「この地区を汚染の指定地域から外して欲しい」、こんな要請が特定の町村から出ているとのニュースを最近聞いた。水上温泉で有名な水上町もその中に含まれていので、つい気になった。私が特別水上温泉と深い関係があったわけではない。たまたま東京で1年数ヶ月の研修を受けていたときに、休日を利用して谷川岳の麓とも言える一の倉沢まで研修寮で同室だった仲間と一緒に半登山を兼ねて紅葉を見に行ったことがあり、その帰り道に近くの水上温泉で汗を流したことが一度あるだけの縁でしかない。

 それでも一度訪ねた、そして特別な機会でもなければ再び訪れることなどないような地域というのは、名称だけでどことなく懐かしい響きを与えてくれるものがある。水上温泉は群馬県の北部、新潟県との県境に近いが2011.3.11の東日本大震災とそれに伴う津波による福島第一原発の事故の影響で、2011年の航空機によるモニタリングで空間放射能が毎時0.23マイクロシーベルトを超えたことが分かった。

 そのため水上町は町の全域を、国の除染の財政支援を受ける前提となる「汚染状況重点調査地域」としての指定を要望した。この要望は受け入れられ、環境省から2012.2.24に重点調査地域として指定されたが、この指定はあくまで「重点的に放射性物質による汚染の調査測定をすることが必要だと判断した地域」であるに過ぎないから、必ずしも全町が汚染されている地域であるとの確定を意味しているわけではない。

 しかし航空機のモニタリングの結果などから、汚染地域であるとの風評は避けがたいものだっただろう。たとえモニタリングが限定された場所であったにしろ、地域指定はあたかも町全体が汚染されているかのようなイメージを与えてしまうからである。指定は除染費用の国からの財政支援というメリットはあるものの、反面農業や観光などに風評という損害を与えるであろう事実を否定することはできない。そうした風評を避けるために今回の指定地域から外して欲しいとの要望になったのだと思う。

 もちろんそうした前提としては、除染の必要度が低下しているとか国の支援がなくても自治体で除染費用を賄うことができるなどの要因があるだろう。そしてそれにも増して放射能測定値そのものが、恐らくは国の安全基準を満たしていることが確認されたのだと思う。

 自治体がそうした意味で、指定を返上したいと思ったことはよく分かる。そして現状が国の安全基準を満たしているだろうことも、分かるつもりである。それでもなお私は、自治体の思惑にどこか素直についていけないものを感じたのである。それは、自治体の言い分が「除染した結果安全な地域になった」ようには聞こえなかったからである。つまり、「指定を申請した時点では除染する必要があった」ことと、「現在安全であること」の間の説明が完全に抜けているからである。

 除染する必要があるほどに汚染されていたことは、申請し指定地域とされたことから明らかである。さてそして今回の指定地域から外して欲しいとの要望は、「全町が安全になった」からなのか、それとも「観光客や町民に影響を与えるような範囲では安全になった」のか、更には「汚染は存続しているけれど自治体が自前の費用で除染対策が行なえ、かつ安全対策にも抜かりはない」のかのいずれに該当するのかの説明がまるでないことである。

 にもかかわらず町の要望は、この指定から外されることであたかも「我が町から放射能はなくなった」ような誤ったメッセージを町民や観光客や国民に意図的に伝えているように思えてならないのである。これまで何度も書いてきたことだが、放射能が短期間に消滅したり中和されたりすることはない。放射性物質に性質によって異なるけれど、数十年、数百年、ものによっては数万年を経てやっと半分の力になる半減期に頼るしかないのである。

 恐らくホットスポットとして測定された地点の放射能値が、数ヶ月を経て減少してきているのかも知れない。だがそれを減少したと理解するのは誤りである。風雨によって希釈されたというかも知れない。だが希釈されることのないことは現代科学が証明するところである。放射性物質は移動はするけれども、薄まったり消えたりすることなどないからである。

 もちろん水上町に注いだ放射能が、雨に流されて他県へと移り、更には海へと流れ込んで見かけ上水上町から減少したように見えるかも知れない。また水上町の測定漏れとなっている地域に滞留していて、既存の測定地域の測定から外れていることも考えられる。それをとりあえずゴミは目の前から消えてしまったのだから、あとのことはその地域の自治体や国に任せておけばいいと考えるのはあまりにも独善的に過ぎないだろうか。

 水上町の全域から放射能が完全に除染され、その除染された土壌や汚染水がきちんと管理された上での指定解除であるならば誰にも理解できる措置である。だがことは煮ても焼いても減らすことのできない放射能がからんでいるのである。そうした単に放射能が減ったというだけの理由でしかない今回の水上町の指定解除の要請は、あまりにも自らの地域の利益にこだわった身勝手な行動のように思えてならない。

 観光も農業も、はたまた全町民の生活も福島原発の事故で翻弄されている事実を理解できないではないし、その翻弄は風評とあいまって事実を超えた被害にまで拡大していることもまた理解できる。ただ言えることは、少しオーバーな表現、誤った表現になることを承知の上でのことなのだが、「消えることのない放射能」、「永久に影響し続ける放射能」という事実をきちんと理解したうえで行政も国民も行動のあり方を考えていく必要があるのではないだろうか。


                                     2012.11.20     佐々木利夫


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