初版の発行が昭和60年とあるから、既に26年も前に書かれた本である。そんな本を最近読む機会があった。「ガン病棟のカルテ」(庭瀬康二著、新潮文庫)である。その26年間における医療の進歩には目をみはるようなものがあっただろうし、またガンに対する告知、そして尊厳死などの医療以外の分野においても人々の考え方は大きく変ってきていることだろう。

 著者は外科医であり、メスを使うことがガン治療の基本であるとの信念が少しずつ崩れていく思いなどが興味深く書かれていた。治療から予防へと移り変わっていく病院経営の面からもみても、なるほどと思わせるものがあって一気に読んでしまった。

 26年も前の医療現場なのだから、医師が病や患者に対して抱く思いもまた現在とは異なっていたのだろうことを否定しようとは思わない。そうした意味で彼の著作は、いわゆる「医者は病気を見ているだけで患者を見ていない」と言われるような、今でも続く各種の医療ドラマにおける悪役医師とは異なった視点に立っていることはすぐに分かる。むしろ、可能な限り患者の側に立とうとしている思いが伝わってくる。それは著作の全体を通じてきちんと読者に伝わってるメッセージでもある。

 それはそうなんだけれど、読み始めてからずーっと読み終えるまで、どこか違和感の残ることがなぜか自分でも気がかりだった。著作は彼が手術を行った数十人ものガン患者とのかかわりの記録である。その患者の多くは数年で命を落としており、そうした患者に対する彼の視線は優しく反省に満ちている。それにもかかわらず、その一つひとつの患者始末記のほとんどに、どこかすとんと落ちていかない滓のような思いが残ったのである。

 読み終えてみて、それはつまるところ医者と患者という超えられない溝の存在がそうさせているものなのかも知れないと思った。医師と患者とに信頼関係が必要であることは評論でも映画やドラマでも当たり前のように語られており、そうした関係を構築していくのが医師にとっても患者にとっても義務ですらあるとまで言われている現代である。でもこの本を読んでみて、そうした信頼関係の構築というのは思った以上に困難であり、場合によっては不可能なのではないかとさえ思ったのである。それは別に医者を疑うとか、医療ミスを起こしても隠すような体質が医者にも病院にも存在しているというような意味ではない。もしかしたら医者と患者というのは別人種、もっと言うなら地球人対異邦人、エイリアンの関係にあるのかも知れないと思ったのである。

 それは医者と患者とは全く理解できない関係にあることであり、両者間における意思疎通とは同情であるとか理解などと言った翻訳できる範囲でしか交感できないのではないかと思ったのである。それはもしかしたら医者と患者だけに限るものではないかも知れない。人と人もまた、決して同化したり共感することなど不可能なのかも知れないとの思いでもあった。

 著書に戻ろう。私がこうした思い抱いたのは、著者が患者に対して時に抱く怒りであり不快感であった。そのことを批判しているのではない。著者もそうした怒りや不快感を率直に認め、反省し、内奥に潜む医者としての驕りみたいな感情の存在を素直に書き表している。それはきっと内心はともかくとして、こうした著書として外部に表現することには迷いがあっただろうことが分かるから、それをあえて吐露したであろうことには敬意すら抱いている。

 この時代、まだガンに対する患者への告知が世の中に浸透していなかったのだろう。あまたの患者、そしてやがて訪れるその患者の死にもかかわらず、一例も告知はされていない。後日における遺族からの連絡などで、本人はガンであることを知っていたのかも知れないとの思いを抱くことはあっても、著者が患者の入院や手術を通じて知ったガンであることの事実、そしてそれが死にいたるかも知れないとの思いを患者に告げることはなかった。
 そのことにも違和感はある。ガン告知は時代の流れとして理解すべきものなのだろうかとの疑問である。確かに現代は本人にもきちんと告知して、ガン治療を理解させたうえで「一緒に頑張りましょう」みたいな言葉を添えて進んでいく。

 でもそれは医者の側の論理、患者以外の家族の論理ではないのだろうか。この著書からは、ガン告知をすべきかどうか悩む医師の姿がどこからも見えてこないのである。本人には嘘の病名で押し通すのが、あたかも医師に求められている当然の倫理みたいな思いが前提になっているのが私には気になって仕方がなかった。患者の思いはなんら考慮されず、「患者はこう思うに違いない」「きっと患者は知りたがらないはずだ」「知らされた患者はそのことだけで生きる気力をなくすに違いない」、そうした思いが当たり前の前提として満ちているように感じられてならなかった。告知するしないの現場になぜか患者はいないのである。

 著者は言うことを聞かない患者にすぐ怒り不快になる。それは患者の治療を思っての場合もあるし、言うことを聞かないことの背景が、単なる治療拒否ではなく患者の人生観や生きてきた背景などによるものだったのかと後日知る場合もある。
 ただその多くが、患者の死のあとに医者の反省として語られるだけで、そうした思いが次の患者への向き合い方につながっていかないのはどうしたことなのだろうか。

 「あぁ、そうなんだ、そうだったんだ」「だから手術を拒否したり、無理やり退院していったんだ」、時には「あの手術は失敗だったかも知れない」との思いまで含めて、著者はくどいほどにも反省を込めて繰り返す。でもそうした思いは内省して自身の胸のうちに飲み込むだけで、決して患者自身にはおろか遺族に対しても語ろうとはしない。そしてあたかもこうして著書に書き表すことが懺悔であり贖罪でもあるかのようである。
 私にはそれは懺悔や贖罪の思いで解決するものではないように思えてならない。個室料金や付添婦などの費用が月に数十万円もかかることに思いが及ばず保険診療で病院代は無料だと思い込んでいることや、病巣の見逃しや誤診、平均寿命を基準とした手術実施の判断などなど、率直に彼は告白している。それでもなお、そうした思いそのものが医者の驕りであるような気がしてならないのである。

 そうした思いは読者にではなく、生きている患者、悲しんでいる遺族にこそ、そのときそのときに伝えるべきではないだろうかと私は思い、そこに至らない著者の思いにどことない医者の驕りを感じてしまうのである。


                                     2011.11.17     佐々木利夫


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医者と患者と