こんなことに反応する自体が老いの兆候かも知れないと思ってしまうけれど、気になるものはどうしたって気になるのだからしかたがない。最近聞いたテレビコマーシャルでの一言である。北海道の野菜を食べようというコマーシャルというかキャンペーン番組らしかった。
 若い女性アナウンサーらしい声が、「体に優しい北海道の野菜」と話していたのが耳に届いた。意識して見ていた番組ではないのでその部分しか聞こえなかったのだが、恐らく「もっと道産品たくさん食べよう」とか「安心して食べよう」と言いたかったのだろうと思う。聞こえたときには格別抵抗もなかったのだが、「ん?」と思ったとたんにこの一言がどうにも気になってしまった。

 こうした言いまわしは別に「北海道の野菜」に限るものではなく、主に食品に多いようだがいたるところで使われている。だからここでの一言に限ってのことではないのだが、どうも意味の通じないにもかかわらず、なんとなく通過してしまう耳障りのいい言葉があることにどこか引っかかってしまったのである。

 さて「体に優しい野菜」に話を戻そう。北海道で採れる野菜のどんな点が体に優しいのかについて、当然のことながら番組では一言も触れていない。「体に優しい」と言っているのだから、恐らく健康上の効能を取り上げているのだろうことくらいは想像がつく。けれどもそれが栄養価についてなのか、体内における吸収についてなのか、それとも農薬などを使っていないという単なる育成方法だけを意味しているのかなどについて、まるで説明がないので見当がつかないのである。

 「北海道の野菜・・・」と銘打っているのだから、体に優しいのは北海道という限定された地域で生産された野菜という意味であろうことは当然ながら理解できる。だが、果たして「北海道産の野菜」のどういう点が体に優しいのかについて、少なくとも私にとって公知であるとか常識として理解できるような前提があるかと振り返ってみてもそれらしい知識はまるで浮かんでこない。

 北海道の土には土壌学的にみて何らかの健康に寄与する特殊な効能があり、その土壌で育てた作物はそうした効果を吸収して育つから健康にいいのだとするなら、それはそれで分かる。また、北海道の気候や風土が本州や諸外国に比べて野菜の育成に特別な効果があるとするならそれもいいだろう。また北海道農業の作物育成技術だけが他地域と違って特殊であり、その技術が北海道で育成される野菜の全部に適用されているとするならそれも分からないではない。
 そうした北海道の野菜生産に関する特別な知識が私に存在していないのはまさに私の勉強不足であって、だから「知らないお前が悪いんだ」と言われてしまえばそれまでのことである。

 だが私の勉強不足の言い訳をするわけではないけれど、北海道で生産された野菜の全部にそれほどの特殊な効果を与えるような何かが存在しているのなら、こうした効果は色々な場面で公表され私の耳にも当然に届いているのではないかと思うのである。だから私には、少なくとも「北海道」という固有の何かによる効果ではないように思えてならないのである。

 ここでのメッセージは「北海道の野菜」であり、その意味するところは「北海道で採れた野菜の全部」である。特定の産品に限定しているわけではないから、ホーレンソウもネギも馬鈴薯も大根キャベツもであり、私には野菜と果物と穀物などの区別がきちんとついているわけでないけれど、米や小麦や大豆なども含めた北海道で採れた農産物の全部が「体に優しい」という意味に理解できてしまう。

 だから私はこのメッセージを「嘘」なのではないかと思ったのである。誇大広告と嘘の違いについて私は理解できているわけではない。化粧品や様々なサプリメントなどのテレビコマーシャルが氾濫しており、中には「これは効能ではなく使用者の感触です」みたいな言い訳を添えたものもけっこう存在しているから、どこまで誇大さが許容されるのかについて必ずしもきちんと整理ができているわけではない。

 それでも「道産野菜が体に優しい」との宣言は、もっとも善意に考えるなら「すべての野菜が体に優しい」ことを意味していると理解することもできる。すべての野菜が体に優しいのだとするなら、北海道産の野菜も当然その中に含まれることになるから、宣言そのものには何の嘘もないことになる。だがしかし、だとするならこの宣言は野菜の宣伝であること以外に何の意味も持っていないことになってしまい、ことさらに「北海道」であることを付け加えることは無意味かつ誤りであるように思える。
 またもし北海道産以外の野菜が少なくとも北海道産に比べて「体に優しい」ことに関して劣っていることを言いたいのなら、それがどの点でなのかを明らかにすべきであるように思えてならない。

 もちろん単なる北海道産品の宣伝文句にしか過ぎないことくらい分かっている。「北海道産の全部の野菜」などと一括にした表現そのものがその言い分が嘘であることを示しているともいえる。「我が店のラーメンは世界一の味だ」と自慢するのとそれほどの違いはないのかも知れない。それでも最近のコマーシャルじみた宣伝文句が、そうした単純な自慢話の範囲を超えて催眠術もどきの騙しのテクニックにまで及んでいるように思えてならない。そしてそうした言葉がテレビでもラジオでも街頭放送でものべつくまなく流されていて、いつ間にか私たちの耳に抵抗感なく流れ込んできて無反応になっていることに、どこか危機感じみた感触を受けるのである。

 つまり私は、そんな危機感に無反応になることなく気づいたことに対して、これは単なる老いのへそ曲がりではなくむしろ正常なのだと、どこかで自慢したがっているのである。ただそれだけのことである。


                                     2012.1.18     佐々木利夫


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