最近読む本は、書店でさがすよりも事務所のパソコンから図書館ホームページにアクセスし、蔵書検索で予約して借りることの方が多くなっている。本の読み方として必ずしも理想的ではないと思うけれど、自分の懐の痛まない「借りる」という方法で手に入れた本は時に内容をきちんと把握しないまま手許に届くことがある。なんといっても書架で直接本に触れるわけではなくパソコン画面の「予約」をクリックするだけで手許に届いてしまうので、本の吟味がどうしても雑になってしまうということである。
 とは言っても、難解さによる挫折にしろ単純に面白くないにしろ、途中でその本を放棄してしまえるのも、気ままな毎日を過ごしている身にとってみれば、それもまた読書の一つのかたちである。

 そんなときになんだがとても奇妙な本に出会った。面白くなかったのかと言われれば決してそうではない。それじゃ興味津々で寝る間も惜しんで一気に読んでしまったのかと言われれば、それも決してそうではない。じゃあ、書いてある内容が常識はずれというか、奇想天外というか、「世の中にはこんなことを考えるやつもいるんだ」と仰天するような中身だったのかと聞かれてしまえば、それもまるで違う。とにかく奇妙で落ち着かない本に出会い、最後まで付き合わされてしまったのである。
 「モデラート・カンタービレ」(マルグリット・デュラス著、田中倫郎訳、河出書房新社)がその本である。

 物語の概要については私が書くよりも、この本の末尾に書かれている多くの人による書評から抜き出すことの方が適切かも知れない。

 「他人の運命が、どれほどの重みをもって目撃者たちの上にのしかかってゆくのであろうか? ひたすら自分の子どもに愛情をそそいでいる若くて裕福なアンヌ・デパレードが、なぜ、見知らぬ女性の突然の叫び声と、彼女の血まみれの死体の眺めに、これほど強烈に心を動かされたのか? なぜ彼女は、その見知らぬ女性の体が夕日を浴びて崩れ伏していった港のカフェに戻ってゆくのか? なぜ彼女は、自分と同じ目撃者、べつの見知らぬ人物ショーヴァンに問いかけるのか? ・・・犯行現場に彼女は毎日やって来る。毎日、質問は進展してゆき、彼女自身の話もすこしずつ長くなってゆく。彼女が遅くまでいる間、子どもは外で遊んでいる。だが、いつか彼女は一人で来るようになるだろう。いつか、彼女は答えを手に入れるだろう。いったい彼女は何を探し求めていたのか? ショーヴァンの愛か? 殺害された女性がその愛人から獲ち得たような、アンヌが望み、またアンヌが望んでいるこの男の手による死なのか?・・・」(同書P154〜、ドミニック・オーリー「プラトンの洞窟」)

 単に「揺れる人妻」と断じるには、このストーリーはあまりにも素直である。題名の「モデラート・カンタービレ」は、わが子が習っているピアノ教室での楽譜に書かれた演奏の指示である。その指示である「普通の速さで歌うように」そのままに、物語は静かに進行して行く。特に難解な部分もないし、奇をてらうような展開があるわけでも登場人物の関係が複雑なわけでもない。本文145ページはむしろ短編の部類に入るだろうし、翻訳の上手さによるのかも知れないけれど淡々と読める文章になっている。

 それにもかかわらずたった二人しか登場しない男女の呼吸が私の呼吸に合わないというか、戸惑いの中でいつまでも私の中に引っかかったままになっているのである。物語の終盤で一度だけ二人はテーブルの上に置いた手を重ね、そして別の日に一度だけ唇を合わせる。隠れた二人だけの密室での出会いではない。多くの労働者がたむろするカフェの隅のテーブルでだけの出会いである。恐らく二人の仲がそれ以上進むことはないだろう余韻を残したまま、この本はまさに「モデラート」のままで終わる。

 物語の発端になっている殺された女を通じて「死」を描こうとしているのではない。その女を殺した男を通じて「愛」を描こうとしているのでもない。その事件を目撃した主人公の「揺れる女の気持ち」を書こうとしているのですらないように思える。書評の一つによれば「・・・作者は、これらの秘密の鼻先で身を閉ざし、いくつかの手がかりを与えた後、われわれを迷路の出口に放り出す・・・」(同書P158、モーリス・ナドー「なにも結論を出さない技法」)とある。
 私もそうした迷路に翻弄されたのだろうか。確かにこの本を読み終えることはできた。むしろ途中で放棄することができなかったと言ってもいい。それはこの本が魅力的だったわけではない。前にも書いたように面白かったわけでもない。中断を許さない何かがこの本にあり、その何かが分からないままに突然に放り出されたのである。

 作者マルグリット・デュラス(1914〜1996)は、ネットの情報によればフランスの女流小説家である。少なくとも私の記憶の中に彼女の名はない。映画監督もしているらしいが、映画を見た記憶もない。恐らくこんなに疲れたまま放置され、途方に暮れたまま投げ出されるような作品ならば、今後新しい作品に出会ったとしてもどこまで付き合っていけるかどうかかなり疑問である。彼女の名はこの本で記憶に残ったから、場合によっては何かの機会に出会うことがあるかも知れない。でも恐らくそうした時、彼女の作品に再度挑戦しようと思うことなどないような気がする。だとすれば、この作品が彼女との最初で最後の出会いになるかも知れない。
 そんな気持ちを残しつつ、どうにも落ち着かない一冊と付き合ってしまった私の読書遍歴の一端を、どこかで記録として残しておきたいものだと感じ、この雑文を書いてみた。ただそれだけのことである。


                                     2012.6.7     佐々木利夫


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落ち着かない一冊