この話はもちろん、私の幼少期の記憶に頼るところが多いのだが、家庭でも隣近所でも神棚は普通に存在していたように思う。私が育ったのは平屋の住宅五戸を横一列にまとめた、いわゆる「ハモニカ長屋」と呼ばれていた夕張の炭鉱住宅である。戦前戦中戦後を通じて石炭は我が国のエネルギーの根幹であり、九州から北海道まで炭鉱はいたるところに存在していた。その炭鉱労働者の息子として私は育った。台所のほかに居間が二つ、そして父が物置でも改造したのだろうか三畳くらいの小さな部屋が一つあって、そこに夫婦と5人の子供がひしめき合っていたから、現在の住宅事情から比べるなら家とは呼べないくらいお粗末なものであった。

 そんな住宅でも特に狭いなどの不満を感じたことなどなかったのは、炭鉱に働く者に貸与された共通の社宅であり、また子どもの数も一家に5人や6人は当たり前にいたからであろう。
 ところでそんな住宅にも、居間の一つに天井の隅に小さな神棚がぶら下がっていた。それは我が家だけが特別に設置したものではなく、炭鉱住宅い共通する設備として最初からの作りつけられていたのだと思う。毎日の生活に係わりあうことはなく、正月が近づくとローソクを灯したり、埃を払って天照大神と書かれていた神社のお札を交換するなどを、踏み台に乗っかって足元をふらふらさせながら手伝ったことを覚えている。
 子どもにとっての神棚はこうした手伝うこと以外にはほとんど存在の意味はなかったし、埃まみれの状況からすると恐らく両親も含めて「信仰」という段階にまでには至っていなかったのではないかと思う。

 それでも会社が社宅を建てるにあたり、世帯に一つ神棚としての場所を設けたこと、そしていわゆる信仰としての神とは程遠かったかも知れないけれどそうした環境を家族が違和感なしに受容したことは事実として認めてもいいだろう。
 日本人の宗教観をここで語ろうとは思わないけれど、神棚を受容していた日本人という姿がそこから見えてくるような気がする。それは信じていることとは少し離れていただろうけれど、「神」なのか「神棚」なのかはともかくとして、人々がそうした存在を生活の中の拠りどころとしていたことに違いはないように思える。

 私の子供時代の家庭に仏壇はなかったのでその代わりとして神棚が中心になったのかも知れないけれど、何気ない日常生活のけじめの中に神棚はさりげない形で登場してきたように思える。
 父の給料は父が会社から直接貰ってくるのではなく、住宅の近くにあった「世話役」と呼ばれる会社との連絡員が勤務している事務所へ給料日に母がとりに行っていた。それは炭鉱マンのどの家庭でも同様であったが、母はその給料袋を手付かずのまま神棚の上に置いていた。それは神に感謝するのと言うのではなく、もしかしたら遅く帰ってくる父へ給料が出たことを報告し、感謝の意味を伝える手段だったかも知れない。それでもそんなところにも神棚は自然な形で介入していたのである。

 正月も同様である。神棚に手を合わせることで、神の存在をそこに信じたわけではない。むしろ歳取りのご馳走や元旦の雑煮などを食べるための直前手続きとして、神棚に向かっての拍手は当たり前に存在していたのである。重いものなど載せられないほど小さな木製の神棚ではあったが、私たちに渡す小遣いであるとか例えば学校の通知箋(今の通知表などと意味は同じだが、それだけが学期の成績を表す重要な連絡であった)など、どこかで貴重と思われるようなものはとりあえず一度神棚に載せられていたように思う。

 繰り返しになるけれど両親の普段の行動を見ていても、そうした神棚の利用が信仰と密接に結びついていたような記憶はまるでない。また両親に習って私たちが同じように神棚に頭を下げることも、決して神への信仰に基づくものではなかったことは否めない。

 今では神棚の存在は稀少になっているかも知れない。市の土地が神社に無料で貸し出されていることが憲法の政教分離に反するとの主張が住民から提起され、最高裁がその主張に沿うような判断を示す時代である。神の領域はますます狭くなっていき、神棚のある家庭など最近は見かけたことがないように思う。

 それはそれでいいのかも知れない。人は神を必要としないほどにも豊かになったのだから、見ることも聞くことも触れることもできない神の存在に、信仰と言う救いへの願いを重ねることなど必要がなくなってきたのだろう。

 今年の元旦、事務所へ出かける必要があった。その折に事務所から徒歩2〜3分のところにある琴似神社へ初詣をしてきた。行列ができるくらい参拝客が並んでいたけれど、30分ほど並んでどうやら本殿に拍手を打つことができた。
 だが私も含めて、この中の何人が神社を信仰の場として理解しているのだろうかとふと思った。もしかしたら皆無に近いのかも知れないとも思った。それは時々この神社の前を通ることがあるけれど、参拝に来ている人の姿をみることなど稀だからである。

 だからと言って私は家庭に神棚のないことや神道の衰退を批判しようと思ったわけではない。私の家庭にだって神棚はないのだから、それをさて置いて他人を批判することなどもっての他だからである。
 ただ私は、神棚のなくなった家庭の増加が、今の人たちがどこかで「心の拠りどころ」を失っていることの象徴であるかのように思えたのである。それを信仰の喪失とは呼ぶまい。日本人にキリスト教やイスラム教のような信仰、いやいや私たちの先祖が抱いていたような信仰すらないことは百も承知である。

 だだそれにつけても人が孤立化している現代の風潮、そして金銭に依存しすぎているような現象は、自立とか自尊というような限度を超えて無防備な裸を晒しているような気がしてならないのである。人はどこかで「えいっ、やっ」と決断をしなければならない時がやってくる。その決断はまさに自己責任である。親兄弟にも親戚知人にもその分担を求めることなどできはしない。
 そんなこと覚悟しつつも、それでも人は迷うだろう。そのときに必要となる決断のための「えいっ、やっ」の呪文は、それを神と呼ぶか信仰と呼ぶか、はたまた単なる祈りにしか過ぎないかも知れないけれど、やはり「唱えるための拠りどころ」を必要としているのではないだろうか。その拠りどころを私たち多くの現代人が失ってしまい、跳べないままに「おろおろ」しているように思えてならない。

 「神がかりを信じるのか」と言われててしまえば実も蓋もないけれど、人智を超える存在にある種の畏敬を感じるようなアンテナを私たちは少しずつ我が身から削ってきたように思う。神棚なんてどうでもいいのかも知れないけれど、こんなにも豊かな世界にあっても人はまだ満足を知らないでいる。「満たされなければ人生意味がない」のは恐らく正しいだろう。金を追い、力を求める。それでも人は満たされない思いを訴え続けることだろう。



                                     2011.1.6    佐々木利夫


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神棚を失った家庭