「死ぬかと思った」なんて表現はそんなに多発することはないだろうけれど、それでも長い人生一度や二度はそんな場面を経験していることもあるだろう。それがどこまで「本当に死ぬこと」に近づいていたかは、かなり疑問ではあるにしてもである。

 でもこの言葉を最近のテレビ・新聞で知り、その言葉の持つ重さを改めて感じてしまった。今年3.11の東日本大震災に付随して起きた福島第一原発でのことであった。もちろんこの震災で2万人に近い死者や行方不明者が出ているのだし、かろうじて生き残ったと感じている人はその数を数倍も超えるかも知れない。だからそうした人たちも同じように「死ぬかと思った」に連なるであろうことを否定するつもりはない。
 ただ私がマスコミで流れた「死ぬかと思った」との感覚にどことない恐怖を感じたのは、そうした「死ぬかと思った」との思いに共感したからなのではなく、その思いが他者に伝えられることがなかったという事実に関してであった。

 「死ぬかと思った」との思いの基本は、一義的にはその人個人の思いである。危機に瀕した個人個人が感じる思いが原点である。「死ぬかと思った」とは、まさにその人が抱いた「私が死ぬかと思った」ことだと思う。そうした思いの多くはそこで止まるだろう。山登りで滑落して助かったときにもそう思うことだろうし、海で溺れて流されて意識を失いかけたときや大病で回復したときなどにもそう感じることがあるだろう。だからそれはまさに「私が・・・」の思いが基本になっているだろうことに違いはない。

 でも時にそうした思いは「他者を巻き込む場合」にも言えるときがある。多分津波が押し寄せ窓から流れ込む濁流から必死で逃れようとしているときには、恐らく他者のことなど考える余裕などないかも知れない。でも他者を当然に考慮すべき立場にある場合も存在する。例えば災害の場に家族と共にいたとき、教室で生徒と一緒にいたとき、乗客のいる船舶などなど、意識するか無意識かはともかくとして他者に思いを馳せるのは人として、更には管理者だったら当然のことではないかと思うのである。必ずしも当然ではないかも知れない。子どもを見捨てて自分だけ家の中から飛び出したところで非難することなどできない場合だってあるだろうからである。

 それにもかかわらず他者を意識するのが当然と思える場合もあるだろう。例えば授業中の教師、航行中の船舶や飛行機などの機長などである。生徒を放り出して教師が一人で逃げ出すとか、乗客を考えることなく船長が単独で救命胴衣をつけて船外へ飛び出したり、機長が一人でパラシュートをつけて脱出したりすることは、「・・・すべき」から考えるのではなく、当然に生徒や乗客へ思いが及ぶのが当たり前だと思うからである。

 こんな思いを抱いたのは、福島第一原発の所長のマスコミ談話を知る機会があったからである。新聞記事からその談話を取り上げてみよう。

 「死ぬだろう 数度思った」、「3月11日から1週間で死ぬだろうと思ったことは数度あった」、「(原子炉が)コントロール不能になるという恐れがあった。・・・最悪、メルトダウンが進んで、コントロール不能になってくれば、これで終わりだという感じがした」(福島第一原発所長 吉田昌郎、2011.11.13、朝日新聞)。

 
私はこの談話自体に驚いたのではない。もちろんそうした状態に彼が陥ったであろうことに無関心だったわけではない。津波被害などから九死に一生を得たであろう多くの人たちの思いなどとも重ねて、彼の感じた恐怖を想像することくらいはできるからである。私がこの談話から抱いた気になることとは、その恐怖ではなくその恐怖がどうして国民に伝わらなかったのだろうかということであった

 所長の抱いた「死ぬかも知れない」との思いは、彼が例えば階段から落ちて大怪我をしたというような個人的レベルの問題ではない。彼自身が語っているようにその恐怖の背景は原子炉のコントロール不能への危機であり、メルトダウン(炉心溶融)に対する危機である。これはもちろん彼自身の危機であることに違いはない。でもその危機は同時に彼と一緒に仕事をしている仲間の危機であり、同時に原発周辺で生活している住民の危機でもあることくらい誰にでも分かることである。その危機がどの程度の地域まで広がるのか、どの程度の被害を及ぼすものなのかについて私の知識はほとんどない。

 水素爆発とメルトダウンが起きたとはいえ、現在の原子炉はとりあえず人間のコントロール下にある。そのことは逆に言うなら、所長本人も話しているとおり「現状では死ぬほどの危機はない」ことでもあり、彼が「死ぬかと思った状態」は現状よりも更に危機的であったことを意味している。もちろんそれは所長の想像ではある。でも所長は原子炉の実務家であり現場を指揮している専門家である。彼の思いは単なる空想上のひとりよがりではなかったはずである。
 つまり所長が抱いた「死ぬかと思った」危機は、個人の危機であると同時に原子炉で働いている従業員や周辺住民、更には近隣県民や全国民に及ぶかも知れない目の前にさし迫った「専門家としての死の危機」だったということである。

 そんな危機がどうして国民に伝わらなかったのだろうか。そこのところがどうにも私には合点がいかないのである。例えとしてはふさわしくないかも知れないが、大型豪華客船かフェリーかはともかく、沈没して乗客が死ぬかも知れないとの危機感を船長が抱いたにもかかわらず、その事実を少しも乗客に伝えなかったのと同じではないかと思ったからである。

 もちろん私はそうした情報の流れを知る立場にない。私が知り得たのは、所長が「死ぬかと思ったこと」とその思いが「国民に伝わらなかったこと」でしかない。東京電力の組織として、または事実上、そうした危機感を所長単独で外部に発表することを禁止していたのかも知れない。でももし仮に所長としてその危機感を我が身一人の胸の裡にひっそりと閉じ込めておいたとするなら、それは所長としてはもとより一人の人間としても失格であると私は思う。

 だがもし彼が例えば本社へ報告し、その危機を知った部長なり社長なりがそれを封じ込めたのならどうだろうか。更には本社が原子力委員会なり政府にその危機を伝えていたとしたらどうだろうか。
 少なくとも「所長の抱いた死ぬかと思ったような危機意識」はどこかで霧散してしまい、結果として国民に伝わることはなかった。そしてその「霧散してしまった事実」がどこで消えてしまったのかに対して、当事者も政府もそしてマスコミも知らぬ振りを決め込んだままである。所長の責任か、企業の責任か、それとも政府の責任か、それを知る立場にない私としては、結局連帯責任としてその全部が信用できないと思うしかない。そしてその不信の中には、マスコミもまた当然に含まれているのである。

 そして私は重ねて思う。この事実が検証されないままにうやむやになってしまうなら、次に誰かが「死ぬかと思った」ような危機に遭遇し、しかもそれが国民に及ぶかも知れない危機であると認識されているにもかかわらず、国民はその危機に遭遇するまで(場合によって遭遇した後になっても)その隠された危機を知らないまま、にこにこ笑っていることになってしまうからである。


                                     2011.11.16     佐々木利夫


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死ぬ思い