少し前に仲間と飲みに行ったときのどうでもいい話である。その仲間とは私の事務所で軽く飲み、それから徒歩数分の近さにある馴染みのスナックへと繰り出すことが多い。年齢と共に酒の量も減っていくようで、ママさん相手の雑談や水割り片手に下手なカラオケに興じる程度で10時を過ぎる頃にはご帰還に及ぶ、なんともおとなしい飲兵衛である。だから意識の上では他人はともかく、互いに非常にまじめで品のいい酔客のつもりでいる。

 そんなスナックのカラオケ場面での出来事である。楽曲を選択するタブレット端末もどきのマシンの操作はもっぱら仲間が独占していて、選曲はもとよりテンポから音程の上げ下げまですっかり任せている。そんな彼が誰も歌っていない空白のモニター画面に流れる「最近のベストヒット」みたいな曲名の文字列を見ながら、突然「どうして『0(ゼロ)ゲーム』と書いて『ラブゲーム』と読むんだ?」と聞いてきた。聞かれた私には、聞いている彼の意図そのものがまるで分からなかった。

 例えばカラオケ画面に流れる映像を見ながら、「あそこはどこの景色だろう」とか「こんな色っぽい女に口説かれたらどうする」なんて聞かれたのなら、どう答えるかはともかくとして日本語として成立しているのだから答えようはある。だがラブゲームの質問に関しては、質問そのものの意味がまるで分からなかったのである。もちろんすぐに「0」と書いて「ラブ」と読むらしいことだけは、選曲マシンの日本語検索画面を彼がなぞったことで明らかになった。つまり、「0ゲーム」と書いて「ラブゲーム」と読むことだけは間違いないらしいのである。

 とは言ってもそれが日本語として成立しているかどうかとは、まるで無関係である。例えば「あかさたな」と書いてこれを「君が好きだ」と読むんだと言われたところで、愛しあっている二人に通じる暗号としてはともかく、一般的に通用することなどないと思うからである。でもその話題の中で彼が、そう言えばテニスで「ゼロ」のことを「ラブ」と言っているよな、と言い出した。とは言っても、言い出した方もそれだけの話で、発音が似ているだけで「ラブ」が愛を意味する英語の「LOVE」と同じなのか、それとも例えばフランス語やドイツ語やギリシャ語などの類似している他国の言葉なのか、更にはLOVEではなくLABUやROVEなのかなどなど、まるで分からないままこの会話はそれで終わりになった。別にその歌を歌おうというつもりもないし、例えば日本人の苗字のように、「い」と書いて「かながしら」と読んだり、「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読むのと同じで、「ふーん、そうなの・・・」で終わるだけの話題だったからである。

 だが数日たってなんとなくこの言葉が気になってきた。さすがインターネットである。比較的あっさりと私の疑問に対する回答らしきものがいくつか見つかった。と言うよりは、私と同じような疑問を抱いている者が世の中にはけっこう多かったということであろう。どうやらテニス用語としてこの表現は定着しているらしいのである。例えばゲーム中で「15対0」のことを「fifteen-love」であるとか、セット中では「2ゲーム対0ゲーム」のことを「tow games to love」などと当たり前に言うのだそうである。もちろんテニスはおろかスポーツそのものにまったく興味のない私にとってみれば、この解説を見たところで何の意味もなかったのではあるが。

 ただこれでテニスでは「0・ゼロ」を「ラブ」と表現することだけは分かった。少しネット検索を続けていくうちに、その語源として@ ゼロの形が卵に似ているのでフランスでゼロのことを「レフ」(卵の意味)と呼ぶようになり、それがイギリスに伝わったときに英語の「ラブ」に聞き間違えられた、A 英語のラブ(love)にはもともとnothing(何もないこと)の意味があり、現在ではその用例が死語になっている、B クリケット(イギリスなどで行なわれている野球に似たゲーム)で、得点がゼロで終わったときにduckとかduck's eggと呼ぶので、卵の形からゼロに置き換えた、などの説に集約されるようである。

 ただこれと言った定説はないようで、慣習的にこうした用法がテニスで使われてきたというのが事実らしい。ともあれ、テニスで言う「ラブ」に、私たちが慣用的に使っているような「愛」の意味はまるで含まれていないことだけははっきりしているようである。

 カラオケナンバーにあった「0ゲーム」と書いて「ラブゲーム」読ませることに、テニスでの用法を通じてなんらかのつながりがあることだけはどうやら理解できた。この歌がどんな歌詞なのか、またどんな意味を持った歌なのか、はたまたどんな歌手が歌ってのか、毎月新曲Jポップ10数曲をレンタルして聞き、自称ハイカラ爺さんのつもりでいる私にもまるで聞いたことのないタイトルであった。聞かないままに判断してしまうのは予断と偏見になってしまうことは承知の上だが、どうやら私の好きな「しっとりバラード系」の曲とは無関係に思えたことから、わざわざ探そうとも覚えようとも思わなかった。カラオケの最近の曲として出ていたのだから、恐らく若者にはヒットしている曲なのかも知れないが・・・。

 ラブゲームの言葉に、例えば「恋愛はつまるところゲームでしかない」のような哲学的教訓を期待したわけではない。またどこか不倫の臭いのする男と女のしがらみを予想したわけでもない。単に「ラブゲーム」の言葉だけだったなら、溢れるほどにも盛りだくさんのカラオケナンバーの中で、特別に興味をひくことなどなかったことだろう。ともあれ飲み仲間の「どうして・・・?」がきっかけになって、スナックでたまさかの話題になったことは事実であった。

 ただ「0ゲーム」と書いて「ラブゲーム」と呼ばせる手法がどこか安易過ぎるように感じたこと、「ラブ」に「愛」の意味が少しも含まれていなかったこと、そして私にテニスへの興味がまるでなかったことなどを重ね合わせることによって、私はこの言葉と曲とに対する興味を急速に失っていったのは事実であった。テニスで「0」を「ラブ」と呼ぶ場合がある、そんな知識が頭の隅にちょっとばかり残った、ただそれだけのことである。

 そして昨日またまたこの仲間と飲むことになり、なぜかまたこの話になってテニスって変なゲームだなという話になった。そのとき更に奇怪なとも言うべき話を聞いた。テニスの得点が1点ずつ入るのではないとの話である。なぜかは彼も知らなかったのだが、15点刻みで、しかも3点目は40点になるとの話を始めたのである。つまりテニスの得点は15-30-40-そしてその回の勝ちになるというのである。バスケットだかラグビーだか知らないが、得点の入れ方によって勝ち得点が3点になったり1点だったりするようなことは少し記憶にある。だがこのテニスの得点には一定のルールがないように思えて仕方がなかった。

 それで早速次の日にネット検索で確かめた。よく分からないのだが、テニスはフランス発祥らしく、なんでも時計を持ち込んで15分刻みを得点の単位としたというのである。だとするなら15-30-45・・・となるはずなのだが、45の発音が面倒なのでいつの間にか40に変化したというのである。
 まあ、得点が15点単位だろうが、100点や110点単位だって一定のルールとして共通しているのなら別に構わないわけだし、その表現が面倒くさいとの理由で45を40と読み替えたところで選手や審判や観客が納得しているのだからとやかく言うことではない。

 それにしてもテニスにまるで興味のない私にとってみれば、少しずつ知識が広がっていくにつれ、テニスっていうのがなんともいい加減なゲームのように思え(決してゲームそのものがいい加減だと言うつもりはない)、いささか呆れると同時に世の中にはこんなこともあるんだと、少し増えた知識にちょっぴりの満足も味わっている。これで私はこの問題を提起してくれた飲兵衛仲間の持っているテニスの知識に、少しだけ近づいたのである。もっとも、そのことだって、ただそれだけのことではあるのだが・・・。


                                     2012.9.21     佐々木利夫


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