またまたオリンピックが近づいてきた。この事務所での生活も14年になろうとしているから、何度オリンピックをこの部屋のテレビで見たことだろうか。今年のオリンピックはイギリスで7月27から8月12日に開催されるが、競技に参加する日本代表の選考会が続々と開かれ、様々な話題を呼んでいる。日本代表の選考会であり、またぞろ金メダルがいくつだなどの話題もこれから多くなっていくことだろう。スポーツにあんまり興味のない私にとってオリンピックはどちらかというと少しはしゃぎ過ぎのような気のしないでもないけれど、それは私だけの問題なのだからそのはしゃぎぶりをとやかくは言うまい。

 それはそうなんだが、その代表を決めるに当たってどうも気持ちの引っかかる現象にぶつかった。選考会と言っても私がそれを知るのはテレビのニュースくらいでしかないから、特別に話題になった数種目に限られるのだろうが、気になったのはマラソンであった。

 マラソンは各地で開催されるいくつかの名のある大会での記録などを参考に決められるらしい。そのことは別にいいのだが、その予選とも言えるいくつかの大会に外国から著名(なのかどうか私にはまるで分からないのだが)な選手が招待選手として参加し、日本人選手と一緒に走るのである。そのこと自体には別に異を唱えるつもりはない。

 ただ私が感じた違和感は、どの大会でもそうした招待された外国選手が優勝すること、そしてそうした優勝の事実をまるで無視するかのように日本人選手の記録を追い続けているメディアの姿勢であった。かてて加えてメディアがご丁寧にも「日本人一位」をくり返しくり返しアナウンスするのも気になってしまったのである。

 オリンピックマラソンに参加する日本代表を決めようとしているのだから、ある意味そうした発言は当然のことなのかも知れない。でも、少なくとも私の記憶しているどんな大会でも日本人が外国人を抑えて優勝したことなど皆無なのである。もちろん私のスポーツ嫌いの中での知識であるから、不正確であることは承知の上である。もしかしたら堂々大会第一位になったことがあるのかも知れないし、場合によっては日本人が外国に招待されて外国の地で優勝したことだってあるのかも知れない。またまた仮に何度か外国選手の優勝が続いたとしてもそれは単に今年だけ、その大会だけの特別なケースである場合だって考えられないではない。

 そんな不確実な情報をもとにこんなことを書くのはもしかしたら焦点がぼけていると言われるかも知れないが、それでも招待した外国選手、それも一人ではなく複数の選手が多くの大会で一位、二位を占めているにもかかわらず、日本人選手のグループの中での順位だけを取り上げて報道する姿勢にはどこか納得できないものが残ってしまう。

 オリンピックへの代表を決めるための競技会なのだし、それも日本人の代表を決めるのだから、その大会での成績を基準に選考すること自体は理解できる。でも参加する選手だけでなくその選手を応援したり、大会の解説をしているかつてのオリンピック参加選手やアナウンサーなどがこぞって金メダルを話題にしているのは、どこか違和感が残って仕方がない。

 マラソンは2時間を超える過酷なレースである。本人の実力のみならず、コースの起伏やその日の天候状況、開催地の緯度なども関係するだろうことは明らかだと思う。だから、実力がそのままレース結果に反映されるとは限らないかも知れない。つまり実力以外の様々な要因によってその時々の勝敗が決定される可能性が高いということでもあろう。

 だとすれば、観念的には無名の選手、世界ランキングなどでまるで注目されてもいなかった選手が、なんらかの偶然や千載一遇のチャンスに恵まれて優勝することだって皆無とは言えないかも知れない。参加選手のことごとくが食中毒や伝染病などで倒れて、たまたま難を免れた無名選手に金メダルが落ちる可能性だって皆無とは言えないだろうからである。

 でもそんな偶然は起きないのが現実である。世界ランキングの上位に位置された選手の中から、そして恐らくはある特定のタイムをクリアできたであろう選手だけが金メダルを手にするのだろうと思うのである。
 つまり私が言いたいのは、金メダルの話題とは実力がないにも関わらず偶然に支配されて得られるような願望ではないと思うのである。小学生の作文ならまだしもオリンピック代表選手を決めるような参加者が口にしてはいけないのではないかと思ってしまうのである。心の中でメダルを目指すのは構わない。死に物狂いで金メダルへ挑戦するとの思いだってちっとも構わない。

 私はこうした選考会でたまたま外国人選手に優勝を持っていかれたとしても、例えば一進一退で時に日本人が優勝し、時に招待選手に遅れをとるようなことが起きているのならこんな気持ちになることはなかったと思う。でもそんなに毎回熱心にマラソン大会を見ているわけではないから確実な事実として言えるのではないけれど、少なくとも私が見ている限り全部の大会で日本人は外国人に敗退しているのである。つまり招待外国人選手に日本人はまるで勝てないでいるのである。

 そんな事実を目の当たりにしていると、オリンピック選手選考会というのはいったい何なのだろうと思ってしまうのである。もちろん参加することと金メダルをとることとは別物である。「参加することに意義がある」などと精神論だけを振りかざすつもりもないし、オリンピックを目指す気持ちをないがしろにするつもりもない。ましてや日本人代表を選考するための大会なのだから、日本人の中から実力のある者を選ぶことも、結果として日本人としての順位などの成績から判断しようとすることも批判しようとは思わない。たとえその成績が金メダルに遠く及ばなかったとしてもである。

 でも金メダルとは「世界で一位」の意味である。「金メダルをめざす」との言葉は、それに向って精進すると言ったような精神論だけを意味するのではない。ましてや残る数十日で開催される今年のロンドンオリンピックに向けての言葉だとするなら、選手の発する言葉なら実力を伴った「私は世界一になる」の宣言でなければならないと思うし、応援者や解説者などの発言なら、「この選手には世界一の実力がある」との意味だと思うのである。
 だから私は、外国人招待選手に毎回毎回優勝をさらわれている日本人選手の姿に、「オリンピック日本代表になる」との言葉ならばともかく、「金メダル」を口にすることがどうにも理解しにくいのである。言ってはならない言葉ではないか、堂々とカメラの前で話すなど気恥ずかしくないのだろうかとすら思ってしまうのである。

 マラソンは比較的見る機会の多いテレビ放送である。ただ長時間走るだけの変化の乏しい競技であるとは思うけれど、けっこう退屈させないものが含まれている。でもアナウンサーがあたかもトップを走っている外国人選手の姿などまるで眼中にないかのように「日本人トップは○○選手です」を絶叫している姿勢には、なんだか応援する力も楽しむ気持ちも削がれてしまうような気がしてならないのである。


                                     
2012.4.10     佐々木利夫


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