうか。

 恐らく相談者だって主治医の指示に迷ったからこうした新聞投稿になったのだと思う。迷わなければそもそも新聞に投稿して相談などしないと思うからである。そうした相談に対して、この回答者はその迷いを更に広げてしまったのではないだろうか。それも相談者が考えていなかったかも知れない専門用語まで含めた選択肢をばらまくことで・・・。

 そして極め付きが最後のセカンドオピニオンへのアドバイスである。私は回答者が歯科医師でないのならそのことになんの疑問も持ちはしない。例えば仮に私にこうした相談が持ちかけられた場合、「今治療を受けている医師の判断に迷いや疑問があるなら、セカンドオピニオンを考えたらどうか」くらいのアドバイスはするだろうと思うからである。
 それは私が専門家たる医師でないからである。的確な意見を言うだけの知識なり資格を持っておらず、確信を持ってふさわしいアドバイスなどできないと思うからである。

 たが回答者は歯科医師である。もちろん「歯科クリニック院長」と言ったところで、歯科クリニックは一つの経営母体であり、その院長が歯科医師である必要はないかも知れない。だからまったくの素人が専門家たる歯科医師を雇って歯科クリニックを経営していることも考えられなくはない。でももしそうだとするならば、回答者の意見はいかにも歯科医師の回答らしくみせかけた詐欺まがいの行動になるだろうから、そんなことはないと私は思う。

 ならば相談者の投げかけたこの質問は「セカンドオピニオンへの相談」と同視していいのではないかと思うのである。相談者の息子は現に主治医にかかって治療を受けていることは書かれた内容から明らかである。その上でたとえ投稿にしろ親は主治医以外の医師へ相談したのである。投稿なのだから宛名は新聞社かも知れないけれど、掲載されているのは毎週定期的な特集欄で質問と医師の回答を結びつけた記事なのだから質問者の意図は新聞社による回答ではない。それはまさに第三者たる医師への相談、つまりセカンドオピニオンに対する相談だと理解すべきではないだろうか。
 それをあれこれ間口を広げ、あまつさえ「セカンドオピニオンに意見を求めるのもよいかもしれません」などと、「よいかもしれません」との曖昧さを添えたまま回答の結末にしてしまうのは、回答になっていないどころか相談者に対して無礼な態度ではないかとすら思うのである。

 心配になるような問題点をあれこれさらけ出し、どれを選ぶかは「あなたの判断に委ねます」みたいな展開は、専門家同士、つまりその問題について対等に論陣の張れる者同士による対話なら私は何の疑念も抱くことはない。しかしながら、医師と患者のように知識どころか立場さえまるで異なり、一方が他方よりも圧倒的に優位な位置にいるような関係の場合にこうしたやり取りは成立しないように思えてならない。

 この回答者の回答は、私には「万が一間違った場合の責任逃れ」の自己保身の姿勢が見え見えであり、そうした自己保身を巧妙に隠匿し、単にその結果責任を治療方針を決定し選択した患者や相談者の「自己責任」に押し付けているに過ぎないように思えてならない。



                                     2010.11.17    佐々木利夫


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誰のための自己責任