セピア色呼ばれる色がある。白黒の紙写真が時の経過で薄い黄色に変色した様子を示す色である。どんな写真でも同じように変色していくのか定かではないけれど、セピア色の表現は写真以外には使われていないように感じている。同時に写真の変色以外にも、時の経過そのものを懐かしむような意味合いにも使われているから色表示そのものには別の意味があるのかも知れないけれど、いずれにしても時を経た紙写真のイメージに特化した形で使われているようである。

 原理的にはフイルムから印画紙へ現像焼付けをするに当たって、使用する現像液か定着液の洗い流しが不十分なために起きる経年変化だといわれている。もちろんセピア色への変化には、写真そのものの保存状態も深く関与しているであろうことを否定するつもりはない。

 ただこうしたセピアへと変わっていく経過は、一面時の経過でもあり、同時にそれは写真の老化でもある。だからと言ってセピア色はその中の映像の老いや紙質の劣化を示すものではない。そうではなくて写真を眺めている者の老いを反射的に示していることが、どこか一層切ないものを呼び起こすのである。映像そのものが老いることはない。にっこりと微笑んだその写真は、時を経ても微笑んだままの15歳を示している。でもセピアを眺めている者にとって、それはまさに自らの老いを間接的に証明していることに他ならない。

 アルバムに貼ったままでも、モノクロの写真はいつしか少しずつセピア色に変化していっている。旅先での思い出も、結婚式も、よちよち歩きの我が子の姿も、アルバムの中で少しも変わることはないけれど、セピア色への変色は眺めている者に過ぎこし方の長さをあからさまに示している。だから、セピアの鑑賞に浸るのは、それだけ老いてきたことの証明なのかも知れない。だがそのためにこそ時を遡ることのできるアルバムが存在しているのであり、貼られた写真は過ぎた過去を懐かしむよすがとしての目的を持たせられているのかも知れない。

 そのセピアがデジタルカメラ(デジカメ)の出現で余りにも遠くなってしまった。デジカメは、セピアの感傷をあっと言う間に人から奪うことになってしまった。もちろんデジカメもカメラである。一瞬の映像を切り取り、時を経てその映像を我々に残す使命に変わりはない。それでもデジカメにはこれまでのカメラと異なる「フイルムの必要がない」と言う基本的な違いがある。数百分の一の光を切り取る目的に変わりはないけれど、その切り取った映像の記録がフイルムからメモリーと呼ばれる金属とプラスチック様の小片に変わったことが、写真そのものの意味を丸っきり変えてしまったような気がする。

 もちろん「写真そのものの意味を丸っきり変えてしまった」と感じるのは、フイルム写真の時代を長く経験した私の感傷である。最初からデジカメで育った世代にはそんな感傷を抱く余地さえないだろうからである。テレビが生まれたときからカラーであった者に、モノクロテレビの話やテレビのない時代にはラジオに熱中していた話など、歴史の教科書の一ページの単なる「年表的事実」にしか過ぎないだろうからである。

 それでもデジカメの普及は現代における大量生産、大量消費を目に見える形で私たちに体験させることなった。フイルムに変わるメモリーは、その容量が飛躍的に拡大していった。私たちの知っているフイルム写真時代のフイルムは、一般的に手のひらに乗る小さな容器に感光しないように密閉され、それをカメラの装着して一枚ずつ巻き取りながら感光させていくものであった。
 一般的にそのフイルムは36枚が一巻(もちろん24枚、12枚を単位とした商品もあった)として市販されており、そのフイルムを光の下に晒すことは撮影されたデータをおしゃかにすることであった。つまり、フイルムに撮影された映像は、現像されたフイルム(カラーも含めて白黒反転であった)を見るかそれとも印画紙に焼き付けて見る(これがいわゆる写真であり、それが目的である)しか方法がなかった。

 と言うことは、撮影された映像を肉眼で確かめるには、自分で現像や焼付けをやる者もいたけれど、一般的には業者に委託して紙写真とする以外にはなかったのである。写っているのか、ピントは合っているのか、トリミング思うようにできていたかなどなど、出来上がった写真は、カメラの性能もさることながら、撮影時の周りの明るさやシャッタースピードや絞りの設定などなど、複雑な要素が絡み合った結果の産物であってあらかじめ知ることなどはできなかったのである。

 それがデジカメは一瞬にしてそうした思いを奪ってしまった。撮影された映像は、その場ですぐにチエックできるのである。しかもその映像のデータはメモリーと呼ばれる小片にいくらでも溜めることができるようになつたのである。36枚のフイルムをケースに入れて何本も持ち歩く必要はなくなり、親指の先ほどのメモリーをカメラにセットするだけでメモリーの容量にもよるけれど、数千枚も保存できるようになったのである。

 数千枚と言うのは、少なくとも私にとっては「無限枚」と同じようなも感触である。そしてその撮影データは、カメラについている液晶画面でその場で確認でき、必要に応じて直ちに削除することまで可能になったのである。フイルムに残された映像も一つの撮影データには違いないけれどそれはアナログデータである。
 しかしメモリーに保存されているのはデジタルデータである。そしてデジタルデータは劣化しないのである。もちろんデジタルデータといえどもメモリーそのものは物体であり、物体としてのメモリーが物理的に劣化していくのは当然のことである。しかしデジタルデータはコピーしても少しも劣化しないという特徴がある。だから例えばメモリーからパソコンやCD−RやDVDなどの他の記録媒体にコピーすること、更には再コピーすることなどで劣化ということを考慮する必要がなくなつてきたのである。

 もちろん保存したメモリーそのものが、例えば媒体の進化などによって陳腐化していくことはあるだろう。そうした恐れのある場合は新しい媒体へコピーし直す必要があるだろうけれど、そもそも劣化という問題が起きなくなったことは私たちのカメラへの意識をまるで変えてしまった。

 しかもこのデータをカメラで確認できることは前に述べたけれど、カメラ以外にもパソコンでもテレビでも、その他デジタル映像を処理できる機能を持つ様々な機器の画面で再現することができるようになってきたのである。世は挙げてデジタル時代である。そのデジタル化にカメラのデータもまたそっくり乗っかることができるようになった。

 画像を見るのは写真以外にも様々な方式で可能になり、私もデジカメ本体の画面だけでなくパソコン、デジタルフォトフレーム、デジタル対応テレビなどで鑑賞するようになっている。そしてそうしたぶんだけ画像が軽くなってきたのではないかと感じている。
 それはまず第一に写真よりも圧倒的に画像の数の方が多くなっていることにある。カメラのシャッターを押した数だけいくらでも画像は増えていくのである。フイルム時代は、フイルムそのものが決して安いものではなかったし、おまけに専門業者や代理店に頼んで現像、焼付けと言う手段で紙写真にしなければ撮った画像を確かめることができず、そのためには一枚数十円という料金がかかった。それが今やメモリーは爪の先ほどの小片一枚を数百円から数千円で買うことができ、しかも撮影した画像は不要になったり他の媒体にコピーした場合などには、一瞬にして消去してしまうことも可能なのである。もちろんプリンターを使って印画紙様の紙に印刷して紙写真として見ることも可能だが、膨大な数の画像の存在は写真にすること自体を拒否しているかのようである。

 撮影した画像は気に食わなければその場で個別に消去することができること、メモリーはフイルムよりも圧倒的に安価になったこと、メモリーには無制限ともいえるほどの画像が記録できること、そのメモリーは消去して何度でも再使用できることでフイルム価格を無視してもいいほどになったこと、写真以外に画像を見る媒体がどんどん拡大していったこと、それにつれて紙写真の出番がなくなってきたこと、などカメラを巡る環境は大きく変化していった。そしてそうした変化は、アルバムや写真立て程度で管理できていた画像が、手に負えないまでに垂れ流しのままメモリーやDVDなどの媒体の中に膨れ上がるように溜まりだしてきたのである。

 そして再び冒頭の話に戻るけれど、膨れだした思い出はそのまま思い出の希薄化でもある。撮影した証拠はどこかにデータとして残っているけれど、一度か二度の再生だけでそのまま忘却へと押しやられ、頭の片隅に「そのうちきちんと整理しなくっちゃ」との思いを残したまま、次のデータの山に流されてしまう。

 それはそれでいいのかも知れない。忘れた記憶は「なかった記憶」でもあり、記憶するだけの価値すらなかったことを意味しているからである。でも私たちは印画紙に写った微笑みを、時間を切り取った懐かしさの片鱗として記憶にとどめていたはずである。そうした記憶はアルバムとして時の経過と共にセピアに彩られ、そうしたセピア色を繰ることの中に己の年輪ともども味わってきたのではないだろうか。デジタル化はそうした思い出の世界にまで大量生産、大量消費、そして大量抹消を感染させ、生きることそのものの乱雑さをももたらしているように思える。



                                     2011.1.13    佐々木利夫


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セピア色の思い出