特に日本人の結婚の歴史や結婚観に興味があったわけではない。また自分の結婚について、その拠って立つところを研究しようと考えたわけでもない。
 つい数週間前のことである。石牟礼道子の「不知火ひかり凪」を読んでいたとき、著者があまりにも「高群逸枝」の名とその著作である「招婿婚の研究」(しょうせいこんと読むようである)を絶賛していたものだから、ついどんな本なのだろうかとパソコンから札幌市立図書館の蔵書検索サイトにキーワードを入力したのが運のつきであった。

 図書館の蔵書検索はとても重宝なものである。その本が札幌市内の図書館や図書センターなどの蔵書にあるかどうか、あるとすれば貸し出し中かそれとも借りたいとして予約申し込みをしている先行者がいるかどうか、いるとすれば何人かなどがたちどころに分かるからである。しかもクリック一つで、我が事務所から徒歩数分のところにある西区民センターまで配送してくれる上に、到着した場合にはメール連絡さえしてくれるからである。
 検索一発でこの著書が札幌市中央図書館に一冊だけ存在し、予約者なし、つまり図書室の片隅で手ぐすね引いて借り手を待っている状況だと分かった。思わずその場で予約申し込みをクリックしたのはいうまでもなかった。そして2〜3日後、到着したとのメールが私のパソコンに届いたのである。

 ところでこうしたパソコンによる予約の問題点は、書架を歩き回って自分の手で欲しい本を探し出すのと違って、その「書籍」に対する実体感が得られないことにある。もちろん検索情報の中味には、その本の発行日やページ数、大きさなども記されているから、注意深く観察すればある程度の予想は得られるはずである。それでも、「検索欄に書名・著者名を入力する」→「見つかったと喜ぶ」→「先行予約者の有無を確かめる(確かめない場合の方が多いのだが)」→「思わず予約のクリックをする」と進んでしまうのが私の習慣になってしまっている。それは、本と言うのは単行本からハードカバー・文庫本、童話などの特別な形態のものまで様々だが、片手で手軽に持ち運び出来るものだというある種のイメージが無意識にできあがっているからであろう。

 さて予約した著書が近くの区民センターに到着したとのメールを受けて早速引き取りに行った。そして驚いた。なんととんでもなく薄汚れた厚い本で、しかも綴じ代が一部破損していて途中のページが抜けかかっている、まさに古色蒼然そのものの装いであったからである。職員から、だいぶ古い本で補修もできないようなので大切に扱って読んでくださいと手渡されたものの、私の手に受けたその著作はずしりと重く、かろうじて本のスタイルを留めているものの一息吹くだけでばらばらになりそうな危うい形態である。

 一瞬、しまった、これは少し手に負えないかも知れないな、と思ったものの、一ページも読まないうちに退散してしまうのは、多少なりとも読書人としの自負を持つ我が身にしてみれば、いささか沽券にかかわろうというものである。しかもせっかく新しい読者を得て書架の澱みから久々に開放されたであろうこの本に対しても、また全く見知らぬとは言え著者に対しても失礼を超えて無礼でもあろう。

 読了は無理だろうと直感したけれど、それでもこの本が貴重な文献であり、恐らく長い間誰からも振り向かれることなく図書室の書架に埋もれていただろうことはどことなく感じられた。タイトルの意味すら必ずしもきちんと分かっているわけではないにしても、日本語で書かれているのだし日本における婚姻制度の史的研究だろうくらいの理解はできるから、自宅まで運んで叶わぬながらも挑戦することにした。昭和28年1月10日発行、序文6ページ、目次27ページ、本文1209ページにも及ぶ本というよりはずしりとした百科事典みたいな荷物である。ちなみに価格は2500円で当時としてはかなりの高価であり、発行所も株式会社 大日本雄弁会講談社といささかいかめしい名称になっている。

 しかもこれは小説やエッセイの類ではない。まさに厖大な内容を持つ研究論文である。活字も小さくびっしりと全頁に埋め尽くされている。発行された昭和28年というと、当時の私はまだ13歳の中学生である。この頃はまだ当用漢字などへの移行の過渡期など現代文への熟成期でもあったのだろうか、書かれている文章は一応は現代文スタイルではあるもののまだ旧漢字も混じっており、仮名遣いも現在とは一部異なっているなどいささか読みにくい。もしかしたらそれは発行された時代を反映したのではなく、単に著者の記した原稿の影響によるものだったのかも知れないが、かてて加えて私の知識からは遠い熟語や意味や引用文などが頻発して出てきて一ページが遅々として進んでいかない。しかもこの重い本を自宅、通勤電車、事務所と毎日運ぶことなど思いもよらないことなので、読書に費やす時間帯も限られている。

 さて結論から言うなら2週間借りていて50数ページまでたどり着いたものの、ものの見事にと言うか予想通りと言うべきか完璧に挫折してしまったのである。遅々ながらページは進んでいっても内容がほとんど頭に入っていかなく、これだけ読み終えたとの実感が伴ってこないのである。著者が生涯を投じて研究したであろう気持ちはそれなりに伝わってはくるけれど、私の興味や知識などが著者の意気込みに応えるまでに熟成されていなかったと言うべきなのかも知れない。挫折と呼ぶにはあまりにもお粗末な大敗・完敗でもあったのである。

 せめては読み終えた僅かの中から数行を引用して、挑戦したことの証し、そして完敗したことの墓名碑にでもすることにしようか。

 「私は、日本歴史上の大事実で、それにも拘らず、一つの盲点となっている『招婿婚』を主題として、この研究を試みようとするのである。できうるならば、その本質、形態、経過(発生・推移・終焉)等の全貌をあきらかにしたいとおもう。招婿婚は太古から鎌倉末期ーあるいは南北朝ーに及ぶわが日本に行われた婚姻の形態である」(第一章 研究の輪郭 第一節 研究の意義 から、P3)

 「・・・それは形態的には、男子が女子の族または家に招かれ、通ったり住んだりの婚姻生活をおこなうことであるといえる。また機能的には、そうした婚姻生活によって女子の族または家に子女を生む、すなわちその族または家の成員を生殖するということが主たる要件であるといえる。したがって、招婿婚の本質は、純粋な意味において、また起原において母系婚であるということができる」(第三章 招婿婚とは何か 第一節 定義 から、P26)




                                     
2012.4.28     佐々木利夫


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あぁ、招婿婚