「子供がお弁当を開けたときにショックを受けたらかわいそう」なのだそうである。朝のテレビで時々ぶつかるNHKの「町かど情報室」でつい先日取り上げられた便利グッズの紹介で、若いお母さんがいかにも重宝してますと語っていたのがこの一言である。

 その道具とは、弁当に入れるおかずのコロッケやシューマイにソースなどを添えるものであった。プラスチックでできているらしい注射器状の道具の中に、それぞれの食材に適したソースを入れ目的たるコロッケやシューマイの中へ直接注入するものである。
 普通そうした食品には調味液などを上からかけることが多いだろうから、そうするとかけたソースが隣の食品に付着したり、場合によってはご飯などに染み込んでしまうことになる。この注射器状の道具を使うとソースは食品の中に封入されて外に漏れ出すことはないから、隣の食品を汚すようなことがない、これが紹介されたグッズの売りである。

 そのことに私は何の異論もない。私にしてれみれば、梅干しや紅しょうがの色が移った弁当もそれほど嫌いではなかったし、時にたくあんの黄色が染み込んだご飯だってそんなに気にならなかった。場合によっては「浅草海苔」をご飯とご飯の間にサンドイッチのように挟んで醤油をたらし、その醤油の染み込んだ弁当はそれなり旨かったような記憶すらある。だから私にとっては隣の食材にソースの味が移ることみたいなことまで考えて弁当を作る必要などなかろうに・・・、と思うくらいがせいぜいだからである。

 でも番組登場のお母さんに言わせるなら、そうした移り香があったり煮汁が染みているような弁当は、「開けた子供がショックを受ける」と思っているらしいのである。現実に子供がショックを受けるのかどうか、番組でその辺の検討はされていなかったので私には確信がない。ただそれでも私自身の経験からして、このなんとも言い様のない母親の思いやりに、私はどこか違和感を抱いてしまったのである。

 もちろん弁当の持つ意味そのものが、私が子供の頃に経験したものと現在とでまるで違っているだろうことは分かる。私たちが弁当に抱いた思いはまさに「腹が減った」であり、空腹を満たすことこそが第一の目的だったからである。

 それがいつの間にか空腹とは別次元へと弁当は変化していった。腹を満たすだけなのだから、食えるものならなんでもかんでも突っ込んだって構わないではないかとまで思っているわけではない。たとえ梅干し一個しか入っていなかったとしても、私たちはそれを「日の丸弁当」と名づけるなどして、食うこと以外の味付けをしていたからである。
 確かに弁当は持ってくる家庭の経済状況を示すものでもあった。アルミの弁当箱の中身がふかしたサツマイモだけだったという子供もいたし、もっと貧しい家庭ならば弁当そのものを持参できないことだってあったからである。

 そうした経済的な格差は義務教育の場からはやがて学校給食という形で解消していくのであるが、それと引き換えるように食に変化が起きてきた。その変化は私たちの頃からも起きはじめていたのかも知れない。それは給食に「旨い」とか「まずい」みたいな評価を感じるようになってきたからである。コッペパンにミルクが給食の定番だったが、それがアメリカ農業の余剰生産物のはけ口として狙われたことなど知る由もなかった。また、太平洋戦争での補給物資の始末だったとの説もあるがそんなことも知らないままに頬張っていた。

 そんなことは食っている生徒にはなんの関係もなかったからである。ただパイナップルの缶詰のあの甘さ、旨さ、うどんが給食に出されたときの驚きなどは、60年近以上を過ぎた今でもまざまざと思い出すことができる。そして同時にどこか馴染めなかったミルクのまずさ(それは牛乳ではなく脱脂粉乳のせいだったのだろう)とも並行している。

 そうした給食への変化はやがてますます増殖して現代につながる。食は空腹を満たすことを超えて、ついにゲームと化すまでになったのかも知れない。そうしたゲーム化への変化が「弁当の蓋を開けたときに子供がショックを受けるかも知れない」と母親が感じるようになったことにつながっているように思う。

 食べることに食材の色や配置、更には容器や食べる場所などが無関係だとは思わない。食を「空腹を満たすため」だけのためにあるとの偏狭な思いに支配されているつもりもない。もしかしたらこうした母親の思う「ショック」とは言葉通りのショックではなく、単に「弁当の蓋を開けたときに感じる色彩や配置などで、子供の食欲が変化するのではないか」程度の軽い思いなのかも知れない。私が「ショック」と言う言葉に過剰に反応しているだけなのかも知れない。

 そうは思いつつ、弁当に人や動物や風景などを配置するような作り方やデザインなどがネットやブログでもてはやされている現実に、食があまりにも空腹から遊離し過ぎているように思えてならないのである。そうした傾向が、私たちが「日の丸弁当」と名づけた思いと同じ線上にあるのだとはどうしても思えない(思いたくない)のである。



                                     2011.3.16    佐々木利夫


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