昨年9月に発足した民主党の鳩山内閣が、僅か8ヶ月余で崩壊した。その前の自民時代も安倍、福田、麻生と三代続いて一年ももたない短命内閣であったから、今回の内閣がそうした過去に準じたところでそれほど驚くことではない。
私はこうした短命が続いている状態をどうのこうの言いたいのではない。もちろん短命が続いていることをどうでも良いと思っているのではない。そうした状況はそのまま国民の政治不信の表れでもあるのだから、もしかしたらそうした政府に外交や内政を委ねている日本にとっては短命もまた大きな問題であるのかも知れない。ただそう思う一方で、そうした政治不信という一言で「短命であること」をどこかすっきりと了解してしまっているような日本人の姿勢と言うのもまたどこか気になって仕方がない。
それは日本人があまりにも平穏に慣れて、我が身だけを見ているように思えてならないからである。前述の鳩山内閣の崩壊によって、新たに菅内閣が誕生した。マスコミはこぞって新たな内閣に対する国民の要望を尋ねる特集を報道している。だがそうしたマスコミの問いかけに対して、「期待」にしろ、「要望」にしろ、テレビカメラに向かう日本人の表情のなんと平和なことか。
もしかしたらそれはマスコミの編集された報道姿勢にあるのかも知れないけれど、どの人も例外なく自分のことだけしか話していないことにどことないやり切れなさを感じてしまう。
子供連れの母親は子どものために、農家は米に優しい政策を、宮崎県民は知事も含めて口蹄疫をなんとかしてくれ、兜町で株価を眺めている個人投資家は株価の上昇を、工場でプレス機械の前に立つ経営者は中小零細の企業の支援を・・・、ただそれだけをひたすらに望んでいるだけなのである。
だからと言ってそうした人たちが、自分だけ良ければ他人はどうなってもいいなどと思っているとは思わない。恐らく農家の人だって「米だけに所得保障をするだけで良いのですか」と改めて問われるならば、「社会全体の景気回復」だとか、「沖縄の普天間や辺野古の解決を」などと付け加えることだろう。質問を重ねていかないマスコミが悪いのか、それとも世界平和について答えたにもかかわらずそれをカットして放映してしまった編集作業が悪かったからなのか、そこのところは私には分からないけれど、つまるところ「自分のためになんとかしてくれ」との意見だけに集中してしまっているのはどこか変である。
日本はどこか平和ボケのど真ん中にあって、危機意識などどこにも見当たらないような気がする。昨今、スローライフの人気が高い。その人気の高さは日本だけではないのかも知れないけれど、どこか日本人には「私だけのスローライフ」みたいなのんびりさが付きまとっているように思える。
それは一面において「政府がなんとかしてくれる」ことの表われなのかもしれないけれど、どこかで「すっかりおまかせ」がへばりついているように思えてしまうのである。今ある姿がなんの努力もなしにこのまま続いていくことを、あまりにも頭から信じ込んでいるように思えてならないのである。
それは日本だけではないのかも知れない。ギリシャは財政破綻寸前までいっているにもかかわらず、ストやデモを主張する公務員労組の幹部は、「
50年かかって勝ち取ってきた労働者の権利が奪われるくらいなら、国が破綻しても仕方がない」とまで言い募っている(1910.5.28、朝日新聞、「記者有論」)。
こうした言い分にはそれなりの覚悟が示されているのだろうが、ぎりぎりどこかで覚悟の空転が感じられないでもない。つまり「国を失うことと引き換えにしてでも今の権利を護る」は一種の比喩でしかないだろうと思えるからである。
それはそれとしても、ここまで言い募るまでに既得権益というべきかそれとも現状維持への執心というのは根強い力を持っている。なりふりかまわず他者や政府に「なんとかせい」と主張するのは、洋の東西を問わない現代人の抜きがたい習性になってしまっているのだろうか。それは一面、「我慢すること」に人は耐えられなくなってきていることを示しているのかも知れない。
私たちは、特に日本人は長い間「我慢すること」を美徳の中に押し込めてきた。「我慢」そのものに珠玉の意味を持たせてきた。それはやがて「根性」だとか「ひたむき」などと言った情緒と結びついて民族性にまで増幅していった。だがもしかしたらそれは間違いだったのかも知れないとこの頃ふと思うことがある。
私たちが理解してきた「我慢」とは、「我慢」そのものに貴重な意味があったのではなく、「我慢すること」以外に選択肢のなかった状態を指す単なる形容詞にしか過ぎなかったのではないかとの思いである。
いやいやもっと言うなら我慢を美徳と讃え上げた背景には、我慢の時代を多少なりとも過ぎてそうした過去を振り返るだけのゆとりが出来てきたと言う奢りがあるのかも知れない。過ぎ去った時代は苦しさを遠くに押しやり、甘い思いしか記憶に残さない。そうした思い出の残滓をすするように、そして極上のワインを味わうかのように、私たちは昔の貧乏や耐えてきた過去を「我慢」と名づけて宝石のように神棚に捧げているのではないだろうか。
それでもそうした宝石の輝きも、今や失われつつある。我慢することは美徳でもなんでもなくなってきているからである。我慢は結局、我慢するという狭さの中に人を閉じ込めることしかできないことを、人はこれまでの己に課した我慢の中で知るようになってきた。我慢することの意味や我慢から得る報酬を理解、または信じることができないようになってきた。
「身の程を知る」ことや、「多くを求めない」ことが美徳だと考えたのは、もしかしたら政府であるとか社会のしがらみなどからの強制によるものだったかも知れないと、人は思うようになってきた。
ならばそれはそれでいいではないか。その結果を負うのは自分であることくらいは当然に理解できることであり、まあ「そのうち誰かがなんとかしてくれるだろう」とのんびり構えるのも、我慢を重ねて必死の形相で耐える人生を続けていくよりは楽に違いないだろうからである。
もちろん、そうしたツケは回りまわって自分に届く。ただ因果の巡りがかならず自分に降りかかってくるとは限らない。仮に自分の孫や子に巡るかも知れないと言われたところで、それはその孫や子がその時に考えればいいことであって、不確かな巡り来る可能性に今から悩むことではないだろう。しかももしかしたらその内に「誰かがなんとかしてくれる」かも知れないのである。果報を寝たまま待っているだけで、棚の上からボタ餅が落ちてこないとも限らないのが人生である。たまたま落ちてこなかったために飢え死にする可能性だってないではないけれど、「その時はその時さ」との覚悟さえつけられるならそれもまた人生である。
ただ残念なことにそのツケは、どうやら我慢をないがしろにしてきた者を狙い撃ちするかのように巡ってくるのが何とも癪ではあるのだが、運命の神様も、時にターゲットを外すこともありそうだからそうした僥倖を願うのも人生の一つの賭けではある。
2010.6.11 佐々木利夫
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