ほんのちょっとしたきっかけが、人の進んでいく方向を変えてしまうことってあるんだと実感している。なんたって自分のことなんだから・・・。これは私がこうしたホームページの作成にのめり込むきっかけとなった、ある出来事を通じた自慢話である。

 平成10年に私がこの事務所を開いたのは、まさにその名称どおり税理士事務所として税理士の仕事をするためである。もちろん心のどこかにこれまで何度も書いたことがある、子供の頃に抱いていた「秘密の基地」みたいな思いがなかったとは言えない。それはピアノに見立てたキーボードやギターや笛もどきのシンセサイザーなどの楽器、そして税法とは無関係な小説やら心理学などの本を持ち込み、最初から書斎じみた雰囲気を持たせようとしていたことからも分かる。

 パソコンは会計機として仕事でも利用したいとの思惑もあって、当初から自宅とは別に導入を考えていた。もちろん開業する10数年も前からパソコンには興味があり、それまでに数台を消耗品化させていたことは事実である。ただもともとパソコンはBASICなどの言語を使ってゲームを作ったりワープロや表計算としての利用、そして年賀状や挨拶状などの作成や印刷などに使うケースがほとんどで、いわば閉鎖的な空間での利用に限られていた。つまりインターネットであるとかメールなどといった外部との交流などとは無関係であったということである。

 もっとも私がパソコンの勉強を始めた昭和40年代は、パソコンそのものが職場にも家庭でもまだ認知されていなかったから、必然的にメールであるとかインターネットなどで交流するような環境にはなく、仲間もいないなど交流の必要性もなかったことがあげられるだろう。機能としては当時からモデムといわれる装置を電話の送話口に押し当てるなどしてメールやファックスを使えたような気がしているけれど、そうした必要もなく相手もいなかったのが閉鎖環境の一番の原因であった。

 確か電話線につないでお遊びのつもりでファックス送信をしてみて本当に届くことに驚いたのが、ウインドウズ95の時代で、これが始めて経験した外部との通信だったように記憶している。そして平成10(1998)年7月に事務所を開いて、マイクロソフト最先端のウィンドウズ98のマシンを導入した。会計ソフトを組み込んだマシンで、もっぱら仕事に利用するのが主流であった。それでも税法の改定によるプログラムの変更などは宅配されてくる数枚ものフロッピーディスクによっていたから、まだまだインターネットなどとは無縁な環境だった。

 間もなくyahoo(ヤフー)が電器量販店どころか近くのスーパーやコンビニなどでも大々的にインターネットの宣伝をはじめた。まだ光回線などは普及してしなかったけれど、NTTの電話回線にISDNと呼ばれる一つの回線で通話とインターネットの両方に使えるとのシステムが導入され、それと接続する方法であった。しかも加えて「今ご契約いただけると工事費は無料、基本料金も3ヶ月間無料です」みたいな宣伝文句も魅力的で、ついつい乗せられて事務所開設後一年目くらいにインターネット環境が事務所へ届くことになった。

 ISDNは光回線と比べて通信速度が遅く、動画や写真などの情報量の多いものの閲覧にはいささかの不満が残った。しかも特定の電話番号を呼び出して利用する都度接続する方式だったから、市内通話料金並みの利用料だとしても、単に接続しているだけで公衆電話で10円玉を落としながら会話しているように料金が嵩んでいくシステムだったから、どことなく料金の無駄遣いみたいな気持ちを抱かされたことを記憶している。

 それでもインターネットは私に新しい世界を提供してくれた。画像なども含めて圧倒的な情報量の多さが魅了した。検索窓口に単語を入力するだけで、仕事はもとより趣味の分野にいたるまで必要な情報がたちどころに入手できたからである。でもそれでもまだ私は、単にネットの海に受身で漂っているような状況だった。つまり、そのネットの発信側としての構成員の一部になろうなどとは考えもしなかったということである。もしかしらた、構成員になること意識そのものが私には存在していなかったのかも知れない。ネットとはこちらが利用するものであって、無意識に「私は受信者・利用者であり、発信者は私とは無関係な特別な人」みたいな思い込みがあったということでもある。

 さてこうした思いを変えることになった第一のきっかけは「鍵がない」ことであった。11月の末か12月の始めの寒い頃であった。いつもながら自宅から徒歩で事務所へ向っていた。事務所に着いてさてドアを開けようと思ったとき、鍵がないことに気づいた。カバンの中にも上着やズポンのポケットにもどこを探しても見当たらないのである。答えはたった一つ、自宅に忘れてきたのである。スペアキーを作ってはあるけれど、妻に渡してあるので結局は二本とも自宅にあることになる。
 さてどうする。この冷たいマンションの個室のドアの向こう側に到達するためには私が取りに戻るか、それとも妻に届けてもらうしかない。宿無し野良猫のように事務所のドアの前にいつ届くとも知れぬ鍵を呆然と待っているのはいかにもみすぼらしい感じがするし、かといってまだ10時にはだいぶ前なので近くに開いているような喫茶店もない。歩くことは日課になっているので、取りに戻ることにした。届けてもらうのではなく自分で戻ることにしたこと、これが第二の「きっかけ」である。

 来た時と同じ道を戻ってもいいのだが、僅かではあるが遠回りになることもあって普段あまり利用していない比較的賑やかな国道を通ることにした。これが第三の「きっかけ」になったのである。歩いて30数分、自宅まで残り10分くらいのところから国道を直角に右折してJ我が家に向う地点がある。そしてその近くに古書店がある。いわゆる偏屈親父がひとりでやっているような古書店というのではなく、この頃から流行りだしたコミックや雑誌やテレビゲームのカセットなどを扱っている古本店である。通勤とは別ルートなのであまり覗く機会も少ないこともあり、ふらりと立ち寄ることにした。これもまた一つの「きっかけ」であろう。

 並んでいる古書の中にパソコン関係の本が何冊か並べられているコーナーがあった。そしてその中に恐らく誰も買い手のないだろう2年以上も前に発行された時代遅れの雑誌が一冊100円で売られていたのである。雑誌の定価は1800円近いから、まさに捨てる寸前の投売りでもあったのだろう。何冊か並んでいる雑誌には、それぞれCDが一枚付録としてついいた。音楽CDではなく、パソコン用のプログラムが内蔵されているCDである。

 そうした雑誌の背表紙に「はじめてのホームページづくり」のタイトルがあった。そのとき始めて、素人にもホームページが作れるのかも知れないとの思いが私の頭をよぎったのである。仮に作れなかったとしても一冊100円が無駄になるだけであり、そもそもホームページがどんなものかだって私にはきちんと分かっていなかったのだから、気まぐれへの投資としては安いものである。
 ざっと拾い読みしたところでは、ホームページには音楽も載せられるとある。そこで「ホームページデビュー徹底解説」と「サウンド専科」と題された計三冊300円を投資することにしたのである。街中の古本屋には時々立ち寄ることがあるけれど、パソコン関係の本はそれほど目につかないような気がする。それが私の興味をひく分野で、しかも失敗してもかまわないほど安価で置いてあったこと、そしてその雑誌にホームページに関連するプログラムCDが付録としてついていたことなども「きっかけ」になっていたのかも知れない。

 ホームページデビューするとの意思まで持っていたわけではないので、その古雑誌三冊はそのまま自宅へ持ち帰り、忘れた鍵を持ってその日は事務所へと戻ったのである。自宅にもwin95のパソコンがあった。古雑誌の付録のCDは読み込むことができ、あちこちいじくりまわしているいるうちに、なんと「私のホームページへようこそ」と題したたった一枚ではあるけれど、私だけの表紙が作成できたのである。これが弾みとなって、事務所でプロバイダーのヤフーの画面を調べていくうちに無料で一定容量のサーバーを確保できること、自分用のホームページアドレスを取得できることや、そこへデータを預けることによって自分のページが公開できることなどが少しずつ分かってきた。何をどんな形で発表するのかも分からないまま、間もなく何百メガという空白の空間が私に割り当てられることになったのである。

 スタートのページに「index」なる記号を末尾につけることは分かったものの、それを基本として何を発表するのか、どんな構成にするのか、検索窓口から私のページに誘導するためにはどんな方法があるのかなどなど、それからの私はホームページの作成やページを増やすことなどに入り浸ることになっていったのであった。

 あの時事務所の鍵を忘れなかったなら、そしてその鍵を取りに自宅へ戻ろうと思わなかったら、更にいつもと違う帰り道を選んでいなかったら、古本屋に寄らなかったら、そこにパソコンの古雑誌がなかったらなどなど、そうした偶然ともいえるきっかけの積み重なりが、私のここに発表する800数十本のエッセイや写真、詩などの世界へと広がっていったのであった。

 きっかけの発生は2002年冬、そして数ヵ月後の翌2003年1月にはつたないながら私の自作のホームページが、世界へ向けて私の思いを発信することになったのである。そしてその翌年に入れた新しいパソコンwinXPマシンには使いやすいホームページ作成用ソフトが添付されていたこと、やがて通信回線がISDNから光ブロードバンドへと進化を遂げて使い放題の料金環境になったことなどともあいまって、今ではホームページの更新はささやかながら生き甲斐と呼べるまでになろうとしているのである。開設から9年が過ぎて今では検索エンジンに自分の名前を入力するだけで、検索結果のトップに表示されるまでになった。まさに継続は力なりを実感できるまでになろうとしているのである。


                                     2012.2.17     佐々木利夫


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きっかけの不思議