プロペラ式飛行機とヘリコプターを合体したような飛行機が軍事用に開発され、沖縄に配備されようとしている。プロペラを飛行中に上向きから横向きに変えることができるので、垂直に離着陸し、飛行は通常の飛行機と同様に利用できる。輸送目的として開発されたらしいが、性能としては従来のヘリコプターの5倍の飛行距離、2倍の輸送人員の能力があり、軍事的に多大な利用価値があるとのことである。こうした機体が開発できる技術には感心している。

 その機体が日本の山口県岩国の米軍基地を経て沖縄に配備されることになった。ところがこの機体は試験飛行や実践利用で、何度か事故を起こしていることから、市街地のど真ん中にある普天間基地に配備されて事故でも起きたら住民に大きな被害が及ぶと地元では大反対の声が上がり、デモ行進なども行なわれている。

 反対の理由は飛行の安全である。アメリカが安全であることを宣言しても、確実かどうかの信頼が置けないことが大きな理由になっている。それには2004年に米軍のヘリコプターが琉球大学の構内に墜落した事実が影を落としている。しかも配備されるオスプレイが現実に製造過程やテスト飛行、更には訓練飛行などの場で様々な事故を起こしており、その事故率が一般の航空機による事故の割合よりも高いことが指摘されている。

 これらの事故の発生場所はいずれも日本国内ではないのだが、事故が海外であることと事故が日本で起きないこととはまるで関係のないことは明らかである。もちろんアメリカはそうした事故のいずれもが操縦ミスや訓練不足による人的ミスによるもので、機体としての安全性に問題ないとしている。そして日本の防衛省も職員や専門家をアメリカに派遣してその安全性を確認したとしている。

 問題となるのはその「安全であること」がどこまで日本人、特に配備される沖縄の人々に理解されているかである。安全であるとの第一義的な保証はアメリカの発表にある。ことはアメリカが開発し製造した軍用機である。アメリカがまず第一にその安全性を担保することは当然であろうが、どこまで安全性が検証されているかは対象が最新の軍事機密を抱えている軍用機であるだけに極めて疑問である。その検証が軍用機としての機密部分に触れることなく客観的に実施できるとは思えないからである。

 恐らくアメリカの発表の根拠は軍内部の専門家による検証であろう。仮に軍に関係のない部署による検証への参加がなされたとしても、軍事機密に触れない部分を通じての検証であろうし、場合によってはアメリカの国益みたいなものを保護するために不利益な部分は秘匿される可能性だってあるかも知れない。

 先にも書いたが、検証は日本の防衛省も後日ではあるが実施し、アメリカの安全宣言を追認することになった。だが、どこまで安全が確実に検証されたかまでは公表されていない。だから想像するしかないのであるが、軍事機密をそんなにあっさりと同盟国とは言え他国である日本に公開することなど考えられないから、もしかしたら機体に触ることすらできず、アメリカ軍が提示した差し障りのないペーパー上での検証に止まったのではないだろうか。安全を保証したペーパーを見てその数値をチェックすることで安全を確認したのだとするなら、そうした確認手法は既に発表された安全宣言の追随にならざるを得ないから、安全を追認する理由としては程遠いものになるだろう。

 なかなか配備に理解を示してくれない沖縄住民の反対意思に対して、次にアメリカと日本が考え出したことは運用方法である。それは万が一事故が起きたとしても、配備先である沖縄の住民に被害を与えないように注意深く運用するとの協定である。沖縄住民に被害がなければ、その事故が基地内で起きようが、外国で起きようが関係がないとまでは言わないだろうし、また被害とは民家に墜落するような人的被害を指すのか、それとも海上で起きて珊瑚礁が破壊されたり漁労に影響したり、はたまた環境に影響を与えたりするようなものまで指すのかは疑問があるけれど、とにかく「住民被害」を避けるような運用を国家間で約束することにしたのである。

 その取り決め内容は飛行の高度や沖縄への進入角度、更には飛行の時刻やオスプレイに特有でまた事故の発生もそのタイミングで起きやすいと言われている飛行モードからヘリコプターモードへの切り替えのタイミングなどについて行なわれたようである。

 だがことは軍用機である。戦争といういつ起きるか分からない事態に即時に対応するための沖縄配備である。たとえ訓練と言ったところで有事を想定しない訓練などあり得ない。だからその取り決めは結局、「可能な限り避ける」とか「必要なとき以外は避ける」との文言で修飾されることになる。そしてその可能かどうかの判断、必要なときの判断は、アメリカ軍だけによる独断でしかない。それはそうだろう。有事を想定しているのに、必要かどうかの判断を一々他者と協議することなどナンセンスだからである。

 かくしてこの運行に関する取り決めは事実上骨抜きであることが分かった。もちろんそうした守れない約束に翻弄されてきたことはこれまでの経験から沖縄住民は飽きるほど知っている。だから「可能な限り」の約束は、事実上反古にされるだろうことは始めから知っているのである。

 10月1日、知事も含めた沖縄住民の多くの反対にもかかわらず、オスプレイは普天間飛行場へと配備された。米軍基地内であり、反対運動は基地を取り囲む金網の外で気勢をあげるしかない。総理大臣は「今後の運用では安全性はもとより、地元住民の生活に最大限配慮する」と談話を発表している。結局「住民の意思」は蚊帳の外に置かれたままである。

 もちろんそうした背景には「日米安全保障条約」が深くかかわっている。つまり日本はアメリカの核の傘とも言われている防衛に依存することで、見返りとして基地の提供を含むさまざまな主として経済的な負担を約束したからである。つまり、日本はこの安保条約で、米軍の作戦や運営、更には基地の中に配備する機種などに注文をつけられないのである。
 それはつまり国民の意思であるとか住民の意思とはかかわりがないことを意味している。米軍の思うとおりに引き受けなければならないのである。それが条約の内容であり、国家間の約束になっているのである。だから「安全性はもとより地元住民の生活に最大限配慮する」との総理大臣談話は、単に努力するとの目標を示しただけであって「住民の承認や了解」と言った内容は少しも含まれていないのである。

 そのことを沖縄住民も含めて私たちは理解していたはずである。安保条約の改定にあたって、学生運動のみならず多くの国民が反対を唱えた。だがそうした声を無視して新しい条約は成立した。多くの国民は挫折を味わい、流されることに我が身を委ねるようになったのは、もしかしたら日本人の争いを好まない国民性にあるのかも知れない。「寄らば大樹の陰」は日本人の中に染み付いてしまったのかも知れない。そうした感情は沖縄住民にもあったのでないだろうか。反対意見を述べるものはまだいるけれど、一方で「仕方がない」という気持ちもまた多くの人々の中にあったはずである。

 ところが政権が自民党から民主党に変わったことから、国民の意識の中に大きな変化が生まれた。2009年9月、民主党政権により選出された鳩山総理大臣の簡潔で明瞭な一言があったからである。
 それは沖縄の基地に触れた一言であった。「沖縄の米軍基地は海外、少なくとも県外へ移転させる」。衝撃的な一言であった。これにより国民のみならず沖縄住民も、「仕方がない」からの脱却へ目覚めたのである。アメリカに「ノー」と言えることを、日本の総理大臣が国民に約束したからである。
 この発言は間もなく総理大臣自身によって取り消されることになった。だが一度目覚めた「基地のない沖縄」への意思は消えることはなかった。

 その発せられた一言は基地を維持し推進しようとしている者にとっては「寝た子を起こした」ことであり、迷惑な一言だったのかも知れない。しかし、寝た子だっていずれは起きるのである。振興策であるとか整備事業、補助金や助成金などの睡眠薬を使ったところで、眠ったままにしておくことなど不可能なのである。

 だから私は、オスプレイ配備反対の声の高まりは、決して機体の安全性に疑問があるからだけではないと思っているのである。「基地はいらないこと」、「基地のない沖縄にできること」に沖縄が目覚め、アメリカ軍が我が物顔に沖縄を闊歩している現実を自らの意思で拒否できることに気づいたのである。そうした意識の変革が、普天間から辺野古への基地移転反対、オスプレイ配備反対などの具体的な行動の大きなうねりとなって現れているのだと思う。それは総理大臣や防衛省がどんなにオスプレイの安全性を繰り返したとしても、そしてその安全性だけが仮に誰の目にも明らかなほど立証されたとしても、私は配備反対の声が途切れることはないだろうと思っているのである。

 もしかしたら配備が承認されるたった一つ解決の手段があるかも知れない。それは「一方的であったとしても、アメリカの言い分に日本は物理的にも経済的にもそして政治的にも絶対逆らえないのだ」ということを国民全体に理解させることである。それがどんなに屈辱的であったとしても、日本はアメリカに逆らえないことを国民に納得させることである。
 ただ総理大臣が放った「海外、少なくとも県外」との一言は、国民や沖縄住民の心から消えることはないだろう。かてて加えてアメリカに従属することに日本の国民が納得するとはとても思えない。「仕方がない」と思っていたことが「違うのだ」と、あからさまに示唆してくれた衝撃的な一言が赤々と「変えられるかも知れない」との希望の灯りを灯してくれたからである。


                                     2012.10.20     佐々木利夫


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