かなり昔の雑誌で読んだ記憶なのでどこまで本当のことだったか定かでないのだが、ある会社での出来事だそうである。この会社の男子の小用トイレの窓からは、悠然とそびえる富士山が眺められるのだそうである。そこで経営者は考えたそうである。従業員はきっと小用を足しながら、窓の外に広がる富士山の雄姿に感動しつつ眺めることだろう。それはきっと富士山に見とれているぶんだけ、小用の時間が長びくことを意味する。数十名、数百名の男子従業員は一日に何度も小用に行くだろうし、そのたびに富士山に見とれることだろう。だとするならその「富士山を眺めるため」だけに使われ累積されたロスタイムはバカにならない量になる。そんなロス時間に給料を払う必要はないのだし、そうした無駄な時間を少しでも削り本来の仕事に戻ってもらうことを考えるのが経営者としての使命である。そう考えた経営者はトイレの窓から富士山が見えなくなるように、目隠しの塀か眺めを妨げるための板を窓に取りつけたそうである。

 こうした発想がどこまで正しいのか、あるいは作業効率に悪影響を与える可能性が本当にあるのかなどについて私は残念ながらよく分かっていない。こうした問題はトイレに限らず、例えば最近職場での禁煙が広がってきたことによって、従業員がタバコを吸うためには別室を利用しなければならなくなっていることなどにも問題を投げかけている。経営者にとってはこうしたロスタイムにも賃金を支払うことへの疑問であり、従業員間でも喫煙しない者にとっては「仕事をしないでタバコばかり吸っている」との不公平感につながる意見がでているからである。

 まあ考えてみれば、作業効率はどんな職場にだって要求されることだし、トヨタ自動車の「かいぜん」と呼ばれる流れ作業のシステムは、作業台の位置や部品を置く場所などにまで数センチ単位まで効率化が検討され、秒単位での作業時間の短縮などの効率化が図られているらしい。そうした話を聞くにつけ、私の現役時代の仕事のやり方はこうした効率とはいささか違って、けっこうトイレに便乗していたことをふと思い出した。

 部品を組み立てるなどといったチームを単位とした流れ作業と、デスクワークを基本とする仕事とは異質であることは事実である。だが「トイレの時間が長い」とか「タバコを吸うために長時間机を離れる」といったロスタイムが、仕事に何らかの影響を与えるであろうことは工場もデスクワークも似たり寄ったりのような気がする。

 私が税務職員として退職までに経験した仕事は、基本的に3つに分けられるような気がしている。一つは税務署という現場で、調査や徴収というかたちで納税者と接触する作業、もう一つは国税局という立場で北海道内の全税務署における今後の事務を企画立案する仕事、そして更にもう一つが審判所という職場で税務署と納税者の対立を解決するために審判をする仕事である。第一の調査や徴収はそのまま現場の仕事として、基本的には納税者宅を訪れて必要な仕事をし、結果を上司に報告するだけで足りる。だから「足で稼ぐ」ことが基本になるので、作業効率みたいなものが必要になってくる。

 ところが第二と第三の仕事は、上司に対する報告の前に「まず自分で構想を考え文書で表す」という作業が常に付きまとってくる。また自分が上司である場合には、上がってきた企画がどこまで現実的か、どこまで法的に妥当しているかなどの判断が求められることになる。そして疑問があるときにはその疑問なり解決する方向なりを具体的に言葉や文書で指示しなければならないから、結局「自分で構想を考え文書で表す」ことが必要になってくる。
 こうしたことは企業などではいわゆる企画とそのプレゼンテーションとして、恐らく多くの職員に課される問題だろう。ただ私の場合は最初から現場での仕事がメインだったことから、自ら企画するという立場からは遠かったこともあり、第二・第三の分野の仕事はなかなかなじみにくいものであった。

 そんなときに私の「うろつき病」が始まった。まず第二の仕事を担当したときである。小さな分野にしろ、上司が参加する全国の会議で「札幌は今後こういう方向で進めます」とか、北海道の税務署の幹部を札幌に集めて上司から「今年はこういう方向で作業を進めていく」などの指針を与えるための発議である。その土台を考えて上司に報告するのが私の仕事である。単なる前年踏襲では進歩がないからまず机上で色々な企画を練るのだが、なかなかいいアイディアや構想が浮かんでこないのである。

 メモに書いては捨て、また新たに書き直すなどいろいろ工夫はしてみるのだが、これというしっくりさがなかなか届いてこないのである。企画立案などと言うと格好がいいけれど、私の単独の思いつきで物事が決まるほど職場は甘くはない。私の上司には補佐、課長、部長などがいて、今後の税務署の運営などについてそれぞれ一家言を持っているのだから、そうした人たちを説得できるような新しいアイディアや方針を打ち出さなければ私の存在価値などないことになる。

 第三の分野でも同様である。税務署の行なった更正であるとか決定などの処分に対して納税者が不服を申し立てているのである。それを裁判になる前に、専門分野における知識を活用して解決しようとするのが審判所の仕事である。紛争の解決は裁判と同様の方法で、「裁決書」という一種の判決文に似た文書で処分をした者と不服のある者の双方に示さなければならないのである。争点の確定、証拠の採否、事実の認定、法令の解釈、手続きの適正さなどなど、対立する双方に可能な限り納得できる道筋と主文(一種の結論)を示さなければならない。

 それほどいい頭ではないから、しかつめらしい顔をしたり拳で頭をとんとん叩いたくらいでポロリといいアイディアや明快な結論がこぼれ落ちてくれるものではない。「下手な考え休むに似たり」や「提案がないのは何もしなかったことと同じ」はどこでも通用する哲学である。

 こうした袋小路から抜け出すために選んだ私の解決策の一つがこの「うろつき病」であった。それはまあ言ってみれば職場での勤務時間中に頻繁にトイレに立つこと、そしてそのトイレからなかなか戻ってこないことでもあった。そんなに頻繁に小用の要求が起きるわけではない。それでも机に向っているだけではアイディアは何にも出てこないのである。トイレに立つと言ってもトイレそのものの要求がそんなに頻繁にあったわけではなかった。職場は大きなビルの一つのフロアの一角にあり、ど真ん中にエレベーターが2基あって、その周りを様々なセクションを分担する事務室がぐるりと取り囲む構造になっていた。その一角の更にその一隅に私の机があった。

 第二の仕事のとき、その机から私は事務室の入り口を出てエレベーターの前を通過し、右折してトイレの前を通り過ぎ、更に右折して今度はエレベーターの裏側を通ってまたまた右折するといううろつきが始まるのである。考えながらだからゆっくり歩くのだけれど、それでも2〜3分で一周できてしまうほどの距離である。時にぶつぶつ呟きながらのうろつきである。右回り、時に左回り、場合によってはワンフロア上の階や下の階まで階段を使って一回りするなどパターンは様々である。そして時折自分の机に戻って立ったまま気づいたことをメモし、そのまままたうろつきに戻る、そんなことの繰り返しでもあった。第三の職場も同じ建物の異なるフロアだったから、ルートは多少異なるものの同じようなパターンであった。

 残念なことに職場のトイレはエレベーターの横の建物の中央部分に位置し、窓際は全部事務室が占拠していたから窓から外を眺めて小用をするような環境にはなかった。もちろん事務室の窓からだってここは札幌なのだから富士山を見ることなどできなかったことは当然である。それにつけてももし仮にトイレの窓から悠然たる富士山が眺められるような環境にあったなら、もう少しましなアイディアをひねり出すことができたのではないだろうかと、わが能力不足を棚に上げつつ時折このトイレの小話しに釣られてかつての職場時代を思い出すことがある。


                                     2012.8.11     佐々木利夫


                       トップページ   ひとり言   気まぐれ写真館    詩のページ



トイレの目隠し