わたしは、厚さ三百メートルの貝殻のうえに乗っていた。巨大なその基盤全体が、いっさいの石の存在にたいして、いわば無訴権の反証をなしていた。若干の黒曜石が、地球の緩慢な消化作用の結果として、そこの地下の深みに眠っているかもしれないが、どのような奇跡によって、そのひとつがこのあまりにも新しい表面までせりあげられるというようなことがありえよう? 胸をときめかせながら、わたしはその見つけものを拾いあげた。拳ほどの大きさの、金属のように重い、涙のかたちをした、硬くて黒い小石だった。
 りんごの樹のしたにひろげられたテーブルクロスには、りんごの実しか落ちてこないはずだし、星星のしたにひろげられたテーブルクロスには、星々のかけらしか落ちてこないはずだ。いかなる隕石もこのような自明性をもってその起原を証し立てたことはなかったのだ。
 だから、頭を仰向けたとき、わたしはごく自然に、その天のりんごの樹の高みから、ほかにもりんごの実が落ちたにちがいないと考えたのだった。落下地点そのものに、きっとそれらが見つかるはずだ。数十万年このかた、なにものもそれらを邪魔しにはこなかったのだから、それらはけっして他の素材とまじり合うことはなかったのだから。そこでわたしは、自分の仮説を確かめるために、ただちに調査に乗り出したのである。

 長々と引用してしまったが、この文章はサン・テグジュベリの著作「人間の大地」(南方郵便機・人間の大地、山崎庸一郎訳、みすず書房)の一節(P196)である。私はこの作品を始めて知った。それもなんと近くに住む三番目の孫の一言からであった。この作者は恐らく日本人で知らない人などいないだろうほどの著名人である。だが私の知識もその程度で、単に「星の王子様」の作者であるというところで止まっていたのである。しかも、しかも、私はこの「星の王子様」すら読んだことがなかったのである。
 まあ私には、どちらかというと芥川賞受賞作と言われるような巷間話題になるような作品や、オリンピックや野球・サッカーなどの話題も含めて世間がワッショイするような流行りものに対しては、とりあえず食わず嫌いになる傾向が強いので、読んでないことについてはそれほど違和感はなかった。

 ただそうは言っても、サン・テグジュベリの名を孫から聞いたことはいささかショックであった。孫は今年高校に入学したばかりの男児である。己の高校生時代を恥ずかしげもなく振り返ってみるなら、そこそこ大人のつもりでいたし、草野心平の詩や太宰治や阿部次郎の三太郎の日記などに傾倒しつつ、我が身を文学青年や哲学者の片隅に自惚れつつ置いていたこともあったのだから、孫がテグジュベリの名前を口にしたところでそんなに驚くことではないのかも知れない。
 それでもやっぱり、生まれたときから一緒に折り紙やゴム風船やビー玉などで遊んできた爺と孫の関係からするならこの変化はいささか唐突であり、少し大げさに言うなら別人格との出会いみたいな驚きであった。しかも更にショックだったのは、私は彼の口から出た作家を名前だけでしか知らず、「人間の大地」はもとより有名な作品である「星の王子様」を知ったかぶりすることさえできなかったことであった。

 孫がこの作品と関わるきっかけになったのは、入学した高校の部活で放送部に入り、何かの大会に出場して「朗読」部門で発表する役目を引き受けたからなのだそうである。発表する作品は主催者から4つほど指定されていて、その中から彼は学校の図書室でこの本を見つけて選んだのだそうである。冒頭の引用は彼朗読対象とした部分の全部である。「人間の大地」そのものは200ページ近い長編であり、朗読は数分に限られていることもあって、彼が挑戦したのは半ページ程度の僅かな分量にしか過ぎない。

 さて、彼からサン・テグジュベリの名を聞いたにもかかわらず、「星の王子様を書いた人だね」という一言しか会話を続けられなかった祖父としては、彼より60年近くも長く人生経験を積んでいるとの自負なのだろうと思うのだが、どこか自分に対する憤懣やるかたない気持ちが心の中に残ってしまった。事務所へ出てすぐパソコンで、「星の王子様」と「人間の大地」の二冊を市立図書館の蔵書検索で見つけ出し、早くも2日後にはその現物を手にすることができた。夏休みとお盆などの関係もあって一週間後に再びその孫が我が家へ遊びに来ることになったのだが、残念ながらそれまでに読了するのは難しそうである。ともあれ借りた本を我が家に持ち帰り、「どこを朗読したのか正直に言え」とばかりに自白させたのが冒頭の引用部分である。

 ところで実はもう一つ問題があった。しかもとても重要な問題である。孫の話によると、朗読作品の候補は指定されていたけれど、朗読する部分までは指定されていなかったとのことである。しかも彼の話では引用した部分の文章は自分で選んだのだというのである。だとするなら、問題は200ページに近い長文の中から、どのようにしてこの半ページにたどり着いたかという疑問である。

 もちろんいろいろな可能性はある。偶然に任せてエイ、ヤッと無作為にページを開いたという場合もあるだろうし、先生や仲間からそれとなく示唆されたことだって考えられないではない。朗読者本人が選んだと言ったところで、例えば単純に「読みやすそうだったから」とか「漢字が少なかったから」、「どこでも良かった」みたいな幼稚なきっかけだったことだって考えられないではない。

 それでも選んだのには、やっぱりこの部分に「読もう」と決めた何かがあったからだと思うのである。それはそんなに哲学的な思いではないかも知れない。単純に語呂が良いと感じただけだったのかも知れない。それでも朗読しようとした彼の心に触れる何かがこの短い文章の中にあったのだろうと思うのである。それが果たして何だったのか、それが爺さんたる私の気になった一番の問題であった。

 本人に聞くのが一番手っ取り早い解決方法である。だが聞けないのである。聞いてみて、「なるほど、その程度の思いだったのか」とか、「人の思いはそれぞれだからな・・・」で済んでしまうものなのかも知れない。でも、もし「あっ、そうだったんだ」とか「どうして私はそのことに気づかなかったのだろうか」と思えるような答えだったらどうしょうと、つい考えてしまったからである。それよりはまず自分で読んでみて、そして考えてみるのが先だろう。それを孫からの一種の挑戦であり強迫であるように感じたのは、いささか考え過ぎだったかも知れない。

 「星の王子様」はどうやら読み終えることができた。だが童話のような形式で書かれてはいるものの、この作者、どうして一筋縄ではいかないように思える。哲学めいているわけでも金言箴言に満ちているわけでもない。ある小さな星の王子様があちこちの星々を巡り、そのついでに地球という星にも来合わせ飛行機で砂漠に不時着した人間と出会う、ただそれだけの分かりやすい文章とストーリーでありながら、どんどん読み進めていけるのとはどこか違うものを感じてしまった。

 ましてや「南方郵便機」に続けて読み始めた「人間の大地」はまだ中途である。まだ冒頭の引用文を理解するまでにはいたっていない。こんな状況で孫に「どうしてこの部分を選んだのか」なんて聞くのは、闘う前に敗北を認めるようなものだ。それにしてもこの本は、少なくとも私にとって難解な部類に入る。著者と飛行機乗りとしての彼、飛行機乗りになるしかなかった彼、そしてどうして自らも飛行機とともに行方不明になるまでの関わりを持つことになっていったのか、それよりも何よりも彼にとって砂漠とはどんな意味を持っているのか、それらを読み解いていく必要があるのかも知れない。
 もしかしたらこの本の冒頭「大地はわれわれ人間について、万巻の書物より多くのことを教えてくれる」や「飛行機とともに、わたしたちは直線を知った」(P189)に、その糸口があるのかも知れないと思いつつ、いまだ混沌の中にある。

 だが読み始めてしまったのだし、しかも読み始めた動機が孫からの無言の挑戦・強迫(もしくは私の無意識による身勝手な競争意識)にあるのだから、理解できないまま読むのを放棄してしまったら、孫との戦いは二重の敗北になってしまうような気さえしてくる。考えてみれば孫に対するかなり幼稚な対抗意識であり、「まだまだ若い者になんぞ負けてたまるものか」みたいなやせ我慢意識が強力に後押ししているような気もしている。そして同時にそうした気持ちの中には、どこか嫉妬じみた感情もまた潜んでいるようにも思えてくる。ともあれ若さが知らぬ間に先人を追い越していく排気ガスの中には、嬉しさと嫉妬とが分離できないまでにない混ぜになっているのかも知れないと、どこかで実感している自分がいる。

 私がサン・テグジュベリの世界に触れる機会が得られたのは口惜しいけれど孫のおかげである。孫がそんな素振りを見せたわけではないけれど、祖父たる私が勝手に挑戦状を突きつけられたと思い込み、しかもその挑戦状を孫からの強迫であると解釈して、電車通勤、事務所、夜布団に入ってから・・・、などと日夜その難解さに戸惑いながらページを繰っていく姿は、いささか滑稽でもある。でもとにかく理解できてもできなくても読み終えるぞ、と小さな爺さんは頑なに思い込み、カバンの中にこの一冊と老眼鏡を押しこみながら、毎日事務所通いを続けているのである。


                                     2012.8.23     佐々木利夫


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孫からの強迫